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カヌチ異伝 Eternity Yours

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 砂漠の地下で酷暑に乾涸びた挙句、崩落した岩盤に五体を潰され、熱砂に巻かれて窒息死――例え不死者であったとしても、決して楽しめる訳のない想像。
 そんな恐怖を踏み越えながらの、疲弊しきった邂逅だった。
 暴力的な煌めきの中、ふらふらと進み出たヘスクイサは、黒点の前に立つ。
 これが、この光り狂う回廊と、最終目的地を隔てる扉。
 視界を遮る光暈を強引に無視して、ヘスクイサは、舐める様に観察した。
 周囲の輝きを吸収するかのような、黒く透き通った結晶体。
 ちょっと見は、一枚岩の様に見える。
 だがよく見ると、繊細な羽の意匠を刻まれたそれら一塊一塊が、複雑に噛み合い、織り重なって、一つの“岩戸”を構成していた。
 力を振り絞り、腕を伸ばす。
 と、撓弾。
 吐き気を催す不気味な揺れと轟音が、三人の学者達を包み込んだ。
 滝のような砂の雨が、一斉に降り注ぐ。
 アズハは、掠れた悲鳴を上げた。
 細かい砂がやすりのように、喉を、鼻腔を削り立てる。
 いやそれは違う、今はまだ――いや、実際にまた、埋まってしまった!?
 堪えきれず、石畳に額を押しつけ、アズハはその場にうずくまった。
「アズハ、しっかりしろ! 止まった……揺れは終わったよ!!」
 エスドの声が、霞んで聞こえる。
 肩を強く揺さぶられ、渾身の力で、アズハは目を見開いた。
 歪んだ視界に、エスドの姿が映る。
「うっ……」
「大丈夫か、怪我は? これは何なんだ? 畜生っ、これで何度目なんだよ……崩落か、単なる予兆なのか!?」
 興奮しているのだろう、大声が、矢継ぎ早に投げつけられる。
 しかし耳に残った地鳴りと混ざって、巧く聞き取る事ができない。
 ちょっと待て、聞こえない、まだ判らない――と伝えたかったが、麻痺した舌は、喉の奥でひくひくと痙攣するばかりだった。
「だ……くっ……」
「何? 何を言ってる……聞こえてるのか? ちょっ……おい、何してんだよ、しっかりしろよっ!!」
 掴んだ手の下の、アズハの肩が、大きく震えた。
 反射的に、手を離す。
 そのまま両腕で頭を抱え、アズハは再び、その場にうずくまった。
 背を丸め、ぶるぶると震えている。
「アズハ……」
 それを見て初めて、エスドは自分の声の大きさに気づいた。
 肩を離した手が、固く拳を握り締めている。
 指をゆっくりと解し、目に滑り込んだ汗を拭い、大きく呻いた。
「悪い……ちょっと、興奮しちゃってた……」
 反撃を喰うかと身構えたが、そんな元気も無いようだ。
 作業着の袖で、口元を拭ったエスドは、アズハをそっと起き上がらせた。
 そのままゆっくりと、白壁にもたれかからせる。
「そうだよな。あんな体験の直後だもんな。俺だって、きっと動けなくなるさ……」
 エスドは、強く目を瞑った。
 この状況下、建築を専門として学んだアズハに聞きたい事、聞かねばならない事は、山ほどある。
 いや、本当なら、殴ってでもアズハを正気に戻し、聞かねばならない事なのだ。
 しかしエスドは、小さく震え、しゃくりあげるアズハの頭に積もった砂を、丁寧に払い落としてやった。
 アズハはしくしくと、声を漏らして泣き始める。
 と、その時。
 背後から、ヘスクイサの声が響いた。
「エスド!」
 跳ねる様に立ち上がったエスドは、ヘスクイサの方を振り向く。
「どうし、た、わあっ……」
 エスドは、喘いで立ちすくんだ。
 黒翼の岩戸が、無くなっている。
 何度目を擦ってみても、今の今まで存在していた黒翼の岩戸は消失していて、代わりに真っ暗な空間が、ぽっかりと口を開けていた。
 確かにちょっとした争乱状態だったから、その間、岩戸をずっと凝視できていた訳ではない。
 しかし、何か少しでも動勢があれば、誰かが必ず、気づいたはずだった。
 そして一人が気づけば、全員が気づく。
 頭の中に仕掛けられた、平行調律の魔術が、そうさせる。
 さすがに惚けたエスドが、ヘスクイサを見た。
 しかしヘスクイサの凝視していたものは、さらに全く別のものだった。
 黒翼の岩戸を挟む回廊の白壁に開いた、大きな穴。
 ヘスクイサが、背筋を伸ばして楽に出入りできる程の大きさがある。
 様相は、今まで見てきた枝道と、酷似していた。
 いや、それらよりも一際念入りに、頑強に設えられているように見える。
「何だ、これは……」
 ヘスクイサが呟いた。
 ぼんやりと、エスドが返す。
「枝道、だよな。どう見ても……」
「お前がここに、先行してきた時には? あったのか?」
「あったら、そう言ってるさ」
「……だよな」
 ヘスクイサも、今は素直に頷くしか無い。
 三人の中の誰もが、地震が始まる直前まで、何も無い無傷の壁を視認していたのだ。
 平行調律の糸を、辿るまでもない。
 現時点では、先程の地震の際、何らかの作用で中央の扉と共に、開口したとしか考えようが無かった。
 エスドが、中を覗く。
 今まで見てきた枝道と同じように、岩盤に守られた一筋の道が、光の届かぬ奥の方へと続いている。
 地面は砂地だったが、飛び石が整然と敷かれ、涼し気な風の流れと、水のせせらぎに似た音すら、ちらちらと響いていた。
 ヘスクイサが、入り口の上部に、ふっと吐息を吹き付ける。
 砂が新たに剥がれ落ち、文字の刻まれた石板が現れた。
 この程度の古代語なら、エスドにも読める。
「バルハラへの……道?」
 エスドが、読み取った途端。
「ちょっと待て!」
 黒い穴と枝道を交互に指差し、ヘスクイサが声を荒げた。
「聖骸が安置されているその直ぐ隣に、外に通じる活きた枝道だと? 正気か!?」
「俺が設計した訳じゃないって!」
「……まだ、降参する気は無いのか? こんな処に聖骸安置なぞ、考えられん。あり得ない。確率から言ったって……」
「きっと何か、理由があるのさ」
 こめかみを押さえたエスドの手の下で、その目が強く瞬く。
「十中、九と半分の確率だって、外れりゃ外れ、中れば中り。現場じゃあ確率なんざ、星読崩れの占いと変わらんよ」
「しかし!」
 踵を返したエスドは、岩戸の消えた黒い穴に歩み寄った。
 慎重に中を見回すと、腰嚢から小球を取り出す。
 ぼんやりと光る一摘み程のそれを、ひょいと投げ込んだ。
 闇中に淡い光の糸を引いて、球はあちこちを遊ぶ様に跳ね回り、やがて静かに転がり、止まる。
「……動勢に対する仕掛けは、無いみたいだな」
「もう入る気か!?」
 ヘスクイサの声に、後方で泣いていたアズハが、顔を上げた。
 その事にも気づかぬエスドは、入り口の周囲を手早く調べる。
 さっきの岩戸消失を体験していなければ、単なる精密な石組みの入り口だ。
 腰具帯から投光桿を引き抜くと、漆黒の空間を照らす。
 わざわざ闇を投影しているのだろうか、向こう側を見透かす事はできない。
 が、それに対する反応も無い。
 光を引き金にして作動する罠があったとしても、この程度の光源では、作動しないという事だろう。
 エスドは、呟いた。
「……お前も気がついてるだろ? 振動の間隔が、狭まってきている。本当にもう、時間がないんだ」
「しかし……」
 ここで初めて、エスドは、ヘスクイサをちらり見る。
 口角に、熱を帯びた笑みが浮かんだ。
作品名:カヌチ異伝 Eternity Yours 作家名:澤_