カヌチ異伝 Eternity Yours
「その象形模様と……とてもよく似たものを、私は見た事がある……」
『同じ? 何処でだ!?』
「細部が違うけど……そうだ、確か何処かの神殿の一角に、刻まれていたんだ。その場所はそう、確か……」
――供犠の、祭壇――
撓弾。
視界が真っ白に染まった。
全身が一気に引き攣れ、その衝撃に、もんどりうって倒れ込む。
肉が蒸される生臭い臭いが、喉の奥から溢れて零れ、沸騰した血を飛沫かせながら、肌がびちびちと弾け始めたその時。
調律魔術の安全装置が、鋭い警告音を発した。
捩れて混乱した、各々の感覚を遮断する。
緊急時に発動する鎮静魔法が、混乱した感覚を、強制的に鎮めていった。
何だ、今のは。
アズハは、身をよじりながら立ち上がった。
ぼんやりと目を開くが、何も見えない。
今まで狂いそうな程に明るかった、回廊の輝き。
それらが今は、ほとんど消え失せていた。
目が壊れたのかと手を上げると、その向こうで、何かがぎらぎらと光っているのが判る。
それがついさっきまで、真っ暗だったあの穴だと思い出し、その白い光暈の中で、何かが黒煙を吹き上げながら、びくびくと蠢いたのを見た瞬間。
「エスドっ!」
側で倒れていたヘスクイサが、跳ねる様に起き上がった。
今は真白な穴に駆け寄り、踏み込もうと手を伸ばす。
が、撓弾。
ヘスクイサの体が、弾けるように吹き飛んだ。
叩き付けられた壁から、砂煙が派手に噴き出してくる。
「くっ……」
震える手足を堪え、アズハは必死に立ち上がろうともがいた。
その合間にも、真白に輝く穴は、それをちらちらとこぼしながらも、静々と塞がっていく。
黒羽の結晶体が次々と顕現し、消失前の配列通りに織り重なって、溢れる白輝を遮り始めたのだ。
そして、被さる様に始まった、不気味な轟音。
早く、早く!
ようやく立ち上がったアズハは、ほぼ完成しかけた黒翼の岩戸にすがりついた。
「エスド……い、今、発破を……」
『止せ。もう遅い』
驚く程に安らかな声が、頭の中に響く。
アズハの目から、涙が溢れた。
「でもっ!」
『アズハ……どうやら君が、正しかったようだ。ここに聖骸は……無い』
「エスド……私……」
『気に病むな。飛翔一族みたいな力がありゃ別だけど、俺達は皆、こうやって確かめてくしか術が無い……』
歯を喰い縛り、アズハは震える手で、火薬の混ざった粘土を取り出した。
このまま黙って、引き下がれるものか。
エスドを贄にしたまま、逃げられるものか。
例え手遅れだとしても、せめて一矢を!
そんな気持ちをなだめる様に、声は響く。
『さよなら、アズハ。ほんの少しの付き合いだったけど、楽しかったよ。もっといろんな事、教えたかった』
「なっ……」
戸惑いに、固まった瞬間。
目の奥が僅かに揺れて、エスドとの平行調律が、一方的に断ち切れた。
「エ、エスド……何をする、エスドっ!」
「ぐっ……」
吹き飛ばされ、気を失っていたヘスクイサが、頭を抱えて身を捩った。
みるみる内に、顔が真っ赤に膨れあがり、鼻腔から、目尻から、耳腔から、血が滔々と溢れ出す。
「エスド、何をしている! 止めろ、止めてくれ、エスドっ!!」
一体、何がどうなっている!?
何をどうすれば、この場を乗り切る事が出来る!?
よろよろと立ち上がったヘスクイサが、黒翼の岩戸にすがりついた。
撓弾。
その黒く輝く羽々の隙間から、一際強い白輝と共に、声が――聞こえる筈のない、捩じ切れそうな呟きが、瞬きの間に耳を聾した。
「後を、頼む」
一瞬、落雷が起きたのかと思った。
足下が波打ったように感じる。
今や漆黒と化した回廊の彼方から、膨大な砂神楽が吹きつけてきた。
その後を追いすがり、振動と轟音が捻れて絡み合いながら、津波の様に押し寄せてくる。
砂の雨が、ざあざあと降り注いだ。
「駄目だヘスクイサ! ここは危ないっ!!」
叫んだアズハが、手を伸ばした瞬間。
「立てっ!」
持ち上がったヘスクイサの拳が、黒翼の岩戸を殴りつけた。
「立てっ……立て、立て、立て、立てっ! 立って……こっちに戻れっ!!」
手加減無しの一撃が、何度も何度も叩き付けられていく。
羽模様の結晶体から、淡く漏れた光を受け、背後にすくむ仲間の事も、流れ落ちる自身の血も、何もかもを置き去りにして、ヘスクイサは岩戸を殴った。
「何故、他人に頼る……どうして諦める! お前は、俺達は、自分でやるんだろう! 自分で探すって……自分で確かめるって!! 俺達は、そう決めたんだろう!?」
何かががばりと外れ落ち、ごりごりと音を立てた。
ぼこぼことくぐもった音が、そこかしこから溢れて響く。
巨大な建材同士が支え合う密着面に、空気が吸い込まれていく音だ。
本格的な崩壊が、全てを抱き獲り、押し潰そうと暴れだした。
砂は最早、驟雨の勢いで降り注ぎ、視界を白く覆っていく。
跳ねるように逃げたアズハのいた場所に、身の丈程もある岩盤が落ちてきた。
黒翼の岩戸にすがりながら、ヘスクイサがうずくまる。
それを目端にとらえたアズハは、よろめきながらもその腕を取り、引っ張った。
“バルハラへの道”と刻まれた石板に亀裂が奔る。
渾身の力を込めて、ヘスクイサを引きずりながら、アズハは枝道へと続く穴に飛び込んだ。
撓弾、轟音が炸裂し、たった今までいた空間の全てに、岩と砂とがなだれ込んだ。
ヘスクイサを引っ張ったアズハは、そのままどっと倒れ込む。
その事を確かめたように、最後の地鳴りが道を揺らし、背後から砂神楽が噴きつけた。
冷たい石の感触に、惚けていた意識が、少しずつ甦る。
潮退くように消えた地鳴りに代わり、水の流れる音と匂いが、細々と聞こえ始めた。
小さな水溜まりが、見える。
息を吸い込み、手足を動かし、アズハはそこへ這い寄った。
顔を突っ込むと、瞬時、体のどこもかしこもが、捩じ切れたように感じる。
砂漠の熱砂に濾過されているせいだろう、思う存分に飲み下して初めて、水の透度に驚いた。
冷たい砂地に体を投げ出し、息を整える。
その目端に、ヘスクイサの姿が見えた。
壊れた両手を、ぼんやりと見つめている。
慌てて空の水筒を取り出したアズハは、水を満たすと、ヘスクイサの側に駆け寄り、頭からそれを浴びせた。
正しく、呼び水。
虚ろなまま、それでもずるずると這いずりだしたヘスクイサは、アズハと同じ様に、澄み切った水溜まりに顔を突っ込んだ。
それを見届け、アズハは回廊に続く穴の方を振り向いた。
が、もう、確かめる間もない。
岩と砂とでみっしり埋め尽くされた穴に触れた瞬間、アズハの口から悲鳴じみた嗚咽が漏れた。
気づけなかった。
思い出せなかった。
この脳裏に、確かに刻んでいた筈なのに。
目の前に幾つも、“逃げ道”が用意されていたのに。
もう少し早く、気がついていれば。
静まり返った枝道に、嗚咽はこだましていく。
やがて澄んだ水音と共に、ヘスクイサが立ち上がった。
袖で涙を拭ったアズハは、歯を喰い縛って振り向いた。
「ヘスクイサ……」
嗚咽に引っかかりながら、呟く。
作品名:カヌチ異伝 Eternity Yours 作家名:澤_