【FY】詰め合わせ
明けの明星にはまだ早い
夜更けに不意に訪れてしまった覚醒は睡魔をどこかへと押しやってしまって、副都心は己のベッドの中で一人そっと溜息を吐いた。
眠れないと言う事に対してさしてストレスを感じる訳でもないが、だからと言って起きているのも明日の業務の事を思うとあまり褒められた選択ではないだろう。横で眠る人物を起こさぬようにベッドを抜け出して冷蔵庫から常備しているミネラルウォーターのペットボトルを取って戻り、ベッドの縁へと腰を下ろす。すると不意に腰の裏側辺りから鈍い声が聞こえて、副都心は内心で己へ舌打ちをしながら振り返った。
シーツの隙間から、素肌の肩がもぞりと動くのが見える。枕に押し付けていた顔が寝返りを打って、すんなりとした眉間に僅かに皺が寄る。そうしている内に瞼が一度きつく収縮した後にぼんやりと開かれて、そこから覗いた金の鮮やかさに思わずどきりとした。常夜灯すら点いていない暗い室内であるにも関わらず、彼の瞳は自ら発光しているのではと疑いたくなる程まばゆい色をしているのだ。
「………ふくとしん……?」
いかにも寝起きと言った感じのらしくないたどたどしい口調に思わず笑ってしまいそうになるのを堪えながら、額に掛かる髪へ手を伸ばす。髪をかき上げるついでに指の背で頬を撫でると、指の動きを追うようにひくりと彼の目が細くなった。
――こんな風に好きなように触られている彼の顔を知っている人間はどのくらい居るのだろう。
「飲みます? 水ですけど」
願わくば自分だけであって欲しいと思っている事はおくびにも出さずにボトルを揺すってみせると、有楽町は短く「要らない」とだけ返した。どうやら、未だに意識の大半を夢の中に置いてきているらしい。
「すいません、起こしましたね」
「いや……んー……」
いつもならばさらりと気にするな、と返ってくるだろうに、そんな短い言葉を発する事すら億劫らしい。微睡む瞳のすぐ横にキスをして、寝返りを打ったせいでベッドからはみ出した手に指を絡めても、覚醒している時ならばあるだろうくすぐったいリアクションは一つもなかった。ここまで円滑に進むのも楽しいと言えば楽しいが、あまりの無防備さに不安すら覚えてしまう。
百歩譲って同僚相手ならばいいが、他社の路線にこんな所は見せないで欲しかった。そんな事、口に出して言えるはずはないのだけれども。
「先輩」
隙間に滑り込ませた指を離すのが惜しくて、ベッドの上へと腕を戻してやるついでに指を組ませている事をいい事に顔を首元へと近付けた。そのまま肩の付け根辺りに口付けると、うん、とむずがるような声が上がる。
「……おまえ」
「何ですか、先輩」
「寝たばこ禁止っつっただろ………」
寝込みを襲うような真似をしている事について窘められるのかと思いきや、目をとろんとさせながらそんな事を言うので、今度こそ副都心の口からふっと笑いが漏れた。
「さっき吸ってた時の匂いが残ってるだけですよ、吸ってません」
「んー、なら……いいけど」
そう言えば、頼んだ書類の添削は結局最後まで終わっていたのだろうか。
視界の端に入る書類は角に煤が付いてしまっていて、添削が済んだとしても刷り直さねば提出した時に銀座に怒られてしまうだろう。
頼まれた事をベッドの脇に投げ捨てて後輩に流されている事について、うとうとと微睡むこの人は一体どう思っているのだろう。
「ま、別にいいですけどね」
「は?」
握っていた手を解いて、大して焦点の合っていなさそうな目でこちらを見ている有楽町のこめかみにキスを一つ。たったそれだけの事でまたずぶずぶと夢の世界へ沈んでゆく有楽町へ、副都心はそっと声を掛けた。
「何でもないです。まだまだ朝には早いですから、寝てて下さい。大丈夫、ちゃんと起こして上げますよ」
「オレだって……携帯にちゃんと……アラーム………」
説教ばかり繰り出す声がいつもより頼りない事と、いつも怒ってばかりの顔が眠った途端ひどく柔らかになっている事、それに副都心がどれ程の優越感と侘しさを感じているか、有楽町はまだ知らない。
(知らなくていい、今はまだ)
「おやすみなさい。朝になったらまたご鞭撻の程を、先輩」
祈るような囁きは、深く寝入った有楽町の耳に届く事はない。その寝顔を副都心がどんな表情で見つめているのかも感じる事はないまま、今日も有楽町と副都心の夜が更けてゆく。
(「無意識下の逢瀬」after / 20090829)