【FY】詰め合わせ
深さ40メートル弱の墓穴
その日有楽町が昼食から戻ると、会議室のテーブルにはなぜか一冊の冊子を中心に小さな輪が出来ていた。
半蔵門の持つ冊子に、その脇に座った東西と南北とが文句を言いながらわいわいやっている。少し離れた所で本を読んでいた日比谷に何事かと問うと、「どうもコスメの店のカタログを見てるらしいよ」と言う言葉が返ってきた。
「……コスメ?」
「って言っても、手作りの入浴剤とかをメインに扱ってる店らしいよ。沿線のエキナカに店があるからカタログ貰って来てって南北が東西に行ったらしくて、あれ」
「ふーん……」
頼まれた本人の東西は、薄っぺらい紙に印刷された商品を横目で見ながら意味が分からないと顔を顰め、それに対してカタログをめくる半蔵門とそれを覗き込む南北とが、分かってない、と言い返していた。
(そこ、女の子向けのショップじゃなかったか?)
見覚えのある店名の記されたカタログの表紙を一瞥してから室内をぐるりと見回す。日比谷は読書に集中したいようだったし、銀座と丸ノ内は二人で何のかんのと話をしている。見回した最後にテーブルから少し離れたソファで暇そうにしている後輩と目が合って、結局有楽町は食後の休憩場所を彼の隣に決めた。
「先輩はいいんですか、読まなくても」
「俺は別に。今使ってるものに不満ないし」
「ノリ悪ぃなぁ皆して! 有楽町も見ようぜー」
くるりとこちらを振り返る半蔵門には手を振るだけに留めて、隣で悠然とソファに腰掛けている男を見遣る。
短く切り揃えた金の髪に、同色のピアス。髪は彼の場合元からこの色だったので何とも言えないが、それはさて置いても彼の方がよほどあの手のものに興味があるように思えたのだ。
「お前は?」
「前シェービングクリームを使ってたんですけど、あそこのは匂いが甘すぎて」
「へえ、ああ言うの好きなのかと思ったよ。お前、風呂場にアヒル置いてるしさ」
そう、副都心の部屋の浴室にはやたらと黄色みの強いアヒルがいるのだ。よくある湯船に浮かべられるタイプのゴムのアヒルで、それにひどい名前を付けているのも有楽町は知っている。
だからこそちょっとした皮肉のつもりで言ったのだが、どうせ少しも有楽町の望むリアクションなんてしないであろうと思っていたのに反して、副都心は僅かではあるが目を丸くしてきょとんとした表情を見せた。
その表情は日頃の溜飲を下す前に不安を抱かせるもので、実際驚いたと思ったのも束の間、副都心は時たま浮かべる薄い笑みを浮かべて、おや、と片方だけ眉毛を上げてみせた。
「そんな事言っちゃってよかったんですか、先輩」
「は?」
副都心が笑いながらそんな事を言う意図がいまいち分からなくて、聞き返す。何だかやけに部屋が静かだと思ったらなぜかこの場にいる全員がぎょっとした、もしくはやはり副都心の浮かべているものに似た半笑いの表情で自分を見ていて、有楽町の中の不安は正体の分からぬまま輪郭をはっきりとさせていった。
「流石有楽町、見た事あるんだ? 副都心の、浴室の、アヒル」
「……え」
椅子を反らしてこちらを見ていた南北が、言葉の後半を強調するようにゆっくりと区切りながらにんまりと口を歪ませる。その言葉と周りの視線とで、有楽町はようやく自分がどれ程まで墓穴を掘ってしまったのかを思い知った。深さで言ったら恐らく、千代田の国会議事堂前だって飲み込めるだろう。
「ん? 有楽町、風呂壊れてたのか?」
「丸ノ内、有楽町が可哀想だから少し黙ってようね」
新聞を前に頬杖をついていた銀座が、有楽町を見て見事なまでに美しく微笑むのがいたたまれなくて、視線から逃れる為に堪らず顔を伏せる。アヒルの持ち主はと言えばこの場に漂う空気などどこ吹く風で、それが余計に有楽町の羞恥を煽った。
否、何か言われた所で今更であるし、有楽町の間抜けぶりが際立ってしまうだけなのだが、でも。
「先輩?」
ふらりと腰を持ち上げて、なるべく面々と目を合わせないようにしながら大股で歩き出す。頬や頭にちくちくと刺さる視線の事を思うと、次の日どころか今夜から散々に弄られる事は容易に想像出来た。
「………仕事思い出した」
「どこまで行くんです」
「和光市」
この時間ならそろそろ東上線直通が来る頃だから、何なら川越市まで行って東上に愚痴ったっていい。
(……いや、ないな)
そもそも東上にどこから説明すればいいのかも分からない。取り敢えず終点まで走って気を紛らわせよう。頭が痛い。
油断するとすぐさま力が抜けそうになる手で何とかドアを開けてほうほうの体で有楽町が出て行くのと、その後ろで副都心が立ち上がるのはほぼ同じタイミングであったが、部屋を出て行った有楽町がそれを知るのはもう少し先の事であった。
「君も仕事かな、副都心」
「ええ、和光市まで」
全てお見通しらしい重鎮の隣で、未だに事の次第を分かっていない丸ノ内が首を傾げる。にっこりと一点の曇りもなく微笑む銀座ににやりと笑みを返し、周囲の視線を肩を回していなしつつ、副都心はさてどうやって盛大に墓穴を掘った先輩を慰めようかと思案するのであった。
(20090824)