BSRで小倉百人一首歌物語
第33首 ひさかたの(サナダテ R15 ひたすらベタベタしています)
柔らかな陽の光が部屋に射し込んできて、政宗は目を覚ました。昨晩の激しい風雨は去って、どうやら外には春らしい暖かさが充ちているようだった。花はどうなっただろうか、と政宗は思い遣る。昨日の昼間に見た時には八分に咲いていたのだが、昨晩のあの様子ではおそらくその花弁を散らしてしまったに違いない。少しだけ惜しむ気持ちが湧き上がるが、何も美しいのは満開の花だけではないと思い直す。ひらひらと風に舞う花弁も、落ちた花弁が散りばめられた地面も、盛りの花に劣らず目を楽しませるものであることに変わりはない。
ぼんやりとそんなことを考えながら、隣で穏やかな寝息を立てる幸村の頬にそっと手を伸ばした。戦場では猛った武人の顔を見せる幸村だが、寝顔は年齢よりも幼く見えるほどにあどけない。どちらの顔も、幸村の純粋さ故のものだと思えば、その純粋さがたまらなく愛おしくなる。
頬に触れていた手を、首筋をなぞりながら寝間着のはだけた厚い胸へと下ろす。夜には跳ねるような鼓動を感じたその心臓も、今はゆっくりと、だが力強く脈打っている。それに比べて政宗の心臓は、うるさいくらいに速く鼓動を刻んでいる。ただ幸村の寝顔を眺めているという、それだけのことで。
少しだけ気恥ずかしくなって、政宗は幸村の柔らかい髪に指先を滑り込ませる。それでも、幸村はまだ目覚めない。春の朝の心地よい温もりのなかで、平和な眠りを楽しんでいる。
ならば、と政宗は少し体をずらして、眠っている幸村の唇に口付けを落とす。そのまましばらく唇を重ね合わせていても、幸村は起きる気配がない。いったいどれほど深い眠りの中にいるのだろう。試してみたいという悪戯心が芽生えた。
自らの唇で、幸村の下唇を食む。そのままそこに舌を這わせる。ゆっくりと、執拗に。寝息の漏れるその口に、無理に舌を差し入れる。そこに至ってようやく、幸村はその目を開いた。ぼんやりとしたその瞳が、政宗を捉える。政宗は食んでいた唇を離すが、互いの唇がほとんど触れ合いそうな距離を保って、覚醒する幸村の様子を観察する。どんな反応を見せてくれるだろうか。
「…政宗殿?」
「Good morning、幸村」
幸村のことだから、破廉恥な!とでも叫びながら顔を背けるだろうと政宗は予測していた。幸村のそんな純朴な反応を見るのが楽しみだったということもある。だが、今回は違った。
まだ夢うつつの表情で、幸村は政宗の唇に吸い寄せられるように口付けをした。幸村の意外な行動に驚いたが、成り行きに任せようと思い直す。政宗が動きを見せずにいると、強引に口内へと舌を割り込ませてくる。そのまま政宗の舌を絡め取ろうと、口内を暴れまわる。昨夜の続きのようなその激しさに、思わず政宗も自らその舌を蠢かせる。呼吸が苦しくなって離れようとするが、幸村は離すまいと執拗に追ってくる。ようやく逃れても、頭が甘く痺れるような感覚が残った。
互いの呼吸を感じる距離で眺めているうちに、どこかぼんやりした様子だった幸村の目がしっかりと政宗を捉えたのが分かった。途端に、幸村は赤面する。
「ま、政宗殿っ…!」
動揺して目を白黒させる幸村に呆れるとともに、笑いがこみ上げてくる。どうやら先の目が眩むような口付けは、寝惚けた幸村の欲のままの行為だったらしい。
「おはようのkissにしちゃ、随分激しかったじゃねぇか、幸村」
からかうように言えば、さらにひどく動揺する。あの強引さはどこへいったのかと思えば、責める気にもならない。実際、政宗もあの口付けには満足していたのだ。
「申し訳ござらん…どうやら某、寝惚けていたようで」
「謝ることはねぇ。結構よかったしな」
そう言って、幸村の返答を待たずに軽く口付ける。わざと音を立ててやれば、幸村は動くこともできないで、赤い顔のまま政宗を見つめる。政宗がにやにやと笑いながら眺めていると、ようやく全身の力が抜けたように溜め息をつく。
「政宗殿は狡い。いつもそうやって、某の心を惑わせる…一年前も同じでござった」
「Ah…もう一年が過ぎたんだな」
わざと今しがた気付いたように言うが、政宗とてそれを意識していなかったわけではない。ただ、口に出すのが何だか気恥ずかしかっただけだ。
政宗と幸村が深い仲になったのは、一年前の春のことである。その年の春は今以上に天下の情勢も落ち着いていて、たまたま近くに滞在していた伊達軍と武田軍は、ともに花見に出掛けたのだ。その時のことを、政宗は鮮明すぎるほどに覚えている。
先に仕掛けたのは、確かに政宗の方だった。その頃政宗は、心の中に芽生えていた幸村に対する得体の知れない感情に悩まされていた。
「酔っておられたとはいえ、よもや突然口付けをされるとは。某、あの時は心底驚き申した」
「shit…もういいだろ、その話は」
先程からかわれた仕返しだと言わんばかりに幸村が笑うので、政宗は決まり悪く呟く。
何かが解決すると思ったわけではない。ただあの時は、何となくそうしてみようと思ったからしたまでのことだ。それなのに、それに応えるように幸村は深い口付けを仕返してきた。たぶん幸村も、政宗と同じ煩悶を抱えていたのだろう。そして、政宗からの口付けによって一つの解答にたどり着いたのだ。
今となっては、政宗もあの得体の知れない感情の正体を理解することができた。幸村と戦いたいという思いも、あの時に口付けをしてみたくなった気まぐれも、根を同じくするものなのだ。互いの命を燃やして、その魂を喰らい合いたいという、身に過ぎた願望。それこそが、政宗を悩ませていた感情の姿だった。
いつか必ず終わりが来ると知れた関係は、さながら春の夜の夢のように儚い。それでも、求めずにはいられなかったのだ。
黙りこんで物思いに沈んでいる政宗に、幸村が軽く口付けをした。政宗は目前の現実に引き戻される。幸村は相変わらず、いかにも幸せそうに笑っていた。その笑顔を見て、政宗は安堵する。
「今年は花見には行けそうにありませぬな。昨晩の雨では、もう花も残っておりますまい」
「Ah…そうだなあ」
満開の花だけが美しいのではない、と言ってやりたかったが、幸村が心底残念そうに言うので黙っておく。
「じゃあ代わりと言っちゃなんだが、今日はちっと朝寝坊することにするか」
そう言って政宗がもう一度軽く口付けると、幸村は照れたような顔で頷く。それから、また幸村の方から口付けてくる。今度は先よりも深いものだ。
次に目が覚めたときには、立場を弁えた二人に戻る。それまでは、この儚い夢に遊んでいたい。そんなことを考えながら、政宗は目を閉じて幸村の口付けに応えた。
ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟