BSRで小倉百人一首歌物語
第23首 月見れば(幸村と三成)
「石田殿、少々よろしいか?」
軍議の後、珍しく顔を出していた幸村は遠慮がちに声を掛ける。同盟しているとはいえ、皆が各々の判断で行動している西軍にあって、各国の長が集う軍議が開かれるのは珍しい。その滅多にない軍議が開かれたのは、日の本を二分しての争いが、いよいよ大詰めになってきたからだ。
幸村に問われた三成は、彼の顔を見つめたまま動きを止めた。
この武田の若武者は、どうやら家康との因縁が深いらしい。故に男が血気に逸って家康と対峙することのないよう、家康との最終決戦において武田軍は後詰めにしようと算段を立てていたのだが、さてこの男がそれを大人しく受け入れるか。
正式に打診するより前に、この場で匂わせておいてもよいかもしれない。
そんな三成の腹の中に気付く様子もなく、幸村は三成の返答を今か今かと待っている。
「いいだろう。私からも、貴様に話さねばならんことがある」
肯定の言葉を返すと、安堵したような顔でこちらへ、と部屋を出て縁側へと誘う。その背に黙って従いながら、愚かな男だ、と三成は思う。同盟の際、幸村は師の想いを継ぐために家康と戦いたいと言っていた。その願いは叶わない。三成は自分自身の手で家康の首を獲るという妄執を、何があろうと捨てはしないからだ。
幸村に続いて縁側へ出ると、そこにはすでに徳利と杯が二つ、用意されていた。どうやら思い付きで誘ったわけではないらしい。幸村が腰を下ろしたのを見て、三成も隣に座る。ふと空を見ると、空には弦月が浮かんでいる。あの月が満ちる頃には、もう決着は付いているだろう。そんなことを考えていると、幸村が無言で杯を差し出してきた。三成も無言でそれを受けとる。
「酒は強い方か?」
尋ねながら、三成に酌をする。並々と注がれていくのを眺めながら、三成は答える。
「強い方ではない。必要に迫られたとき以外には口にせんな。…貴様は強そうだな」
「うむ。某も嗜むほどにしか飲まぬが、弱くはない」
今度は三成が酌をしてやる。そうして満ちた杯を互いに軽く掲げてから、口元へ運ぶ。喉を焼くような感覚に顔をしかめながら、三成はなんとか杯の半分ほどを飲み込んだ。対して幸村は、辛い様子も見せずに一息に杯を空にした。
その杯を満たしてやっていると、ぽつりと幸村が呟いた。
「貴殿は強いな」
唐突に放たれた言葉の意味を解しきれず、三成は手を止めて幸村の顔を窺う。幸村が、まっすぐにこちらを見ている。その視線に堪えられず、三成は目をそらしてから言う。
「酒は強くないと言っているだろう」
幸村が言いたいのはそんなことではないと分かっているが、わざと的外れな返答をする。どうしてそんなことをしたのか、三成は自分のことながら不思議に思う。
「そういうことではござらん」
「ならばどういうことだ。言いたいことがあるのなら簡潔に言え」
威圧するように言うが、幸村はそれに怯むこともなく告げる。
「貴殿は心底より慕う主を失ってもなお、仇への復讐のためとはいえ強く生きておられる。某には…真似できぬ」
そう言って、幸村は先程までの気概を失ったように視線を落とした。
幸村の師である甲斐の虎は、床に臥せっていると聞く。状況は違えど、主を失った三成に対して思うところがあるのも、無理からぬことかもしれない。家康の方ばかりを向いていると思っていたが、同時にこの男は、三成のことも確かに見ていたのだ。
勝手に私と貴様を重ねるなとか、強くいられないのは崇め敬う気持ちが足りないからだとか、言いたいことは山ほどある。だが、三成は何も言うことはできなかった。頭を垂れる幸村の姿は、あるかもしれなかった自分の姿に他ならない。
幸村は杯を口に運んでから、続ける。
「某はどうすればいいのか分からない。お館様が倒れた今、その志を継いで某が武田を率いねばならぬことは重々に承知している。だが家康殿に数段劣る将としての器、如何ともし難く…」
「私の前で家康の名を出すとは、いい度胸だ」
幸村の独白を遮って、三成は苛立ちを隠すことなく言う。
「貴様と家康の間にある因縁のことなど、私の知ったことではない。だが、仮にも西軍に属するというのならば、自分を貶めるふりをして家康を賛美するのを即刻止めろ」
「石田殿…」
「何があろうとも家康を伐つ。そうしなければ、貴様はこの先貴様の主に顔向けすることなど永久に不可能だ」
語気を荒げて言い切り、三成は幸村の杯に酒を注いだ後、自分の杯も満たす。今のこの男に、後詰めの話をする気にはなれなかった。
一時でも情にほだされたような格好になった自分を、あの弦月さえもが嘲笑っているように思えてきて、三成は杯を一息に呷った。
月見れば 千々にものこそ かなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟