人魚
12th day[saturday]:the gift from her
「ああ、後は私が」
これで一応全部だと思うけど、と少年が言い。一応何か機密的な(錬金術に関わることで、特に)ものが残っていないか、片付けながら調べておくからもう一晩ここを使わせて欲しい、と言った彼に了承を示した女性がその言葉に頷き。
そして、後は誰が見ても触ってもさわりのないものになったというので、本当に最後の片付けは自分が、と准尉が申し出た。
ファルマンは、そっか、ありがと准尉、と口にする少年に、何か違和感のようなものを感じていた。だが、じゃあオレは汽車の時間があるから、と慌しく東方を後にしようとする彼の背中を見送りつつ、ああそうか、以前に見たときより大人びた顔つきになったのだ、と納得する。まあ、あのくらいの時期は成長が早いから、エドワードとて例外ではないのだろう。ファルマンはそれ以上深く考えることはなかったが、ふと上司格にあたる女性士官を見遣り、軽く驚く。
「中尉?」
呼びかければ、彼女は物言いたげな顔をして、ファルマンを振り返った。
「どうかなさったのですか?」
「…いえ…、ね。なんでもないのだけれど…」
珍しく言葉を濁す彼女は、何を思っているのだろうか。
「…エドワード君の様子が、すこしおかしいような気がして」
「ああ…、あれは…様子が、おかしかったのですか。私はどうも、いつのまにか大人びたなと感じたのですが」
もっと気を回すべきでした、と彼は幾分申し訳なさそうに言う。そんなことはないと応えながら、中尉は気遣わしげに、もう一度エドワードの赤い背中を見た。それから思案げに、視線をめぐらせた。
「…ファルマン准尉。…では、後はよろしくね」
「はい。承知いたしました」
「私も一度司令部へ戻ります」
「はい。お気をつけて」
「ありがとう」
彼女は何かを考えているらしいとファルマンは思ったが、その内容にまでは思いをはせることがなかった。それが無粋だからと思ったわけではなくて、端からお手上げだと理解しているためだった。
「兄さん!」
「アル」
中尉と同乗して司令部へ赴いたエドワードを、最初に向かえたのは彼のたった一人の弟だった。喜色を声に漲らせるアルフォンスに、大人達は微苦笑を浮かべる。
そして、対照的にどこか浮かない顔…いや、どこかやつれたようなエドワードの様子に首を捻る。だが、たぶん慣れない共同生活ゆえの疲労だろう、と大方が納得する。顔をしかめたのはブレダだけだった。
「…少尉?」
そんなブレダに気付いたのは、納得は出来ないが思い当たる節もしっかりとはないホークアイ中尉だった。
「はい?」
はっとしたように、ブレダは表情を改めた。その様子をじっと見つめて、彼から何も聞きだせそうにないことを覚ったのだろう、中尉は軽く溜息をついて、なんでもありません、と言う。
―――ふたりのその様子を、少年が一瞥したのには、彼らは気付かなかった。
「兄さんお疲れ様。でも、本当によかったねぇ、大佐が元に戻ってさ」
「え?…ああ、…うん、ほんとだよな。あいつ超めんどくせぇーの!オレもうすげぇ疲れた」
エドワードはどこか取り繕うように、普段の小生意気な態度でそう答えた。それから、足元の荷物を持ち上げる。大人達はすっかりそれを信じきる。…しか、ない。
「アルは支度とか、出来てるのか?」
昨日去り際に、アルフォンスに出発の準備をしておくよう伝えてくれ、とハボックに頼んでおいたエドワードである。首を傾げて、兄は弟の顔を見上げるとそう確認する。
「うん。…でもいいの?」
だが、頷く弟の言葉の後半は問いかけを含んでいた。兄のどこか傷ついたような雰囲気を、彼は感じ取っていたのだ。だが、なかったことにしようとしている兄に、しかも公衆の面前で本心を問い質すわけにもいかない。それゆえに彼の問いは曖昧にぼかされていた。
「なにが?」
そんな弟の気遣いいは気付かない素振りで、エドワードは逆に尋ねた。殊更に明るく。
「その…だって。すぐにここを発ってしまっていいの?」
「…?変なこと言うやつだな。だって、もうここにいる理由ないだろ」
首を傾げる兄の表情は、包み込むようなやさしさをにじませていた。まるで、会わなかった数日間の間にいくつも年をとったように。
だが不自然だった。そんなエドワードは、エドワードではないだろう。彼のやさしさとはもっと違うものだ。アルフォンスはそのことをよく知っている。今の彼にわからなかったのは、どうして兄がそんな不自然な態度を取るのか…、その原因となるものである。
直接に思い当たることといえば、やはりロイとの共同生活以外に考えられないが…兄は口を割らないだろうし、ロイに至っては覚えていないのだからお手上げだ。
「………うん」
エドワードは弟の体を軽く叩いて、行くぞ、と言うように促す。そうされれば、アルフォンスは従うしかなかった。
「…えと」
エドワードはそれから、見送りに司令部の入口まで出てきた一同を困ったように見回す。その中にあの男の姿がない事に安堵と、それから幾許かの寂しさを覚える。けれどそれらを振り払い、いつもの顔で笑う。
「慌しくなっちゃって、ごめん。その…じゃ、行くから」
「あら、もう?…もう少し待ってもらえたら、大佐も来られると思うのだけど」
何だかんだでやさしい女性は、腕時計を確認しながら眉根を寄せる。それにはいいよ、と首を振って。
「でも、汽車の時間があるから」
「そう…残念ね。ああ、でも、駅までは送らせて?」
「え?…いいよ、そんなの…悪いよ」
いいえ、と今度はホークアイが首を振る。
「それはこちらの言うことだわ。エドワード君には、どれだけ感謝してもしたりないもの」
彼女は珍しくも微笑んで、そしてほんの少しだけ腰を屈めた。
「ありがとう」
「………どういたしまして」
顔を覗き込む女性に、最初は戸惑いの表情を浮かべたものの、エドワードは目をそらすことなく顔を上げ、そして落ち着いた顔でそう返した。
「―――ブレダ少尉」
彼女は姿勢を正すと、そこに居た男達の中からひとりを名指しで呼んだ。
「エドワード君とアルフォンス君を、駅までお願いできますか?」
ブレダは一瞬、本当に一瞬だけ微妙に目を眇めた。が。
「はい」
返答には、特に揺れた響きは含まれていなかった。
ちょうど入れ違いのように、エドワード達が去ったすぐ後、かなり慌ててロイが出てきた。
「鋼のは?」
彼はいささか落ち着きなくきょろきょろしながら、副官に尋ねる。
「ちょうど今しがた」
「…そうか」
挨拶し損ねたな、と彼は溜息。
…ちょうどエドワード達が帰る頃合になって、タイミングを見計らったかのように中央から下らない電話がかかってきた。これが例の悪友なら事情を話して通話を終えることも出来たが、正真正銘いろんな意味で「下らない」電話だったため、丁重にお応えする必要があったのだ。
おかげで、エドワードを見送り損ねた。
いや、普段は特にそんなことをしていないが、今回は事情が事情である。やはり、改めて礼のひとつも言っておきたかった。
「…中尉」
「はい?」
「…彼は、…その、君の目から見て、の感想で構わないんだが…」