人魚
アルフォンスは静かに聞いていた。そしてゆっくりと首を傾げると、激することなく答えた。…というか、尋ねた。
「…大佐って、年収はいくらくらいですか?」
この質問にロイは面白そうに目を細め、エドワードはずるりと体勢を崩した。
「おい、アル?」
「兄さんは黙ってて。大事なことなんだから。…えーと、後…念のためお聞きしますけど、内縁の奥さんとか、お子さんとかは勿論いらっしゃらないですよね」
「アル!」
エドワードはもう、弟がおっとりと口にする内容が信じられない。一体何を考えているのか、この弟は。…アルフォンスは、ある意味でエドワードが認める好敵手的な存在なわけで、その優秀さは誰より自分が一番よく知っている。
だが、その時の弟の思考はさっぱり読めなかった。
「それから―――、ええと、そうだ、大佐って休暇はどういう制度になってるんですか?年休は何日くらいあるのかな。後は…、ご両親が健在かどうかと、ご兄弟がいるかどうかと…ご家族全員のご職業と…年齢と…」
アルフォンスはやたらと真剣な様子で指折り数え始めた。
「後…、今までにかかった病気の経歴とか…」
「アルフォンス!」
とうとう、真っ赤になったエドワードが遮った時には、アルフォンスは結構な条件を持ち出していた。これなら普通に反対されたり、辛いけれど軽蔑された方がマシなような気がする。あまりにも居たたまれない。
―――と、噴出す声がして、振り向けば、顔を押さえてロイが笑っていた。
「…大佐?」
「…ああ、…いや、すまない。…いや、本当に君達は仲のいい、いい兄弟だね」
このコメントに、二人はとりあえず沈黙した。ロイは笑いを収めると、目を細めて口を開いた。すこぶる似合わない表現だが、不思議と慈しみに満ちた目を彼はしていた。
「正確には把握してないが、年収は多分、君ら兄弟を今すぐ引き取っても余裕で生活できるくらいにはあると思うよ。君らに衣食住を約束できるくらいにはね」
「………おい…?」
「ああ、それから。隠し子なんていないから安心してくれたまえ。どういうわけだか私はその方面で随分信用がないらしいが、そもそもそんな暇がないからな。知っているかどうかわからないが、数年前まで前線にいたんだよ、私は」
「…おい、…大佐」
「休暇はとりあえず、支給はされているがね、毎回使えないままというのが現状だな。まあ…でも、今回はその分大いに使用できたがね」
「…おい、大佐ってば!」
「…なんだね、…エドワード?」
「…!!な、名前呼ぶな!」
エドワードは目許をかっと染めて怒鳴る。
「どうして?」
だがそう問い掛けるロイは、ひたすら面白そうに目を細めるのだった。そして、自分の向かい側に並んで座る兄弟を、等しく見つめる。
「……聞くな!」
「…。大佐」
「なんだい」
「…。本当に、真剣なんですね」
あんまり信じたくなかったけど、と鎧の少年は苦笑まじりにそう言った。それに笑って、ロイは答える。
「そう言っただろう?」
晴れやかな男の態度に、アルフォンスは溜息。それから、しょうがない、という空気を滲ませて言う。
「まあ、究極、そういうのは本人同士の意思の問題だと思うわけなんで…」
「…あ、アルぅ…?」
エドワードだけがやはり事態についていけなくて、びっくりした顔で弟を見上げている。
そうしているとなぜかあどけなくさえ見えて、ロイは、ああ、随分と自分は余裕のない行いをしてしまったのだ、とすこし反省した。
…本当に、すこしだけ。
「兄さんがいいなら、まあ、いいのかな。と。最終的には」
「……ありがとう、と言っていいのかな?」
「それはちょっと気が早いんじゃないかな。お付き合いはしょうがないと思いますけど、それは兄さん個人の意志に任せますけど!…でも、あんまり深い関係になるようなら、やっぱりボクにも一言相談してもらわないと」
兄の幸せは祝福したい。
だが、相手が素直に祝福出来ない人間の場合、そこは微妙だ。
「兄さんにとってよくないと判断したら、ボクは断固反対しますから」
覚えておいてください、とアルフォンス。
「手厳しいな」
それに、了解した、とロイが返し。
「まあでも、今は。兄さんが嫌じゃなくて。大佐が、兄さんを真剣に、そういう風に思ってくれてるなら…」
エドワードはただ呆然と、なんだかよくわからない頭上のやり取りを聞いていた。但し理解はしていなかったが。
「―――ボクがとやかく言えることでもないでしょ?」
器用に肩を竦めて、アルフォンスは殊更軽い調子でそう言い放った。そして案外手の掛かる、どうにも目の離せない感が拭えない兄を見遣る。エドワードがしっかりしていないとは思わないが、トラブルメーカーであることは間違いない。だから、それゆえに心配してしまうのも、やはり仕方のないことだった。
「兄さんは結構な問題児ですからね―――」
そして冗談めかして、彼は言うのだった。
「これからはそのトラブルの半分くらいは、大佐が受け持ってくれるわけなんでしょ?ちょっと寂しいかもしれないけど、楽になるのは、本当のことだからなあ」
きっと生身の体があったなら、彼はにっこり笑ってそう言っていたのだろう。
性格の良さと人の良さが必ずしも比例しない具体例、とでも評したくなる面を、彼はもっていた。アルフォンスの性質が善良であることはまったく疑いのないことだったが、だからといって彼が甘くお手軽な人物だ、ということではないのだ。まあ、あの兄にしてこの弟とでも言おうか…。
「…努力しよう」
随分と度量の大きいことを言ってみせたアルフォンスに、ロイは苦笑して軽く頭を下げた―――…。
エドワードの回想はそこで終了した。
そして、改めて目の前の二人を見る。
「………はあ…」
「どうした?」
「どうしたの?」
自分を覗き込んで尋ねてくる二人に笑いがこみ上げる。そして、くすくす笑いはすぐに大きなものになり、エドワードは二人を見上げる。
「おい」
そして、笑顔のままえらそうに声を掛ける。
「―――いい天気だし、今日は目一杯遊ぶぞ!」
「…はぁ?」
兄さんどうしたの、寝ぼけてるの、とアルフォンスが問えば、ロイも心配そうに眉をひそめて手を伸ばす。
「大佐は財布!」
「はっ…?」
「中尉が言ったじゃん。目一杯振り回せって。今日は大佐は荷物もちで財布な!アル、なんかほしいもん買ってもらえ!じゃんじゃん買わせろ」
いたずらっ子そのものの顔で笑いながら、エドワードは宣言した。そうかと思えば、瞬きするロイの隣で、アルフォンスが、そっかあ、じゃあねえ、とおっとりだが早速考え始めている。それにいくらか驚いて振り向けば、彼は鎧の人差し指を突きつけられた。
「じゃあ、大佐、ボク猫がほしいなぁ」
「はっ?…猫?」
「勿論ボクらが旅に出てる間の世話もお願いしますね」
にっこり、とか音がしそうなにこやかな声でアルフォンス。なかなか侮れない少年だ。
「おうおう、何でもねだれ。犬もつけたらどうだ」
「犬か、犬もいいよねぇ。ブラハみたいなのいいよねぇ」