冬の旅
誰とも喋らない日々が続き、ジェームズの口は用がないと判断したかのように緩慢にしか動かない。何も知らない両親は息子の変わりようを心配し、騎士団の活動を自粛するようことあるごとに忠告する。
ジェームズはTシャツを着ると、ソファに座って目を閉じた。スネイプが過ごした空間の中で、わずかな睡眠をとることが日課となっていた。
チリンチリンと呼び鈴の音がしていた。
ハッと気づくとまだ目を閉じてから20分も経っていない。ジェームズは足をもつれさせながら玄関に向かった。
「セブルス!」
勢いよく開けた扉の向こうにいたのは、困ったような顔のリーマスと怒り心頭のシリウスだった。つきあいが長いとこういうときに不便だ。相手が何を考えているのか知りたくなくともわかってしまう。
「何やってんだ」
シリウスの怒った顔にジェームズは「別に」と言って目を伏せた。親友とはいえ、今は誰にも会いたくなかった。無言で扉を閉めようとすると、それを見越していたかのようにシリウスがリーマスを押しのけ足を入れる。
「お前、何考えてんだよ。何回連絡したと思ってんだ? 無視すんな」
胸ぐらを掴みそうな勢いでシリウスはジェームズに迫った。
「ちょ、ちょっと、シリウス、待って。ジェームズ、どうしたの? ひどい顔色だよ。まさか病気?」
「帰ってくれないか」
取り付く島もないほど冷たい声でジェームズは言った。初めて聞く声音に一瞬二人は固まる。このような冷たさは自分たちに向けられるものでは決してなかったはずだ。
「お前、1ヶ月近くも人を無視して、その態度かよ。・・・ひどい顔だな」
言いながら、シリウスはジェームズを押しのけて部屋に入った。シリウスの強引さには誰もが慣れている。何を言っても無駄だし、逆らおうとしたら取っ組み合いのケンカをするか、正式に決闘をするしかない。
しかし、ジェームズとシリウスの絆は付き合いの長さに比例して例えようもなく強固で、誰よりも互いのことを理解している。それはリーマスが疎外感を覚えるほどだ。
このときもリーマスはジェームズが一歩譲ってシリウスの訪問を受け入れたのだと思った。だから、ジェームズが杖を手にシリウスに「帰れって言っただろう」と声を震わせたときには気が動転してしまった。振り返ったシリウスの瞳が最大限に開かれたのを目にしたのにも心にズキンときた。
「お・・・前、俺に杖を向けるのか」
「帰ってくれないか」
張りつめた空気にリーマスは身動きもできない。まさか杖が出てくるなんて! 声が喉に絡み付いて、口を開けど何も言葉にならなかった。
こんなつもりで、ここに来たのではなかった。シリウスと二人、ジェームズは色ボケだと笑った。めったにないジェームズのご乱行を本気で疎ましく思ったわけではなく、そろそろ騎士団の通常業務にも手を貸せと半分からかいに来ただけだった。
それなのにドス黒い顔色で目だけをギラギラさせてジェームズはシリウスに杖を向け、信じられないものを見たシリウスの声はひどく掠れていた。
「俺に杖を向けるのか、ジェームズッ」
「シリウスッ、動かないでっ」
リーマスはシリウスの怒声を耳にした瞬間に叫んでいた。ジェームズの背中がビクリと動き、シリウスの黒い目がリーマスを捉えた。
「シリウス、動かないで。杖なんか出したら冗談じゃすまないよ。ジェームズも落ち着いて。シリウスが勝手にあがりこんでごめん。僕たち、話をしに来ただけなんだ。ずっと騎士団に顔を出してないからどうしたんだろうって思って。話を聞いてもらえないかな」
穏やかな声でゆっくり話すよう注意してリーマスはジェームズの背中に語りかけた。白いTシャツの中で身体が泳いでいた。たった1ヶ月かそこらで随分痩せたようだった。明らかにイラついているピリピリとした雰囲気が伝わってくる。
痛いほどの沈黙の中、シリウスが杖を取り出そうとしていないことだけが救いだった。少しでも動いたらジェームズは杖を使うだろう。それを否定できない雰囲気にリーマスは緊張し、瞬きをするのも意識しないといけないほど身体が強張っていた。
大きくため息をついたジェームズは杖を下げ、無言でシリウスの横を通り過ぎた。
リーマスは無意識のうちに力が入っていた身体の強張りを解き、背中で押さえていた扉を閉めて中に入ると、唇を噛みしめているシリウスの肩を優しくたたいた。
「杖を出さないでくれてありがとう」
「あいつ、俺に杖を向けた」
シリウスは無表情だった。ショックを受けすぎると表情が消えることをリーマスは知っていた。まさかジェームズに杖を向けられる日が来るとは。長い付き合いの中でもチラとも考えたことはない。リーマスはそっとシリウスを抱きしめると回した手でゆっくり背中を撫でた。
「何かあったんだよ。そうに決まってる。行こう、シリウス。話を聞かなきゃ。今頃ジェームズも後悔してるよ」
ジェームズは見たこともないうつろな顔でソファに座っていた。窓の外を眺めているが何を見ているのかわからない。焦点があっているのかも怪しいところだった。リーマスたちが部屋に入って行っても身じろぎもしない。
「ジェームズ、お邪魔するよ」
リーマスは変わり果てた親友を注意深く観察した。パッと見ただけでもひどい顔は目が落ち窪み、色濃く隈ができていた。唇がかさかさに乾き、顎のあたりはこけたように尖っている。一月前まで、いや今までに見たこともないやつれようにリーマスは眉を寄せた。
振り返るとシリウスはダイニングの椅子に座り、ぼんやりとジェームズを眺めている。こちらもショックが大きくて気持ちを整理できていなんだろう。親友に杖を向けられては怒るより衝撃のほうが強いに違いない。
「ジェームズ、スネイプは?」
まずはあたりさわりなく本人以外のことから話を始めようと家主の名前を出したが、それが地雷だと気づいたのは随分後になってからだった。
「帰ってくれないか」
「わかった。スネイプに挨拶したら帰るよ」
尋ねたことに返答もせず見向きもしないジェームズに微笑んでリーマスは穏やかに言った。今は何を言っても心に響かないと思ったこと、杖まで出してシリウスを拒絶したこと、それによって話をする雰囲気はなくなったこと、すべてを総合して帰るしかないと結論づけたが、せめてスネイプから何か聞けないかリーマスは期待した。
ふいにリーマスに目をやったジェームズは無表情に「僕は帰るからセブルスが帰ってきたら教えてくれ」と言って立ち上がった。
「えっ、そんな。僕たちだけがここにいたらスネイプが驚くよ。一緒にいて欲しいんだけど」
慌ててリーマスはジェームズに近寄り、機嫌を取るように軽く腕を叩こうとしたが、パシンと音をたてて振り払われた。
「八つ当たりはやめろ」
シリウスの低い声が部屋に響く。リーマスが振り返るとシリウスがきつい眼差しでジェームズを睨んでいた。また杖でも出るようなことになったらどうしようとはらはらする。
「いいんだ、シリウス。僕が無神経なことを言ったから」
「何もそんなことは言ってない。黙ってろよ、リーマス。こいつ、ちょっとおかしい」
シリウスはジェームズを顎でしゃくった。