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冬の旅

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 皿を差し出すとヴォルデモートの姿をした別人は「ありがとう」と言って、優雅に食べだした。あれほど腹がすいたと言っていたくせに、ゆっくりとスプーンを口に運んでいる。スネイプは椅子に腰掛け、少し離れたところからその姿を見ていた。
「ところで、君の名前を知りたいのだけど。私は聞いたことがあるのかな。もし何度も言わせていたら悪いんだけど教えてくれるかい?」
 本当にこれは誰なんだろうと悪い夢を見ているような気になる。どこからどう見ても金髪の美男だったし、文句なくジェントルだった。
「セブルスです」
 スネイプは疲れたように言った。実際、混乱しすぎてなんだか頭の中がぼんやりする。
「セブルス・・・・・・?」
「スネイプです」
 促すように問われて答えると微笑まれ、スネイプはまた少し疲れた。
「オーケー。セブルス、これからよろしく、でいいのかな? 君は私のサーヴァント?」
「はい」
 ありがとう、と言って、ヴォルデモートは空になったスープ皿をスネイプに差し出した。
「とても美味しかったよ」
「もっと召し上がりますか」
「うーん、止めておこう。いきなりたくさん腹に入れるのもね、よくないだろうから」
 受け取った皿をスネイプはシンクに運び、意識していつもより丁寧に洗った。波打っている気持ちを少しでも落ち着けたかった。
「私はどうしてここにいるのか、わかるかい?」
 まさか人一人、始末のつけ方が悪いと咎めに来たとも言えず、スネイプをサーヴァントと思っているならば言えることはひとつだった。
「ここは私の家なのですが、たまたま近くにいらっしゃったということでお寄りになったんです。一週間前に頭痛がすると突然倒れられました」
「そうか。どうやら相当迷惑をかけてしまったようだね。いつも頭痛の後は記憶がないんだ。早々に屋敷に戻るよ。セブルスはどうする?」
「え?」
「ここにいるってことは休暇かなんかなんだろう? もし都合が悪くないのなら一緒に戻ろう。ああ、それとももしかして私は悪い主人だったのかな、君に嫌われるような?」
 なんとも答えにくい質問を無邪気にしてくれる。何も知らない人なら、目の前の紳士に喜んで仕えるだろう。実際、何事も受け止めてしまいそうな大人の器量を感じさせるヴォルデモートに魅了されている。骨まで震えるような酷薄さを漂わせていたときでさえ、スネイプは圧倒的な美貌に心惹かれるものを感じていたのだし。
 結局、肯定することも否定することもできず、スネイプは曖昧に微笑んだ。否定しても肯定しても、それは何か違うと思ったからだった。また、そうできるだけの穏やかさがあった。悪人、善人、どちらであっても『名前を言ってはいけないあの人』という存在の立ち位置は変わらないし、スネイプにとって必要な人なのだ。
「少しの望みを持って聞くのだけど、君が私のサーヴァントになってから日は浅い?」
「はい」
「半年くらい?」
「まだ半年にもなっていません」
 心はずたずたになっていたとしても、実際には少しの時間しかたっていないのだった。
 ヒュゥとヴォルデモートは口笛を吹いた。それはちょっとばかり上品さを損なうものだったのだが、かえって親しみを持てるフランクさだった。
「それは幸運なことだ。私の名誉も挽回できるチャンスはまだまだあるということだね。君に良い主人だと思ってもらえるよう振る舞いには気をつけるよ。それにまだ数ヶ月しかたっていないというなら私たちはもっとお互いを理解し合わなくては」
 肩から滑り落ちそうになったショールを直しながらの言葉にスネイプは、こうなれば目の前にいる美貌の男は『名前を言ってはいけないあの人』とはまったくの別人だと考えようと思い、それに合わせて自分も別人になろうと思った。酷薄な男とはすっぱり切り離し、たとえ一時のことだとしても普通の主従関係になれるならば、それはなんて心休まることだろう。またすぐにやってくる頭痛までのわずかな時間を現実逃避して過ごして何が悪いのか。ある意味、この人だって同じことをしているのに。
 今のこの人に『あの人』の所業を理解させたとしたら、きっと自ら命を絶つと信じられた。それほどまでに、善人なのだと哀しいまでに体現しているこの人に何も知らせず、その存在にも目をつぶり、悪人のみを意識して、ただ一人のためだけにこの人が他人の手で抹殺されることを望む自分はあの人より醜い。奇跡的にずっと善人のままでいたとしても、わずかな確率のためにこの人のそばからは離れられないし、輝く容姿と柔らかな物腰にすでに心は同情を覚えていたがこの人を見殺しにすることに躊躇はない。結局一番エゴイストなのはスネイプなのかもしれなかった。
「お屋敷の場所は覚えておいでなのですか?」
「もちろん。不思議なことに忘れたことはないんだ。それはそうと一緒に戻ってもらえると嬉しいのだけど?」
「サーヴァントにそのような丁寧な口調は必要ないと思いますが」
 スネイプのその言葉に美貌の男はくすっと笑った。
「いやいや、私は日常生活ではセブルスを呆れ返らせていたと思うんだ。記憶にある限り、一人で生活できていたことがない。君が何番目かはわからないけど、頭痛から目覚めるたびにサーヴァントが変わっているんだ。きっと私が至らないせいだろう。ここで見放されたらまた私はサーヴァント探しから始めなくてはいけない。それはとても大変なことだし、私のサーヴァントはセブルスがいいんだ。いくら私が主人だったとしても、君がいなくては困るのは私なのだから丁寧にお願いするのは当然だと思うよ。だって、セブルスみたいな器量の良い子はどこででも雇ってもらえるに違いないんだから」
 そう言って楽しそうに笑う男に思わずスネイプは尋ねていた。
「お名前はなんとおっしゃるのですか」
 その唐突な問いに魅力的な男は、やっぱりね、とわざとらしく肩をすくめた。
「そうだと思っていた。きっと私は名前を言ってないんだってね。マスターなんて味気ない呼び方をさせているなんてセンスがない」
 そこで「悪いけど水をくれないか」と言われ、急いでグラスを手にしたスネイプだったが、そう言えばこの人は病み上がりだったのだと思い出した。
「すみません。お疲れではないですか。お話は明日にしましょうか?」
「いや、いいよ。少し口が渇いただけだ。頭痛の後はいつも気分は最悪だけど、なんだか今日は冴えている。少し愉快なくらいだ」
 差し出された水を口に含み、ゆっくりと嚥下した後で、ヴォルデモートはそう言った。
「自己紹介をしよう。ファーストネームはトーマス。少々見てくれが派手なものだから、どこにでも転がっている名前で良かったような残念のような。もっと凝ったきらきらしい名前がいいとか勝手なことを言われるんだ。だからと言って、アルフレッドとかローレンスが良かったなんて思っているわけではないよ。要はトムって呼んでくれればいいって話なんだけど、きっと君は主人をそんなふうに呼べるはずないって考えるんだろうから、ここは主人の命令で『トムと呼びなさい』って言っておく」
 その言葉にスネイプはせき込むように反論した。
作品名:冬の旅 作家名:かける