冬の旅
「だから今日の昼食なのさ。そこで話そうと思ってる。たぶん反対はしないだろう。僕がそれなりに狙われていることを知っているし、足手まといにはなりたくないと父は常々言っているから。明日から引っ越し準備だ。それくらい許してくれるだろう?」
そういわれてしまうと困るとも言いにくく、ジェームズ一人のことではないため勝手だとも言えない。そもそも騎士団員の半分以上は近親者を疎開させているはずだ。それに文字通り、ジェームズの父親はすこしばかり足が悪い。
「引っ越しったって魔法でドンと一発だろ。そんなに時間がかかることなのか?」
「僕の母を見くびってもらっては困るよ、シリウス。とにかく面倒臭いんだ。無理難題が雨あられと降って湧いてくる。まさかそれを父一人に押し付けるわけにもいかないし。リーマスならわかるだろう?」
同意を求められ、リーマスは頷かざるを得なかった。まったくもってその通り、ドレアのこだわりは男性には理解できない。ボウルの置き方一つ、小麦粉の種類一つをとってもとにかく細かい。『面倒臭い』のは確かなのだろうがおかげでポッター家はいつも綺麗に片付けられ、手作りのものがあふれて、春ともなれば庭は花が咲き乱れている。
依然として違和感はあったが理由はきちんとしたものだし断るようなことでもなかった。
「いいじゃない、シリウス。少しは僕らでなんとかしようよ。引っ越しが終わったらジェームズも顔を出すって言ってるんだし。そうでしょ?」
「もちろん」
ジェームズはしっかりと頷いて、なおも疑わしげなシリウスに苦笑した。
「そういえば今日は珍しくピーターが来ていたね」
話がひと段落したと判断したのか、もう反対意見は聞く気がないという意思表示なのか、ジェームズが話を振った。
「ずっと隠れてたのにな」
「僕が家にいればいいって言ったんだよ。ここだけの話、ピーターは早いうちからかなり怖がっていたし、こういう状況に向いてないから」
リーマスの言葉にシリウスは同意を示しつつも「誰が向いてるってんだよ」と言った。
「ピーターが臆病なのは悪いことじゃないよ。それだけ慎重でもあるんだから。ヴォルデモートにつかまらないだけでも良いことだ。それぞれできることをやればいいさ」
ジェームズはそう言って立ち上がった。
「そろそろ行くよ。悪いけど、みんなにはうまく言っておいてくれ。それじゃ」
軽く手を上げてジェームズは部屋から出て行った。残された二人は視線を合わせ、どちらともなく口を開いた。
「今の話は本当だと思うか?」
「疑っているの?」
問いに問いで答えたリーマスは首をかしげた。
「どうだろうな。別に疑ってるつもりはないが全部本当ってこともなさそうだとは思う」
「うん、なんだろう。落ち着いてるんだけど、それって吹っ切れたというか悟っちゃってるっていうか、そんな感じ。でも投げやりって感じでもないんだよね」
「まぁいい。俺たちがあいつに寄りかかりすぎだっていうのは否定できないしな。息抜きは必要か」
どこか自分に言い聞かせるような言葉にリーマスも同意した。そして忙しげに瞬きを繰り返した。
「スネイプのことはどうする? 黙ったままで大丈夫かな」
チッと舌打ちをした後、シリウスは盛大なため息をつき、思わずといった体で髪を掻き乱した。
「さっさと言っちまえば良かったよな。隠しておけることでもないのに言い逃した」
「そうだね」
隠してもどうせバレることなら先に言ってしまったほうがいいとシリウスは考え直したのだが、結局話すことなくジェームズは去ってしまった。
「仕方ないか、週明けって何日だ?」
ちょっとの間宙を睨んで計算したリーマスは「今日は3日だから・・・・・・8日だね」とシリウスに目を向けた。
「8日の朝一番に言おうよ。僕らの間で隠し事はなかなかできないし揉める前に知らせたいよ」
スネイプのことを二人以外から知らされて、なおかつそのことを二人が知っていたとなったら、ジェームズは深く傷つく。スネイプのことに関してはもう十分過ぎるほど傷ついているのにこれ以上何かあってはひどすぎる。
「そうだな」と曖昧に頷いたシリウスはふいに左手を伸ばしてリーマスの手首をつかんだ。
「お前はいなくなるなよ」
その声はリーマスの意識の深いところを刺激して言葉が喉につかえた。手首をつかむ男らしい手の甲にリーマスはそっと口づけた。
ジェームズが両親と食事の約束をしているのは本当だった。ただ、それは来週の話だ。
今日は3月3日。
手紙とも言えないメモを受け取った日から今日を待っていた。ことあるごとに手帳に挟んだ紙切れを眺め、面倒くさいことはすべて彼方に追いやって、ひたすら待っていた。ヴォルデモートの印章が刻まれたロケットで送ってきた以上、セブルスが一人でやってくるとは思えない。だが、気が狂うほど切実に待っていた。
どうしてヴォルデモートの元へ行ったのか。どうして黙ったまま去ったのか。どうして、どうして、どうして。考えればきりがない。
だけど、もうそんなことはどうでもいい。ただ会いたい。一目姿が見たい。存在を感じたい。セブルスが足りない。叫び出すほど渇望している。
好きだ、好きだと口にしていた頃はもう遠い昔のことのようだった。まだ1年もたっていないというのに。
ジェームズは家に戻るといつものように簡単な昼食をとった。母のドレアが一緒だった。リンゴとチーズ、温かな野菜スープとバターをたっぷり塗って焼いたコーンパンというメニューだった。アップルパイがどこかにあるはずだったが、ドレアはジェームズに食べさせることを諦めたらしい。
「ジェームズ、今日どこかへ出かける?」
「うん」
「薄力粉がなくなりそうなの。出かけるなら買ってきてくれないかしら」
「いいよ」
薄力粉にも種類がたくさんあるが、ドレアがジェームズに頼むときは決まった1種類しかないのでややこしい説明も間違いもない。
「夕飯に間に合わないかもしれないけどそれでもいい?」
「いいわよ。どこに行くの? 騎士団?」
珍しくドレアが行先を聞いてきたが、ジェームズは「違うよ」とだけ答えた。ドレアも別に詮索するつもりはないようで話はそこで終わった。
「このチーズ、あんまりおいしくないわね」
「そうかな」
「グウェン商店が閉店したのよ。あそこのチーズ、おいしかったのに」
そう言いつつ、ドレアは大きなチーズの塊を口に放り込んであっという間に飲み下した。
「ああ、グウェンのおばさん、ついに店を閉めたのか」
「だんなさんの調子が悪いそうよ。なかなかお薬が手に入らないらしいわ。あなたも気をつけなさい。ただの風邪だと甘く見てると痛い目に合うから」
代々グウェン一家が営むグウェン商店は数種類の乳製品を扱うだけの小さな店だが創業600年弱の歴史を誇る。今の主人、ジェフリー・グウェンは年末に鼻風邪をひいたのだが薬を飲まずに放置していたのが悪かったのかそれが長引き、ついには肺炎を起こして高熱にうなされていた。それが少し良くなってくると、今度はウイルス性の胃腸炎にかかり、弱った身体をさらに弱めてしまった。こうなるとなかなか栄養も取れず、今では眠ってばかりいるという話だった。