冬の旅
気を付けるよ、とジェームズは心配するドレアに頷いた。
食事を終え、部屋に戻るとジェームズは淡い水色の襟がついた白いシャツに着替えた。カーキのコットンパンツに藍色のカーディガンを合わせる。今の季節には寒すぎるかっこうだったがコートを羽織れば問題はない。ジェームズにはこの白いシャツを着る理由があった。
自分ではわからなかったが白いシャツは良く似合うらしく、特にこの襟が淡い水色になっているシャツを着るとセブルスが喜んだ。まるでいたずらを仕掛けるかのように意味もなく襟を軽くひっぱられたのはいつだったか、そのときに「ああ、このシャツが気に入ったんだな」と思った。ただそれだけだ。本当のところは知らない。もしかしたらジェームズの思い違いかもしれなかった。他人が聞けばどうでもいいことなのだと思う。それでもこのシャツはジェームズにとって特別になった。
着替え終わるとジェームズはベッドに腰掛けた。メガネをとって眉間を指で挟んで強めに揉む。度がすすんで合わなくなっているのかもしれない。目が疲れやすくなっていた。このところ、ジェームズは自分の部屋にいるとき以外では必ずメガネをかけるようにしている。
4日前メモを受け取った後、メドウス家を訪ね、婚約者だったというソフィアの両親に会った。その後、宵が迫っていたにもかかわらず閉店間際の床屋に滑り込んだのは道々考えていたことだった。
少し短めに刈り上げてもらい髪の分け目を変えもらったジェームズは今までとは雰囲気が異なり、思慮深く見えた外見はさらに深みを増して分別のつく堂々とした大人の趣を醸し出していた。それにメガネをかけてしまえば、荒れた内情を悟られることはまったくないと言って良かった。細心の注意さえ払えばシリウスたちにさえ気づかれることはないと確信していたし、感づかれるようなヘマをする気もなかった。
ジェームズは自分が何をしようとしているかわかっていた。約束の日が近づいてくるにしたがって、やれるはずはないと思っていたことが徐々にひっくり返っていった。やれるかもしれないと一度でも思ってしまえばもう引き返すことはできなかった。今このときでもやる気はなく、やってはならないとわかっていても、そのときになればおそらく自分では止められずにやるんだろう。
容易に想像がつく。セブルスの手を取ってすべてを捨てる姿が。
狂ってるとジェームズは一人嗤った。
「僕は狂ってる」
声に出して言ってみると気が楽になった。狂人なら仕方ない。友人たちを欺いても仕方がない。裏切り者と呼ばれる男の手を取っても仕方がない。世界が壊れることを祈っても仕方がない。
部屋は用意した。淡いオレンジの壁紙を貼り、同じ色のカーペットを敷いて、丸い小さなテーブルを置き、椅子は2脚。ベッド、クローゼット、カレンダー、電気ポットに押し花を飾った壁掛け。淡い色の数個のクッション。ちょうどの時間に小さなリスが顔を出す壁掛け時計。音楽を奏でる飾り絵皿。部屋の主がすごしやすいように気を使われた部屋だと誰もが一目でわかる。しかし、カーテンの向こうに窓はない。
「僕は狂ってる」
ジェームズは呟いてメガネをかけた。ジェームズの自室には春を思わす日差しがさんさんと降りこみ、すべてを明るく照らしていた。その中で人工の明かりだけが頼りの暗い部屋を思い、ジェームズはやりきれなさに瞳を閉じる。後悔はしない、と強く思った。
スネイプのために用意された部屋は梯子を下ろさないと出入りが出来ない地下室だった。
スネイプは気を引き締めていた。ともすれば、ふわふわと飛んでいきそうな意識を必死に繋ぎ止め、普段通りを心掛けていたが成功しているとは言い難かった。
3月3日。恐れながらもこの日を待っていた。心臓をぎゅっと掴まれたような心地で待っていた。会うことはないと覚悟をしていたのに会える。それはあらためて『死んでもいい』と思うには十分すぎる幸運だった。
ヴォルデモートの印章がついたロケットで送った手紙。サインをする手が震えた。明らかにジェームズを危険に晒すとわかっていても書かざるを得なかった。
なんのためにこんなことをしたのか、もちろんヴォルデモートからの説明はない。十中八九、一気に片をつける布石だろうと思う。こちら側の魔法使いたちも増え、おそらく騎士団より多いはずだ。数に物言わせての攻撃ができるまでではないだろうが、あわよくばと考えてもおかしくない。何よりヴォルデモートの我慢が限界に近づいているように見える。この一進一退の状況に焦れている。トムのときでさえ、落ち着かなげに指先でソファをたたいている姿を何度も見かけた。
見つけたカトマンズの騎士団アジトはすでにからっぽになっていたし、次に目をつけたマナリーでは騎士団のアジトは今だ見つかっておらず、偶然見つけたキャリーロード沿いのアジトにいた女は考えもなしに殺害されていた。おかげで何もわからず、そのことがヴォルデモートを不機嫌にさせているに違いなかった。
それに加えて、数名の仲間の行方がわからなくなっている。その中にはナギニを贈呈したワルデン・マクネアが含まれており、その点に関してはヴォルデモートも気にかかるようだった。なにせ彼は動物という動物の生態に詳しかったので、ナギニの専属医師のようなものだからだ。もっともナギニは丈夫でめったに医師を必要としなかったが繁殖期が迫ってきている今、必要な存在ではある。ナギニは気が高ぶると凶暴になり、誰彼構わず何にでも噛みつく。それを魔法とちょっとした薬で抑えられるマクネアは子孫を残そうと気が荒くなるナギニを上手く扱うことができるに違いなかった。
ヤックスリーも姿を見せない。いつもしかめっつらをしていて、スネイプを見る目は不快感に溢れている男はそれもそのはず、名家の出だ。純血が何よりも大事だという考えだが、それに関してスネイプは納得をしている。確かに純血というのは素晴らしい。ジェームズも純血だ。
今日、ダンブルドアではなくジェームズを指名したのは彼が鍵だからだろう。憶測でしかないのはヴォルデモートが指示したからに他ならない。しかし、外から見ているとよくわかる。ダンブルドアが指図していようと彼が中心だ。それは疑う余地もない。人は彼の周りに集まる。
スネイプはそわそわと壁時計を見上げた。14時15分。もうすぐ、もうすぐ会える。自分がやってしまったことで罵られ、愛想をつかされたとしてもスネイプはジェームズに会いたかった。冷たい氷のような目で蔑まされるとしても、そのことに恐怖を覚えるより会いたい気持ちが勝っていた。
『ねぇ、セブルス』
呼びかける優しい声の響きが好きだった。蒼い瞳にはいつも自分の姿が映っていた。それはなんという奇跡!
スネイプは立ち上がり、クローゼットの前で少し思案してから、淡い黄色のブラウスとカーキの綿パンを取り出して着替えた。これに紺色のジャケットを羽織れば寒くない。たとえ寒さに震えることになるとしてもそれがなに?