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冬の旅

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 思ったとおり、隣の部屋のソファに腰掛けていたのはヴォルデモートだった。前回とは異なり、白のポロシャツにカーキのコットンパンツ、足元は素足にサンダルというラフなかっこうながら、上背のあるスタイルの良さと滅多に目にすることのない美貌は少しも変わらずどんな者でも虜にする魅力を発していた。スネイプも思わず見とれるほどの極上の輝きだった。
「用意はできたか」
 感情のないエメラルドの瞳がまっすぐにスネイプを射抜いていた。前振りも何もなく用件のみを口にする。
 スネイプは無言で頷いた。覚悟はしていても心臓が引き攣れるように痛んで身体が震えた。いよいよこの時が来たのだ。
 短い2週間だった。ジェームズの蒼い瞳を見つめて過ごした日々だった。
 セブルス。セブルス。セブルス――。
 何度も名前を呼ばれ、何度も身体の上を唇がたどり、何度も愛の言葉を囁かれ、望んだ通りに愛された。無意識のうちに手をやった左胸の心臓の上には鬱血したキスマークがまだ残っているはずだった。
「着替えてもいいですか」
 ヴォルデモートはうっすら笑い「いいだろう」と言った。そして、斜め後ろに短く声をかける。
 そこで、ようやくスネイプは部屋にもう一人いることに気付いたのだった。ヴォルデモートにばかり気を取られて視界が狭くなっていた。
 目をやった先で、背を向けた男が窓の外を見ていた。スネイプにはその後ろ姿に見覚えがあった。もし、そうであるならば3年ぶりの再会だった。
 男が身に着けている黒のローブは夏用で軽やかなシルクだということはわかったが、いくら背に流されている髪がクリームがかった金髪だったとしても季節がら陰気くさく見えることに変わりはなかった。
「懐かしいか」
 ヴォルデモートの声に男はゆっくりと振り向き、スネイプに目を留めると「一応は」と言った。そんなことはつゆほども思っていないことがあらわな感情のこもらない声だった。
「先輩・・・・・・」
 スネイプは自分の口からため息のような声が漏れるのを聞いた。
 ルシウスは何も答えず、すぐに背を向けた。その背中は明らかにスネイプを拒絶しており、ここにいることさえ不満げだった。
「これから奴がお前のブラザーだ。よく話を聞いて私に慣れろ。使えない奴はいらない。馬鹿は嫌いだ」
 淡々と言って、ヴォルデモートは長い足を組みかえた。
 部屋は徐々に明るくなり、ルシウスの体越しに見た空は透明な水色をしていた。きっと今日も暑い日になる。ゴドリックの谷の滝はさぞかし涼しくて気持ちの良いところだろう。
 でも・・・・・・。ジェームズ、僕はもう行かなきゃ。
「ルシウス」とヴォルデモートはスネイプを見たまま言った。
「はい」
 窓を離れ、ルシウスはヴォルデモートの右にゆっくりと膝をつく。床に広がるローブがサラリと音を立てた。その黒布に散らばるルシウスの髪をスネイプはぼんやり眺めた。昔、あの髪に一度だけ触れたことがある。
「スネイプの失敗はお前の失敗だ。よく教育しろ。わかっているな?」
「はい」
「おそらく二時頃だろう、奴の腕に私の印が現れる。お前がついていろ。だめだと思ったら殺せ」
「はい」
 ルシウスが肯定の返事をするたびに頭が揺れ、サラリサラリと髪が流れた。記憶に残っているそれより、ずっと艶やかなことにスネイプは気づいた。
 二人の話が自分のことだということは認識していたが、殺されるのかと思ってもすでに頭は考えることをやめていた。余計なことだとわかっていた。深く考えても、進むべき道は一つしかない。
 ふいに目の前でヴォルデモートが優雅に立ち上がる。その隣でルシウスも立ち上がり、窓辺に足を運んだ。スネイプを見ることを避けているようだった。
「お前のことはすべてルシウスに任せてある。お前が役に立つ男だといいが」
 そう言って、ヴォルデモートは口元だけで笑った。目に金髪がまぶしかった。
 その時、ルシウスが振り返り「マスター」とヴォルデモートを呼んだ。
「海の家にはいつまでいればよろしいのですか?」
「私が行くまでだ」
 ヴォルデモートは短く答えた。
 その言葉によってここからは別行動と知り、てっきりずっと一緒にいるのだと思っていたスネイプは不思議に思った。
「何もお前だけが私に近づきたいわけではない。私の印が体に刻まれる者は日々増える。いつでも比べられていると思え。捨て駒になるか、重宝されるかはお前次第だ」
 スネイプの心を読んだかのようにそう口にするとバチンと音を立ててヴォルデモートは姿くらましして消えた。
 フッと部屋の中の空気が軽くなる。圧倒的な存在感は空気にさえも重量を課し圧迫感を与えていた。
 スネイプはヴォルデモートの言葉を反芻して、すべて悟られていることを改めて認識した。この状況がジェームズのために選択した結果だということを承知の上でのいざないだ。お前はどこまで犠牲になれるのかと試されているのかもしれない。それともヴォデモートの単なる気まぐれな遊びなのか。
 捨て駒からのスタート。利用価値がないと判断されればすぐに消される。『綺麗に跡形もなくすみやかに』。
「着替えてきます」
 窓の外を眺める黒い後ろ姿に声をかけても返事はなかった。
 まずは一歩を踏みだそう。もう後戻りはできないのだから。
 寝室ではエルザがベッドで遊んでいた。シーツを口にくわえて振り回すたび、ちりんちりんと小さな鈴の音がする。
 スネイプは白いTシャツの上から淡い黄色のシャツを羽織り、ゆったりとしたリネンのパンツを履いた。スリッパから皮のサンダルに履き替えると、クローゼットの奥から荷物を詰めたかばんを取り出した。
 そして、もう一回り小さなかばんを出すと、Tシャツを3枚、白いパーカー、ジーパン、ハーフパンツ、下着、タオルなどを詰め、少し考えてから歯ブラシと石鹸を入れた。
 かばんを2つ持って、リビングに戻った時もルシウスはまだ外を見ていた。スネイプは先ほどまでヴォルデモートが座っていたソファに大きいかばんを、食卓のテーブルに小さなかばんを置いて、ルシウスに声をかけた。
「急ぎますか?」
「いや」
 そっけないほどの短い返事を受けて、スネイプはキッチンでお湯を沸かす準備をした。ミルで3人分のコーヒー豆を挽く。
 蓋のついた耐熱式のグラスカップにコーヒーを注ぎ、保温器の上に置いた。
 マグカップ2つに注いだコーヒーのうち1つに温めたミルクをたっぷりと、もう1つには少しのミルクを注いだ。
「どうぞ」
 窓辺に立つルシウスにカップを差し出す。先ほどの態度から断るかと思われたルシウスは意外にも素直にカップを受け取り、スネイプのカップをチラリと見て「変わらない」と言った。この人にもブラックコーヒーが苦手なことは知られているのだった。
「先輩、お元気でしたか」
 何を話していいのかわからないなりにも懐かしく思いスネイプは口を開いたが、返ってくるのは沈黙だけだった。スネイプはルシウスの隣に立ち、黙ってコーヒーを飲んだ。
 通りにはちらほらと人の姿が見え始め、ジョギングをしていたり、犬の散歩をしていたり、色違いの靴下をはいた子供が飛び跳ねていたり、ヘアカーラーをつけたままで体操をしている中年の女性がいたりした。
作品名:冬の旅 作家名:かける