冬の旅
いなくなった日からどれだけひどいことをされたのだろう。漠然とだが、ヴォルデモート側の末端の一人として普通に暮らしているのだと思っていた。騎士団に入っていないセブルスは目立つ存在ではないし、飛びぬけて力が強いわけでもない。ヴォルデモートからしてみれば、どこにでもいるただの魔法使いの一人のはずだった。だからこそ、深く考えていなかった。単に名前を連ねているだけで、たいしたことはしていないと思い込んでいた。それがこんなにあいつの傍にいたとは!
ジェームズは襲い掛かる絶望感と必死に戦った。すべての気力をかき集め、歯を食いしばり、心を八つ裂きにしようと襲ってくるものに唸り、涙を流しながら抵抗した。ジェームズを形作っている自尊心やら経験やら思い出やらといったすべてが粉々に崩れ去っていた。自分を保つことだけで精一杯だ。
セブルスは大けがをしたまま、連れ去られた。無謀だったとしてもワンチャンスにかけて仕掛けるべきだったのだろうか。
荒い息のままジェームズは自問自答した。この苦しみから逃れられるのならば死んでしまいたい。だがそれではセブルスを一人残すことになる。あの日、僕らは二人で幸せになると誓った。死ぬわけにはいかない。
ジェームズは歯をくいしばった。
生きていて欲しいと願うのはエゴなのか。二人で生きたいと思うのは強欲なのか。
冷え切った手の平でさえ雪は冷たく感じる。冷たく感じるということは生きているということだ。こんなに苦しいのにまだ生きている。後悔と絶望に押しつぶされているのにまだ息をしている。
「ううっ、うううううう」
言葉は出ない。耐えきれない思いに唸り声しか出てこない。苦しい、苦しい、苦しい。
しかし、助けてほしいとは思わなかった。助けたい、セブルス。僕のそばにいて欲しい。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
苦しみで落ち着かない呼吸を頭を真っ白にして整える。今は出来る限りの力ですべてを横に置いて、頭を真っ白に。落ち着け、落ち着け。冷静にならなければ何もできない。吐いて、吸って。吐いて、吸って。
ジェームスは立ち上がった。雪にまみれたコートを拾い上げて着込むと右足を引きずりつつ、ゆっくりと泣き続けるリリーに近づいた。
リリーは涙に濡れた赤い目でジェームズをにらみつけていた。綺麗に化粧をしていた顔が涙でぐしゃぐしゃだ。
「なぜ?! なぜやらなかったの?! 一か八かでやっていたら勝てたかもしれないじゃない! 臆病者! 馬鹿! 大嫌い!」
リリーはジェームズの胸をドンとついて子供のようにわんわんと泣いた。
「あなたセブを愛しているんでしょっ?! 自分の命より大事だって言っていたじゃないのっ。それなのに、それなのにちょっとやられたくらいで何もしないでただ見ているだけなんて。セブが死んでしまうわ。あんなに傷ついて。ひどい」
だんだんと言葉に力がなくなり、リリーは俯いて涙を流した。
「ヴォルデモートにかなわないことくらい私だってわかってる。それでもやるべきだったわ。あなたも私も死んで良かったんだもの」
もうずっと前から私は覚悟を決めているのに、とリリーは呟いて、また声を出して泣いた。いろいろな思いが押し寄せているのだろう。彼女にもセブルスとの思い出がありすぎる。
「リリー、内通者がいる」
ひとしきりリリーが泣くのを待ってから、ジェームズは口を開いた。スネイプの発信器についてはわずかな人数にしか話していない。そして、それが漏れる心配は皆無だ。だが漏れている。他人が自然に気づくわけはない。セブルス本人でさえ気づいていなかったのだから。
ただ、これは昨年外していた。発信器のことを思わず口にしてしまったとき、発信器をつけるなんて−それも秘密裡に−プライバシーの侵害だ、とシリウスに非難された。とどめに傲慢だと言った、その顔を見てジェームズは自分の勝手さをあらためて思い返したがそんなことは百も承知だった。それでも縛りつけているという少しの後ろめたさはジェームズを迷わせ、1年も悩みに悩んでようやく外したのだった。
ヴォルデモートは発信器を外していることを知らないような口ぶりだった。もっとも発信器がついていようが、ついていまいが気にする玉ではない。
問題は『漏れるはずのないことがなぜ漏れたのか』であり、『どこの時点で漏れたのか』だ。ホグワーツ在籍時にすでに漏れていたのか、それともその後に漏れたのか。これは騎士団には関係ないことだが、知りえるはずもないことをヴォルデモートが知っているということは誰かから聞かない限りあり得ないことで、それにはある程度ジェームズのことを知っていなければならない。ジェームズの交友範囲の大部分が騎士団員関係だと考えれば『漏れるはずのないことが漏れた』時点で、ほとんどのことは漏れていると考えていい。もしもホグワーツ在籍時に漏れていたとするならば、もう何年も騎士団の情報は漏れていることになる。
「そんなの、昔からいるわ」
リリーは鼻をすすりながら吐き捨てるように言った。リリーの目も鼻も真っ赤だった。それでもジェームズを睨みつける瞳は力強かった。
「どうして? どうして今、そんな話をするの? セブが死んじゃうかもしれないのよっ、私たちのせいで!」
もう耐えられない、とリリーは泣いた。
「リリー、しっかりしろ。今は全部忘れろよ」
「忘れられるわけない!!」
馬鹿! 大嫌い! 意気地なし! とリリーの罵声を浴びながら、ジェームズは自分に言い聞かせていた。
セブルスのことは今は忘れる。大丈夫だ、あとから考える時間はまだある。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。
無理にでも冷静を装わないと気が狂ってしまう。あの青い顔が脳裏に焼き付いて離れない。考えすぎて頭がおかしくなる。心を閉じろ。
リリーはもう何を言っているのかわからない言葉をジェームズに向かって泣き叫んでいた。
「リリー」
ジェームズの呼びかけにも反応しない。ここまでリリーが正気を失うとは思わなかった。それほどセブルスの存在は彼女の中で大きな位置を占めていたのか。それは自分の知らない幼少時代を過ごした二人の絆なのか、それとも悔恨の気持ちがそうさせているのか。
結婚の約束までしたと聞いた。子供のたわいない約束事で、なんの拘束性もなく、懐かしい思い出の一つだろうが、ジェームズはそれを心から微笑ましいと思ったことはなかった。99%は笑顔で受けいれても、最後の1%はどこかで嫉妬していた。なんて心の狭い醜い男だと蔑むのが常だった。
散々叫びまわったリリーは声が嗄れる頃、ペタンと座り込んで雪を掴むとジェームズに向かって投げ始めた。
「馬鹿っ! 馬鹿っ! 馬鹿っ!」
ジェームズは逃げなかった。雪玉の大半はジェームズまで届かず、届いても大して威力もなかった。
「大嫌い!」
「知ってる」
「大嫌いよ!」
「リリー、落ち着け。僕のことは嫌いでもなんでもいい。考えることがたくさんあるんだ。無理やりでも落ち着け。泣くな」