無傷の11月26日
その日は朝から落ち着かなかった。
シャツのボタンもかけ間違えたし、寝癖もなかなか直らなかった。
乱暴に髪を掻き回していると、一晩休んでスッキリした様子の傑と鉢合った。
「どうしたんすか。」
昨日のことなどなかったかのような顔で言う。昨日倒れた男に心配などされたくない。
「どうしたじゃねえ!」
自分の短い毛を掻きむしる代わりに傑のこめかみをグリグリ苛む。
「昨日俺が寝こけたお前を家まで届けてやったの忘れてねーだろうな!」
「痛っ、覚えてますって!すいませんでした」
喋る様子も顔色も平常通りだ。
「そういえば、うちに着くまで時間かかったみたいっすけど、」
痛いところを突く傑を横目で睨む。しかし傑は怯まない。
「帰りは大丈夫だったんすか?うちからじゃ駅の場所分かりづらかったでしょ。」
「あー…」
無意識に前髪を掻き回す。
そのことだ。
落ち着かない原因は、傑を送り届けて駅に向かっていた時の出来事。暗い公園で会った名前も知らない少年の姿が頭から離れない。
忘れられないほどボール捌きが上手かったわけではない。むしろ隙だらけで、ストライカーとして致命的な欠陥も抱えている。
瑛の通う鎌倉学館の中等部に通っているようだがサッカー部ではないと言うし、高校から鎌倉学館に入った瑛にとっては後輩でも何でもない。
そのくせ夜中に一人でボールを蹴りながら、必死に瑛にくらいつきながらも「サッカーを辞める」と言った。
「…ちくしょう」
幼さの残る頬にこぼれた涙が頭をよぎる。
何度も思い出すのはそれのせいだ。後味が悪い。キツイことを言ったし頭突きもした。泣かれたのはその後だ。
瑛とは二歳差といっても年の差以上に小さく見えた。まるで弱い者いじめだ。
「鷹匠さん?」
顔をのぞき込む傑の耳をつまみ上げる。紛れもない八つ当たりだった。
「てめーが自己管理なってねーからだ!」
「だから謝ったじゃないっすか!」
中等部のサッカー部員らしい生徒がやや遠巻きに二人を追い越しながら、目が合った傑に丁寧に頭を下げて校門をくぐっていく。
あまり表情豊かでないキャプテンのそんな姿が珍しいらしい。
「そうだ、傑お前…」
アイツを知っているか。言いかけてやめた。
「何ですか?」
「いや…いい。」
たった今気づいた。アイツの名前も知らない。