あるべきところへ
色付き始めた街路樹の間を傑は走っていった。
鎌倉学館は朝一番の試合を6-0で勝ち抜いた。ミーティングでも熊谷監督は機嫌が良かった。お陰で早めの解散となった。
傑の向かう先は湘南大付属高校のグラウンドだ。鎌倉学館とは別ブロックの試合が行われている。どちらも偵察する必要もない学校だ。偵察なら同時刻に試合している葉蔭学院の方が有意義だろう。
説明する時間も惜しそうな様子だったから瑛は黙って追いかけた。
グラウンドに着いたのは残り時間二十分を切る頃だった。スコアは後半だけで3-0。試合展開も一方的でどんでん返しはなさそうだった。
フィールドを見渡した傑は渋い顔をして、今度はベンチを見た。劣勢の江ノ島高校のベンチを。
「誰を探してんだよ」
難しい顔で首を振ったところを見ると見つからなかったらしい。
追加点が入ったところで試合終了を待たずにグラウンドを離れた。江ノ島高校の誰を探していたのか。傑は黙ったままだった。
ただ一言。
「もう、いいんです」
歯を食いしばって搾り出した。
十二月。
その公園に来るのは久しぶりだった。選手権大会の県予選と冬の寒さで足が遠のいた。
学期末試験をなんとか乗り切って冬休みを迎えてもサッカー部は休み気分に浸る余裕もなかった。年末には選手権大会の開会式、年始には緒戦を控えている。
雪の降らない冬の公園は広葉樹が寂しくなっている他は何も変わらない。
二ヶ月ぶりの駆は顔を合わせるなり花が咲くような笑顔を見せた。
「全国大会出場おめでとうございます!」
一ヶ月も遅れちゃいましたけど。はにかむ頭を乱暴にかき回してやる。
「決勝の日にメールよこしたくせに何言ってやがる」
「ちゃんと会って言いたかったんです!」
上目遣いにちょっとだけブラコンの気持ちがわかった。兄貴がブラコンだから弟がこうなるのか、弟がこうだから兄貴のブラコンが酷くなったのかは定かでない。
少なくともうちの妹ではこうはいかない。瑛の母と妹は揃って傑のファンだった。帰宅して妹に報告したリアクションは
『さすが傑さん!』
二点も決めた実兄を差し置いてこれだ。全く可愛気がない。
「全国大会も応援行きますね!」
「お前んちは一家揃って傑の応援だろうが」
「兄ちゃんの応援だけじゃないですよ」
唇を尖らせる。駆はすでに中学最後の公式戦を過ぎていた。ベンチにも入れなかった。中高サッカー部兼任している熊谷監督が認めなかったからだ。
ちょくちょく中等部の面倒をみている国松が頼み込んでも駄目だった。駆の努力を知っている傑は何も言わなかったそうだ。ポーカーフェイスを決め込んでいるが、悔しくないわけではないだろう。
部活後の自主練や、こうやって夜の公園でボールを蹴っていることを知っている奴はみんな少なからず悔しさを味わっている。駆本人が「仕方ない」と笑うからだ。
でも、高等部にきたら変わる。監督は中等部と同じ熊谷監督だが、駆を活かせる傑がいる。他にも国松みたいな味方もいる。それから瑛だって。
去年、まだ中等部にいた傑が言った。
『再来年には全国優勝』
今年だって全国を獲るつもりでいるが、傑の夢には駆というピースが不可欠だった。あの時、瑛は顔も知らない駆に嫉妬した。でも、今は瑛も同じユニフォームを着て駆とピッチに立つ未来を想像できる。
(今年も、それから来年も全国優勝、だ)
久しぶりだからか、鎌学が県優勝したからか、いつもよりはしゃぎ回っていた駆が額を拭ってジャージを脱ぐ。瑛は駆よりは走りまわっていないが、立ち止まると途端に汗が冷えてくる。
「おい、ちょっと暑くても着とけよ。汗冷えて体冷やすぞ」
ベンチにジャージを置いて振り返った駆の顔色が悪い。電灯の弱い明かりのせいかとも思った。それでも駆の「大丈夫」が信用できなくて汗できらめく額を触る。熱い。
「おいっ!」
大きな声を出すと肩を竦めて動きを止めた。
「熱あんじゃねぇか!」
「え…………あっ」
緩慢な動きで自分の額を触るが、手が冷たいから分からないと言う。熱が計れないとしても倦怠感や寒気や何かしらの症状が出ているはずだった。
今しがた脱いだジャージを着せて、その上に瑛の着ていたジャージも羽織らせた。
「だ、大丈夫です。うち近いし……鷹匠さんまで風邪ひかせるわけにいきませんから」
「じゃあ家まで送って玄関前でそのジャージ受け取ってやるからそれまで着とけ!」
それ以上は有無を言わせずボールを回収した。
「もう冬休みだからって浮かれやがって」
「そういうつもりじゃ……久しぶりに鷹匠さんが来られるっていうから」
サイズの大きいジャージの袖から見える指先をもじもじ動かしながら口ごもる。自己管理のできない奴なんか嫌いだがいまいち怒りきれない。
「年末はしっかり休んどけよ。内部進学は受験勉強する必要ねえんだし、部活も高等部が忙しい間は減るって国松に聞いたぜ」
そこで駆が足を止めた。
「あの、そのことなんですけど……」
家はもうすぐそこだった。
「実は俺……外部受験しようと思ってるんです」
それは、つまり、駆が瑛や傑のいる高等部に来ないということだ。
瑛は――恐らく傑も、国松だって、当り前に駆は高等部へ上がってくるものだと思っていた。
「どこ受けようってんだ」
「えっと、江ノ島高校……」
「今回の大会二次予選一回戦で敗退したトコじゃねえか」
傑と観に行ったのをよく覚えている。鎌倉学館を捨てて行くような魅力は感じなかった。
「違うんです!今回の大会に出場したのは学校公認サッカー部の方で……」
「どういうことだ?」
「入部しようと思ってるのは、江ノ島高校にある同好会の方なんです」
俯きがちに告げられた瞬間、ジャージの胸ぐらを掴み上げた。
「公式戦にも出てねえ同好会だと?」
あまりの剣幕に怯んで駆の反論がワンテンポ遅れる。
「ち、違うんです!そういうわけじゃ……」
「そういうわけもこういうわけもねえだろ。お前、中学で結局監督に認めて貰えなかったからってまた逃げるつもりかよ」
「待って!ちゃんと、ちゃんと話聞いてくださいっ」
「お前がそんなつもりでサッカーやってるんだとは思わなかったぜ!」
突き飛ばすように解放されてよろけたそこはもう自宅前だった。
駆が何か言うのを視線で制して背中を向けた。今話すことはもうない。そういう拒絶だった。
「お前が頭冷やすまでは会わねえ」
ピシャリと言って駅まで走った。ジャージを貸したお陰で歩くには寒かったから。走りたい気分だったから。