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あるべきところへ

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 別れたあと一晩頭を冷やしてから送ったメールに返事はなかった。
 年が明けてから定型文みたいな年賀メールが届いた。
『全国大会頑張ってください!』
 似たり寄ったりな内容のメールは他にも届いていた。部活の後輩やクラスメイト。今でも親しくしている中学の頃の友達。
 そのどれにも返信しなかった。毎年そうだ。一目見て放置している。
 その中に埋没する『あけましておめでとうございます』という件名のメール。何事もなかったかのような当たり障りない内容。
 そんなものに飛びついてしまったのが腹立たしい。
 先に送ったのは、人間が出来ているとは言い難い瑛にしては百歩も二百歩も譲ったメールだった。
 カッとなると人の話が耳に入らなくなる方だ。自覚がある。だから頭を冷やして、駆の気持ちを慮ろうとした。それでも納得がいかないから、結局は別れ際に言い放ったのと同じような文句になった。
 それでも、最後に申し訳のように付け加えた「迷いがあるなら相談ぐらい乗ってやる」という一文が大事だった。頭がいっぱいになると高圧的なしゃべりになってしまうが、責めたいんじゃない。
 本当はもっと言わなくちゃいけないことがある。でも素直には言えない。一言足して送信するのが精いっぱいだった。
 それなのに。駆のくせに。あっさりシカトして年が明けたらこのメールだ。好意的な文面が余計にバカにして見える。
「正月早々空気悪いからそれヤメテ」
 乱暴に閉められた引き戸を指さして妹が文句を垂れた。開けっぱなせばほんの数センチでも「あったかい空気が逃げる」と言うくせに、ちゃんと一ミリの隙間もなく閉めたって感謝されるわけでもない。
「まあまあ、瑛は試合が近いから緊張してんでしょ」
 割って入った母親は見当違いのことを言うが否定はしない。後輩でもなんでもない中学生からのメールに怒っているだなんて情けなくて言えるわけがない。
「えー、そんな風には見えなーい」
「アンタも昨日から閉じこもってグチグチ言い過ぎじゃないの?」
「だってー」
「ちょうどいいわ。二人とも支度してお祖母ちゃんちに挨拶に行きましょう」
 エプロンを外してソファに転がった妹の肩を叩く。それでも妹は面倒くさそうに体を起こしたっきり。
「もうっ!じゃあ、瑛も行かない?」
 行かないなら夫婦で行ってくるつもりらしい。祖母一人が住む古い一軒家を思い出した。
「いや、行く」

 祖母の家は湘南にあった。駆と会った公園のすぐ近く。
 正月らしく近くの店はコンビニ以外どこもシャッターが降りていて、その代わりに角松やしめ縄が飾ってあった。住宅地に人通りは少ない。ときどき着飾った若いグループや近所に初詣といった風の家族連れとすれ違ったが、曇り空と冷たい風のせいか、やけに閑散として見えた。
 訪れた祖母の家は少なめのお節料理と小さいしめ飾りだけが正月らしさを演出していた。
 近所に住む伯母が「危ないから一人で餅は食べないように」ときつく言うのだとボヤくので、母が見かねてお汁粉を作りに台所へ立った。
 ろくに見てもいないテレビでは和服姿のタレントで埋め尽くされた新春特番と琴の音色がBGMのCMが交互に映しだされている。
「試合はいつからなの?」
「明日の昼すぎ」
「すぐなのねえ」
 のんびりと新聞の番組欄のページだけ広げて老眼鏡をかける。手間取るようなので横から探して指さしてやると嬉しそうにして、年末に買い換えた新しいテレビのリモコンで画面に番組表を開いた。
「瑛、録画予約してちょうだい」
「最初からこっちでさがしゃあ早かったんじゃねえか」
 ついでに五日の準々決勝まで予約してやった。これから録画される三試合全てに出場する予定である。
「これ、ほれ、あの子は出るの?」
「あの子って」
「そこの公園で一緒に練習してるっていう……スグルくん?」
「練習してんのは駆。傑はその兄貴」
「そう、カケルくんの方」
「駆はまだ中三だっつったろ。傑は同じチームだから出る」
 去年の冬、駆の練習に付き合うようになってから祖母の家によく顔を出すようになった。学校帰りにそのまま寄って、夕飯を食べたり雑用をこなして、公園で駆の相手をして帰る。
 たまたま便利な場所に祖母が住んでいたのを思い出して寄ったら喜ばれ、それが両親に伝わったら「お祖母ちゃん一人で心配だから丁度いい」と言われ。一緒に食事をしながら駆や傑の話もしていた。
「カケルくんは来年は一緒に出るの?」
「…………わかんねえ」
 そのつもりだった。一緒のチームでやれる最後のチャンスが来年だ。二歳違えばそうなる。
 もし同じチームにいても、監督は駆を認めていない人だ。鎌倉学館は神奈川で強豪と言われているしベンチ入りも容易じゃない。それでも、一年間駆を見続けてきた瑛は無理だとは思わなかった。
 一緒にベンチ入りできる。江ノ島なんていうパッとしない学校じゃなく、逢沢傑の率いる鎌倉学館で。
 中等部の校舎の壁で黙々とシュートの練習をしていたのを知っている。実際見たわけじゃないが、その壁なら見た。たくさんボール跡のついた壁だ。
 ついに公式戦には使ってもらえなかったが紅白戦は少しだけ覗いたことがある。トラウマを克服しきれずシュートこそ決められなかったが、ときどきハッとする動きを見せる。日常練習の延長上にある紅白戦の最後の最後、笛が鳴る直前までゴールに向かう姿を見ていると何だか誇らしくなった。傑なんか難しい顔をして見ていたくせに、その後はすこぶる機嫌が良かった。
 小さな一歩一歩を見守っている奴はたくさんいた。中等部でマネージャーをやっている幼馴染という女は付き合っていないというのが嘘のような熱心さだ。国松も引退最後の試合にベンチ入りさせてやってほしいと頼み込んだ。叶わなかったが。
 一度捨てたサッカーを拾い直しておいて、諦める時じゃない。
「ちょっとその辺歩いてくる」
 投げておいたジャケットを引っ掛けて玄関に向かった。
「お汁粉もうじきできるわよ」
「すぐ戻るって」
 居間の窓からひょっこり顔を出した祖母が顔のシワを深くしながら見送った。
「カケルくんに会ったら今年もよろしくしておいてね」
 会ったこともないくせに。曖昧に手を振って出かけた。
作品名:あるべきところへ 作家名:3丁目