女神の祝福
一度も目を背けることなく、自分を見据える母親の強い眼差しに耐えきれず目を伏せた。目の奥が熱を持ってひどく熱かった。
それからどれくらい時間が経ったのか自分でもわからなかった。ひどく永い気もしたし、短くも感じた。いつの間にかテレビは消されていて、静かな時間が狭いリビングに流れた。そしてその沈黙を破ったのは母親だった。
「ねえ、太一」
名前を呼ばれて、情けないほどに体が震えた。世界中の誰よりも、この人に否定されたら自分はどうしたらいいのかわからなかった。
しかし、母親の次の一言はひどくのんびりとしたものだった。
「母さん、なんで太一が私に謝ってるのかよくわからないんだけど」
恐る恐る顔を上げると、いつものあの笑顔が自分を迎えてくれていた。
「いままで私に付き合ってる人がいないって嘘をついたことを謝ってるの? それとも、付き合ってる人が世間一般の人たちと違うことに謝ってるの? 孫の顔を見せられないことに謝ってるの?」
どう答えていいのかわからなかった。そのすべてのような気もするし、そうじゃない気もした。
「太一。母さんはね、太一が選んだ人なら間違いはないって信じてるのよ。だって私の自慢の息子だもの」
とても、とても誇らしげに微笑む母親に、三国はとうとう耐えきれなくなって涙をこぼした。年甲斐もなく情けないのと、恥ずかしさに拳で涙を強く拭った。
「あなたたちが何で他の人たちと違うのかはよくわからないけど、それで太一はずっと悩んで不安だったのね。……でも、それでもその人のことが好きなんでしょ?」
喉に大きな石がつまったみたいで言葉が出ず、三国はただただ首を縦に振った。
母親がソファから立ち上がり、自分の傍に寄ってくると、頬に両手を添えて顔を向き直させた。久しぶりに触れた母親の手は昔と変わらず、やわらかく、温かかった。
「太一。これだけは、信じて。母さんは、いつだってあなたの幸せを願ってるわ」
ずっと自分を見守り、支えてくれた強い瞳が優しく自分を見つめる。その瞳に、また泣きそうになった自分の顔が映っていて、三国は奥歯を噛みしめて必死にこらえた。その様子に母親は小さく笑った。
「だからね、その人と付き合ってる限り、私に孫の顔を見せられないからって別れるのは間違ってるわ。母さんのためになんてそんな理由、どこにもないのよ」
かすかな温もりを残して、頬に添えられた手が離れる。母親は台所へ行くと、冷蔵庫から冷えたレモネードを二つ持って帰ってきた。それを受けとって一気に飲み干すと、体のネジが締まったようにようやく落ち着きを取り戻してきた。
「ねえ、太一が付き合ってる人はどんな人なの?」
母親はソファから身を乗り出して、とても楽しそうに質問してきた。三国は、すこし、かなり考えて答えた。
「どんなやつって……。ちょっと、いやかなりワガママで、自分のペースを崩されるのが嫌で、クールぶっててプライドがすごく高くて、短気なところがあるからすぐ怒って、それで……」
「太一、お母さんに紹介してるんだからもっと良い点を挙げなさいよ」
母親が呆れたように笑うので、三国は慌てて弁解した。
「いやでも、本当にいいやつなんだよ! あんまり人に謝ったり、礼言ったりしないけど、本当はちゃんと悪いと思ってるし、感謝してるし!」
三国の慌て振りが面白かったのか、母親は声をあげて笑った。後にして思えば、こんなに楽しそうな母親を見るのは久しぶりだった。
「その人のこと、本当に好きなのね」
改めて母親に言われて、自分の顔に熱が上がるのがわかった。赤い顔を見られるのが恥ずかしくて顔を背けると、母親がちいさく笑ったのがわかった。
「今度、お母さんにもその人に会わせてくれないかしら?」
いいよ。そう返事しようとして、三国は口をつぐんだ。意を決して、立ち上がる。
「いまから連れてくる」
母親の返事も聞かず、リビングから勢いよく飛び出した。背中から「ちょっと、もうこんな時間よ!」と母親の声が届いたが、体は止まらなかった。
ガチャンと、玄関が閉まる音がして、母親は一人ため息をついた。
「……掃除しとかなきゃね」