(無題)
皮膚薄く肉の筋に可能な限り平行に刃を添わせる。動作は斬り上げより丁度袈裟の様に下す方が好ましい。刃龍を振り下ろした初めの力と腕の重みでのみ断つ事が出来るからだ。重力によりスルスルと刃龍は体内を滑りその筋と筋の結合が離れる。流石に骨はこれらの力だけでは同様には断てず、痞え棒の如く妨げとなるが、太い骨を避け刃龍への衝撃を抑えながら臓器に到達する。そうしてその臓器及び急所を迅速に切断する。
刃はこの動作を所謂人を超えた機械の力……早業で行う。
(太い血管のある場所を断った場合は骨、臓器に到達する前に相手は失血死する。)
言葉通り上手く行くものではない。まず対象がいつも固定されている訳ではない。斬る直前まで生物……人は動く。刃龍を当てる箇所を事前の判断で定めるとはいえ、対象は避けたり逃げようとするからこちらの思う様に断てぬ事が多い。
(こういう場合は“鮮やかに斬れた”状態ではないだろう。)
刃は一つ息を吐いた。
彼としても極力、即死させられる箇所に定め行う事なのだが、この、人の避け逃げる動作で刃龍が体内の急所から外れ殺害しきれない事は少なくはない。対象は悶絶し苦しむ。動かなければまだ多少は苦痛が緩和された物をと思いはするが、斬られる側にしてみれば仕方のない事だ。
そしてこちらの思いが真意なのかもしれない。鮮やかに、後を考えずに処断を行えば主の意に添う事は出来るだろうと思う。
しかしこれからもこの星がありそこに人達が住まう限りこの身は刃龍を納める事はない。自らの仕事に半永久的に用いるこの武器をその場一回の仕事で雑に扱う訳にはいかない。
(……人はそう思わぬだろう。)
彼等は刃を心持たぬ機械心無き忍びと考え、その尺度で刃を見る。刃をそう見出したからこそ主達は皆彼を愛し重用した。
何かが麻痺していく感覚もあり、己自身はすでにこの星の人々が思い描くただの対人用の機械なのかもしれないとも思う。
しかし……刃龍を相手の皮膚に入れる瞬間。言葉が出ないのだろう。絶命を恐れるか時に生を諦めたか。その表情を視界に入れてしまった刹那、刃龍が相手の筋を分離し斬り進める感触は確かに掌にあるのだが、刃の時間が僅かの間停止したかの様な錯覚を覚える。
ためらいなのだろうか、後悔なのだろうか、嫌悪だろうか。
すでに塊となり痙攣を起こしている物となったその横でまたかと思う。また命を持たぬこの身が人とその生を断ち切った。日々行い続けている行為だが、毎回決まって同じ様にそう思う。
(……何も考えぬ方が良い。それが楽だ。)
何も考えぬ、思わぬ。……何も、心も……。
(ただ命を断つ事に慣れ過ぎた。人を超えた技よと称えられたとしても決して心良い思いはしない。)
……遠い過去。兄弟達とまだあそこにいた。母の下だ。多くの人間達を丁度同じ様に処断した時だった。三人は無言だった。その中でただ一人駆け寄って、次は僕がしますから、こう言う事はアナタより僕の方が向いていると彼が……真剣な眼差しではっきり言った際に反射的に馬鹿な事を言うなと一喝した。……覚えている。何故か。
兄弟に対してあれ程怒りを露わにしてしまった珍しかったからだろうか。それより。
(あの眼差しは恐ろしかった。俺が言わずともあの場に、俺に向かう者や倒すべき者がいたら何人でも射殺し力尽きても尚弓を向けるだろう、そう言う眼だった。だが全く邪悪さはない。むしろ彼のみが持つ碧瑠璃すら及ばぬ美しい眼。それが驚く程澄み、微塵の穢れもなかった。
……何を思い出しているのだろう。俺は。
血みどろになるだろう見世物を披露する前から虚の花園を彷徨いあの姿を……彼を思い起こす。
この星では昨日を振り返る事は無駄な事だ。生きるなら先を向け、思い留まるより立ち向かえ。考えるな、戦え。今から戦うのだ。
東の庭へ向かう為、布に包んだ刃龍を手にし刃は立ち上がった。
迎えにやって来た主の側近に従い、東の庭までの長い廊下を歩く。この時間という事もあり日が照っている。処断の際に光の反射で目が眩まないだろうか。幾度も慣れた行為だが、だからこそ万全に仕事を遂行出来るかと不安要素が浮かぶ。そんな彼の内面をよそに ただ空は澄む。この星では珍しい事だ。一面の空には僅かにちぎれ雲が浮かぶのみ。その間を縫う様に鳶が弧を描き飛行している。
(叶わぬがせめて心のみでも羽持つ鳥の様に地を離れる事ができるのなら、俺は……。……俺は今から人を殺害する。防人の名と主の信用の思いにかけ、全力を尽くさねばならない。)
時は九つ。
一六間程の東の庭は薄墨色の玉砂利が敷き詰められ、丁寧に掃き清められている。
刃が歩いて来た廊下より向かって手前東側に主がいた。簡易な座椅子に腰掛け前後左右を屈強の側近達で囲っている。今は傍に刃を置く事が出来ず、招いた者達へ彼が所持している強さを誇示するには丁度良いが、本日の目的の一つでもある、召集した重臣や新興の有力な臣下達へ、彼等への信用の意思を表示する事が出来るのだろうか。
最盛期、と言えた先代の治世の時と比べ領地は減り財政も縮小した。自然軍事力も低下する。
今日の召集も主の感情が表れてしまっているのではなかろうかと思う。先代と同様に私は人の力を超えた機械の兵器を持っている。自分以外は決して持つ事の出来ない力を……。 父はもういない。力を持つそれを従属させているのは私のみだと。当主としても一個人としても亡き先代と比較され、下と見られてしまう主の、隠せない劣等感が今日の臣下達の召集へ繋がったのではないだろうか。
であればこの召集に応じやって来た彼等は主の思惑通り、彼に再度の忠誠や畏怖を感じるだろうか。今から自分が行う見世物は主にとって誠に有益な結果になるだろうか。そう思ったが、処断は今から始まろうとしている。
召集を受けた臣下達は皆、丁度廊下と平行になる形で並び集まっていた。刃から向かい右側、主の座す上座には先代からの重臣達、その左には新興の臣下達が財力や軍力の順で段々と列をなし控えていた。
彼等より更に左端の奥には、庭と離れ屋を繋げる簡素な木戸がある。今から刃が処断する者達はここから連れられて来るのだろう。小突かれ、蹴られながらやって来るかもしれない。先の、また例によってこちらに利の少ない勝ち戦だった。捕虜達は監禁され、この日の為に離れで精々死なぬ程度に生かされていたのだろうか。
臣下とその妻子達の数は多く、また賑やかでさながらちょっとした宴の前の様子にも見えたが、彼等も主と同様に周囲を警護の部下達で固めていた。出入り口に近い木戸の周辺には主の部下達が待機し、背後は高く厚い土塀で守られている。
刃は主と来訪者達に一礼する。応じた主が小さく頷く姿を確認した。
来訪者達の視線は廊下より姿を現した刃に一斉に集中する。……あれが人でないカラクリか。丈は大きいが人と変わらぬではないか。……何だ。私は蛮人の様な風貌の粗野な男を連想していたぞ。否、変わらぬのは外見だけのだろう。今からあれは我等の前で人離れした技を見せるのだろう。恐ろしい。だが楽しみだ。見えないからもう少し屈んでくれ。
方々の囁き。人を超える力を持つ物への強い好奇の視線。人が人を見る目でなく人造人間と見世物を眺める目である。
(……いつもの事だ。)