(無題)
その停止を確認するや否や刃は中央の男に駆け寄る。恐怖と、それ以上に憎悪に目を剥いた表情が視界に入った。
(……厳しい)
この長身の捕虜を拘束する物は縄と足枷のみ。今から行う方法に揃っていて欲しい条件が一つもない。
停止する直前の左足の一歩を、だんと腿より大きく張り出す。布を絞る様に自らの下腹部までを強く左に捻った。
(身体の力と刃龍の威力だけに依存する横断……)
(出来るか)
失敗への不安と疑問を即打ち消し、半身を戻す力を刃龍の重みに乗せ斧の如き一撃を男の腰部にぶつけた。他に比べ肉薄く骨の少ない腰……臍の辺りに定め断ち進むがやはり兵であった男の身体である。筋太く肉は厚い。その頑丈な対象を切断部の固定をせずに刃一人の技と力のみで真横に断とうとする。大変な荒業であった。通常の人であればその非力故出来ず、戦いに慣れた力の強い者でも体に刃を進め入れ尚生き続ける相手の悶絶と断ち切れた体内の血肉、臓器の感覚を至近で存分に味わう羽目になる方法の特徴上、腰斬は精神的に容易く行える行為ではないだろう。
胴体三寸程に喰い込ませた刃龍を押し、進まぬのであれば引きながら断ち続ける。決して瞬間の早業などではない。
どこかで転倒する様な音が立った気がした。仔細は知らぬが鬼の様な刃の様と生きながら横断される捕虜の姿を見て幾人かの女達が失神したらしい。予め用意されていた木製の即席の担架で各々は門の外に運ばれていった。
離れ切れぬ男の上半身より湧く水の如く血が溢れるが、上下半身の断面同士が栓の様に刃龍と互いを塞いでいるので、横断し切るまではさ程外には飛ばない。
最早生きた人間の表情と言えない男の紫の口の端が僅かだが動いている。この方法では相手はすぐには死ねない。眼前の男の様に少しの間は生きている。
(……仕方ない。)
主の意に従い横断の出来る可能性のある方法が他に浮かばなかったのだ。
体内に挟まったままの刃龍とその腕には血と脂がおびただしく付着していた。
暖かい。
肩で息をする刃の、懸命に押す刃龍の動きが腰部の半ばでがちりと止められた。腰椎た。固く太い。骨少なく他と比較しまだ固くはない箇所を選び考えていたのだが……
(……この身一つでは無理か、やはり……)
男の身体に挟まる右の刃龍と腕は、ぐしょりと濡れきっている。刃龍を手放しそうになる程の脂が纏わりついている。
剣士として忍びとしても無論、左の腕と手を用いた技は心得ているが、通常時の攻撃の起点となる右の刃龍にこれ以上の負担は掛けられない。
止むを得ず腰の椎を残したまま、再び腕を右へと押し進め分断を再開した。
切り進める刃の右腕が震え、張っていた足を取られ流されそうになる。大変な力を必要とする行為だった。
少しの間の後、男の左半身から切り払う様に刃龍と刃の腕が姿を現す。その肘から先はどこを見ても赤であった。
刃の切り払いにより繋がっていた男の身体が腰椎を軸として玩具の人形の様にぐるりと角度を変える。横断面の露わになった断面より、間欠泉さながらに上に向け血が噴き上がった。血煙の向こう側に主の姿が見える。僅かに口を開き首を傾げこちらを見ていた。何かを言う時の表情だが今は側へ参じ聞きに行ける状態ではない。
噴き出す血の行方をぼんやりと追うと、屍となった捕虜の頭部が目に入った。恨みの形相凄まじく死の幕に覆われた目はかっと見開いている。傍観する女達の大半は血を失った表情をしていた。
そして向かい左側をきっと刃は見る。
まるで木偶だ。最後に残った捕虜は動かぬ。すでに処断された二名を隣で目の当たりにし動けないのだろう。
(……それが良い。この者にとっても、己にとっても。)
脂と血に塗れた右腕と刃龍。この状態では処断はおろか精々外傷を与える事が関の山だろう。加え当人の刃も疲弊している。
右は使えぬ。初めの捕虜を手にかける時からこうなる事は分かっていた。逆側の腕で主の意に沿う様に断たねばならぬと。
だからこの眼前の若者に目を着けていた。長身の者二名を右腕右半身を用い右の刃龍で断つ事は難しい……出来るだろうが、消耗が激しく最後まで処断が出来なくなるかもしれない。いくら主の意思通り鮮やかな立ち回りを演じて見せたとしても半ばで中止となってしまえば本末転倒である。よって刃は右を捨てる代わりに左腕とその刃龍をこの者……先の二名に比べまだ肉の厚みが少なく最も小柄な捕虜の為に残した。
二個の肉塊を顧みずタタ、と早足で最後の者へ向かった。
尚捕虜は動かない。その方が良い。再度刃は思った。処断の妨げにならずこの者に余分の苦しみを与えずに済む。どう断とうと命を奪う行為は変わらない。しかもこの身はそれを昔から今と……これからも続けていく。罪が和らぐのでも、業の輪廻が断ち切れる訳でもない。だがせめて……
(悪く思うな)
命消えゆく捕虜への言葉だったのか、心の迷いを断つ為に己自身に投げ掛けた思いだったのか。渾身の力を込めた左腕を打つ様に落とす。右半身の首の根に叩き当てた。
身体の重さを刃龍の反りの部分にまで乗せ皮膚と肉を分ける勢いで鎖骨を断つ。
(……)
この場で武器として扱うには最早役に立たぬ右の刃龍と同じく脂と血で使えなくなった右腕を左腕に乗せ支えとする。斜め前に突き出した右膝ががくがくと揺れる程の力と、身体全体で肋骨を折り刃龍を下げていった。
骨を折っていく固さの中にそれに数段勝る柔らかさの感覚が左腕に直に触れる。やわやわとした生の暖かさの感触の若者の臓器も骨と同様に断っている。先程の様に見上げるまでもなく、この者はもう生きてはいない。
椎に平行する形でそのままずるずると切り下げる。早く終えてしまいたいが左腕と左の刃龍を用いた縦断と、刃の疲弊した状態ではそれは無理だった。
断ち始めの右首の根より約二尺程捕虜の体内に刃龍を進め、寛骨に当たった刃龍と腕が動きを止める。
(……ここまでだ。いや、ここからか。)
捕虜の腰椎に対しほぼ垂直に押し入れた刃龍をその体内でぐるりと向きを変え、両足を広げ、己の上半身を支える為に足とふくらはぎを張りそのまま左へ強く引き断った。
武器に着いた脂と血に疲弊。最後の残り数寸は主に対する責任と仕事への義務感のみで断った。
捕虜の右半身が泣き別れどっと転がる。戻り胴の様に上手くは行かなかったが、最後の三人目で横断が出来た。
その断面より上空に向かい七尺程の噴き上がる血の飛沫と共に、男達からわっと歓声が上がった。
肩で息をする。だが主への責任と防人としての体面で口は結び息は吐かない。両腕共肘から下は赤黒の色である。脂がひどく、指先の一本一本にまで浸み、こびり付くかのような感触である。無意識の内に刃は両の腕を振っていた。血振りを行っても取れる筈はないのだが、それでも脂にまみれた腕を刃は振っていた。
彼に処断の刻限を伝えた男が身体を起こし中腰のまま莚の端を掴み、ぱっと三個の肉塊に被せた。捕虜達の胴より流れた血がにじみ、莚に点々と淡い染みを作っている。
少しの間を置き、裏口から数名の奴隷達が現れた。大きく古びた粗末な戸板を抱えている。