(無題)
物言わぬ死体から乱雑に足枷をもぎ取る。この星は資源に乏しく貧しい。枷が赤く錆びたただの鉄くずに近くなろうと繰り返し利用する。……次に刃がこの枷を見る時は、また今日と変わらぬ事を行う時であるのかもしれない。
彼等は粗末な戸板に莚で包んだ屍を乗せ、やって来た裏口へ去って行った。
処断された者が戦場で武器を取っていた戦士達であろうと、事が終われば処理は淡々とした物である。刃も死体には特に一瞥も与えなかった。主の敵側に属していた捕虜達で、断つべき存在ではあったが、彼等そのものに直接の恨みはない。この一つの仕事の中で彼等の生命も終わったので関わりはそれまでである。
ただ三名の者を断っただけだ。長身で屈強の男、勝気な青年、小柄の若者。断った、断とう、断たなければと彼等の身体でなく己の過去を切り捨てた思いはあった。母星の揺りかごの中、主からの慈しみを受け兄に見守られ姿の似た二人の弟を可愛がっていたその過去を。
眺めていた男達は未だざわめいている。数間離れた刃にも甲高い声が聞こえ興奮した顔色の者も多い。彼等は刃の処断と技に満足している様だった。
側近達に囲まれ姿までははっきりと見えないが、満足気な主の顔がちらりと見えた。悠々とした気配も今の主の思いを物語っている。
未だ肩で息を吐いているが良かったと刃は思う。緊張が多少は解け、体中の力が抜けそうになるが、駄目だと抑えた。
(……ただ今日成すべき事を終えただけだ。これは明日も先も繰り返す。だから止まるな。考え立ち止まるよりこの刃龍を持ち戦え。)
そう思った後ふと我に返り両腕の刃龍を確認する。
血痕の小さな粒は厚い刀身のしなる様な曲線を描き、細くなっている反りから三寸程の腕側にまで達し、水玉模様の如く転々と散っている。無論腕は肘に達するまでぐしょりと濡れている。両腕は自然体で下げているので、同じ様に下を向く刃先に脂がさらさらと流れる。この血と脂を全て落とすには数日の時間と根気が必要となる。
……
軽く息を吐いた彼に向けて、側近達と歓声に囲まれた主が一瞬含んだ表情を見せたが、刃は気付かなかった。
興奮の覚めぬ男達は次に主を口々に讃え始めた。その様子をちらりと確認し刃は安堵する。目に見え衰退し続けている主と一族の勢力。そして常に先代との比較に晒されている主。彼の政による統治には全く関わる事のない立場であるが、泥を塗る結果にならずに済み再度そっと息を吐いた。
主を取り巻いていた男達が俄かに騒がしくなる。一体何であろうかとそちらを眺めると大声で何かを言う者がいる。処断での刃の様に興奮し、自らの若い頃の初陣の記憶や、現役時代の戦功を思い出し話しているようだ。唾が飛びそうな程の大きな声である。
所詮その場のお喋りではあるが、一人が話し始めれば見栄と誇りで他の者達も黙ってはいない。何時ぞやの多くの傷病者の出た大戦で陣を敷いていた、数百名の死体が捨て置かれた戦場でこの身は戦った、あるいは今所持している名刀の価値や数等。口々に話す男達は何れも自慢気な表情をしていた。
(……俺は断った命の数を隠し、人は奪った生の数を競う。)
最早この場は彼等の自慢話の言い合いとなったが、主は何も言わず傍観している。機嫌が良いのだろう。
騒々しい男達に対し、刃の処断の最中に気を失わずここまで残った女達は一様に静かである。顔色の青い者も多かったが、小声でひそりと囁き合う者達もいるようだ。
全く気には留めていなかったが、こちら……刃側へ向けられた視線が離れない事に気付き、何なのだと思い刃は振り返った。
視線つまり気配の主は二名の者……老人と女であった。
主から左程遠くない場に立っている。苦色を更に抑えた、地味だが遠目からでも上質と知れる絹の裾一面にびしりと細かく縫い込まれた鹿の子模様の色留袖。飾りも玉簪一つであるが、鈍く輝く銀と先に赤く大きな珊瑚を贅沢に用いている。その出で立ちで控えてはいるが、どこか高慢な気配の女と、老人。老いた方は驚く程派手な装いである。明るい青紫に銀糸で藤模様の書かれた留袖、一面に大きな鴛鴦の刺繍が施された日傘を侍女に持たせ立っている。厚く白粉を塗った顔が浮かび上っているように見えた。
双方の雰囲気は似て、どちらも黒く小さな目の目頭が上瞼の皮膚で塞がっている。この星の者達に良くある目だが、二名は親と子なのだろう。
気配に振り向いた刃を少し眺め、すぐに目を背けた子の方がまず口を開いた。
「……化物。恐ろしゅうございます。」
正しく物を見る目で刃を見ている。
(……)
眉をしかめ袖で口元を覆う者に対し、腹は立たなかった。刃とは立場も過ごす環境、周囲の世界も全く異なり、戦いを知らない身分のある者達にはそう思われてむしろ当たり前だろう。何よりもうこういった事には。
(……慣れ切った。)
女達だけでなく男達からも持つ力を恐れられ、利用され、忌まれて来た。嫌悪や恐怖は昔もこれからも人に抱かれ続ける思いだ。
「草(忍び)の武器を持つカラクリ。捕虜とは言え顔色一つ変えずあの様に生きたまま……獰猛な、残忍な。」
処断の光景とその刃の様に気圧され、今まで沈黙のままだったのだろうか。小声ではあるが堰を切ったかの様に子は尚言い続けている。その表情と声は険があり冷たい。
刃の主や他の客達、向かい右隣に立つ母と思われる老人の手前、慎ましさを装っていた様だが、この者の本来持つ性質であろう尊大さと支配層の持つ高慢さが言動から滲み出ていた。
「形こそ勇ましい者だけれど……母上。」
同意を求め、女は向かい左側に立つ老人に視線を動かす。
それまで女……子の呟きに黙し応じなかった老人が僅かに口を動かした。割れ目の様な深い皺が別の生き物の様に動く。
「そなたも良く見るがよい。あの草を。」
そう言いながらも老人はその時初めて刃を凝視した。あからさまに侮蔑の念の込められた子とは異なったが、だからと言って好意は全く感じられない目だ。
何か得体の知れない気配を帯びた視線に、恐怖ではないが刃は漠然と不快なものを感じた。
「幾ら見たとしても汚れ血に塗れているだけです。」
子の方が口を挟む。
「そうだな。確かに草であるカラクリ……異形の者だ。加えてそなたの言った通り今は身体が卑しき者達の血で穢れ切っている。ただ……」
言葉を止め老人は目を細めた。微かに笑んでいるが、何故笑っているのか。その意が汲み取れず気味の悪さを感じる。
「放つ殺気の中に漂う寂寥、憂い。卑しき者達の血で穢れた心なき草……中々良い物ではないか。」
唖然とする子に対し話し続ける。
「それがあのカラクリの放つ濡羽色の様な艶に引き立ち、良く映えた。」
(……)
人がこの身を言う事については、あまり耳には入れたくない。老人の今の発言の真意も刃には掴めない。
まず老人は刃の姿を称えた様であったが、当人は己の容姿を気にかけた事はなかった。第一母星に居た頃の過去の出来事により額に大きく傷跡が残っている身で、この星に下りてからは仕事に差し障りの出る以外の外傷……特に顔など。気にしている場合ではなかった。
(……あの者程美しければ俺も違っていたのだろうが。)