Day After Tomorrow
2章 ちょっとしたアクシデント
ドラコは厨房の中で、忙しく働いていた。
小さなフライパンの持ち手をトントンとリズミカルに叩いて、溶き卵を丁寧に一箇所に寄せて、見事にひっくり返して、それを皿にのせた。
上部をナイフで切り目を入れると、とろっとした半熟の卵が溢れてくる。
「どうでしょうか?マダム・ナタリア?」
それをスプーンですくって試食して、ナタリアは指でOKサインを出した。
「上出来よ、ドラコ!あなたは本当に物覚えがいい子ね。モーニングのメニューに加えてもいいわよ」
そう大きなからだのマダムに褒められて、嬉しそうにドラコは笑った。
ナタリアはこの世界になじめず困っていたドラコを救ってくれた恩人だ。
スカーフを頭に巻いたマダムはロシア系移民で、いつも大きなマトリョーシカのようなからだをゆすって、笑っている。
彼女の自慢のピロシキといっしょに、自分が作ったオムレツをメニューに加えることができて、ドラコも嬉しかった。
まるで自分の中の「マグルのレベル」が1ポイント上がった気分になる。
ドラコは朝の7時きっかりに店を開けるとメニューの看板を外に出したり、入ってきた客のオーダーを取ったり、厨房を手伝ったりして、忙しく動き回っている。
今入ってきたばかりのテーブルのお客の横に立つ。
「何にいたしましょうか?」
女の人はメニューを見たまま考えていると、「オムレツがオススメですよ」と声をかけられ、
その声に顔を上げ目が合うと、途端に女性は「あら」と少し驚いた顔になり、慌ててニッコリとドラコに笑いかける。
それに対応してドラコも目を細めてニッコリと笑い返す。
「じゃあ、オムレツとコーヒーね」
「かしこまりました」
彼が歩いてオーダーをカウンターまで告げに行くのを、じっと見つめる。
(まぁ、なんてきれいでカッコイイのかしらっ!)
その色の薄いプラチナブロンドを後ろに撫で付けた髪型もいいし、ほっそりとした体型にコックコートや黒のエプロンがとてもよく似合っていた。
優雅で上品な仕草でカップにコーヒーを注ぐのも、うっとりとするほど洗練されている。
彼の全身からはどことなく、育ちのよさが漂ってきた。
(きっと、貴族ね。それもかなり古い)
と彼女は勝手に思って、そして次の瞬間苦笑した。
(そんなわけないじゃない!だって彼、厨房でフライパンなんか振っているのに!そんな貴族なんか聞いたことがないわ)
オープンキッチンでドラコは真剣な顔で調理をしていた。
それがあまりにも真面目で神妙な顔をしていて、作業に余裕がない様子がひどくおもしろかった。
だから下を向いて、小さく笑っていた彼女は気づかなかった。
「お待たせいたしました」
そう言って彼がオーダーした皿を彼女のテーブルに置こうとしたことに。
「―――えっ!?」
突然声をかけられて驚いた彼女は、運悪くドラコの銀の盆に肩をぶつけてしまう。
ガチャンと食器が触れ合う音がしてコーヒーの入ったカップが傾き、それがこぼれて彼女の袖口を濡らした。
「―――あっ!すみません」
ドラコは慌てた顔でお盆をとなりの空いているテーブルに置くと、彼女の手を取った。
「やけどはしていませんか?」
「大丈夫よ。少し袖口が濡れただけだから」
「すみません。ええっと……」
ドラコは彼女の手を握ったまま困惑している。
彼女のほうもかなりビックリしていた。
何度かこういう場面に遭遇したことはあるが、いきなり手を握られたことは初めてだった。
(ナンパなのかしら?)
相手を見ても、彼は困ったような顔をして彼女の手ばかりを見ているので、違うと思った。
実はドラコはこれからどうしたらいいのか、全く分からず焦っていた。
魔法ならばここで呪文もひとつでも唱えれば、あっというまにこんなシミなど無くなってしまう。
別に悩むほどのことではない。
しかし、ここはマグルの世界なのだ。
魔法は一切使えない。
洗濯をして汚れを落とすことは知っていたが、まさかここで「すみません。ブラウスを脱いで下さい」とはとうてい言えない。
(どうすればいいんだ?)
ドラコは途方に暮れていた。
「ええっと……、シミが付いてしまいますね」
「そうね」
「それでですね……、このシミを落とすには―――」
「早く濡れたタオルで拭けば大丈夫だと思うけど」
彼女が当たり前のように答えると、相手の顔がパッと明るくなった。
「そうかっ!そうですよね。急いで持ってきます」
ドラコはカウンターから濡らしたタオルを持ってくると、袖口の辺りを丁寧に拭った。
濃いベージュのブラウスなのでシミにはならず、ドラコはほっとして相手に笑いかけた。
彼女はドラコの笑みにクラッと眩暈がした。
(かなり凶悪な笑顔ね。この笑顔なら、まずどんな女の子も思いのままになるわね)
いつもはひどく整いすぎていて、作り物めいた冷たい容貌なのに、笑うと途端に人懐っこい笑顔になる。
しかも、はにかんだように笑ってくるので、これは最強の笑顔だと彼女は思った。
「ねぇ、あなたのお名前は?」
「ドラコです」ニッコリと笑った。
「──ドラコ?もしかして、ドラゴンが由来なの?ものすごく勇ましい名前ね。わたしはメリーよ」
自慢のブルネットの髪をかき上げた。
そういえば昨日読んだ新聞で彼女のような髪の毛のことが書かれてあったのを思い出して、ドラコは言った。
「英国ではブルネットの女性が一番人気があるそうですね」
「いかにもっていう金髪美女から、時代は個性的なブルネットへと時代は変化しているっていう新聞の記事でしょ?もちろん読んだわよ。そしてすぐにスクラップにしたわ。ここ何年かで一番いい記事だったもの」
フフフとメリーは笑う。
ドラコはその彼女の笑顔も態度も気に入ってしまった。
とても似ているからだ。
このゴーシャスさも、横柄な態度も、自分に絶対の自信を持っているのも、みんなひどく似通っていた人物がいつも自分の側にいたからだ。
威圧するほどのプライドの高そうな美貌も、長くウエーブした髪も、ドラコにはひどく懐かしくて嬉しいし、この彼女ならば気軽に臆することなく応対できた。
「あなた、貴族なの?」
からかうように彼女は言った。
「ええ、もちろん。代々続く大貴族でした。そして今では落ちぶれて、しがないコック兼皿洗いです」
笑って肩をすくめる。
「あらあら、本当今ではドラマにすらならないほど、ありきたりのストーリーね。つまらないわ」
彼女も笑った。
「使用人は?」
「ざっと50人ほど」
「まぁ、すごい!で、何で落ちぶれたの?」
「父親があることでミスをしました」
「分かった、賭け事ね!?」
「ある意味、正解です。全財産をある賭け事で一点賭けして、みごとに外れました。それで家も財産も使用人もいなくなり、僕は今ここにいる訳なんです」
「ドラマチックだけど、信じられないくらいつまらない展開ね」
「ええ、本当に。全くありきたりな展開ですみません。」
ドラコは肩をすくめた。
「つまらないけれど、これが人生ってもんです」
何か自分に言い聞かせている感じだ。
「あなたはいつもここにいるの?」
作品名:Day After Tomorrow 作家名:sabure