Day After Tomorrow
3章 ナタリアとの出会い
昼間のランチの喧騒も終わり、店内はがらんとしていた。
「食事でもしましょうか、わたしたちも」
にっこりと笑ってマダムはエプロンを外して、厨房に立っているドラコに話しかけてくる。
難しい顔でオムライスの中に入れる新しい具材のトマトと格闘していたドラコは笑顔で頷いた。
「ええ、もうちょっとで出来上がりますので、少し待ってて下さい。これがなかなか曲者で、手を焼いているんですよ」
フォークでフライパンの中をかき回していつものように溶き卵を流し込み、ゆっくりと片方に寄せてそれを形作っていく。
そんなドラコの姿に微笑むとナタリアは、テーブルの上にパンとミネラルウォーターのグラスとホワイトシチューを並べた。
小さな彼女の食堂はどこにでもある、ありきたりの質素なものだ。
夫と死別したあと、労働移民として彼女は少しでも条件がいい国へと流れていき、結局最後は比較的ゆるやかな移民制度があるこのイギリスに腰を落ち着けて20年になる。
異国での生活は口に出すことができないほど過酷なものだったが、持ち前の我慢強さと忍耐力、そして何よりも前向きな姿勢でここまでやってきた。
彼女は自分の人生を誇ってこそすれ、後悔などない。
ただひとつ悩みがあるとすれば、貫禄たっぷりの腰周りだけだ。
しかしこのことですら、「これこそがロシア人女性の美点だわ!」と豪語して、みんなを笑わせたりもした。
ドラコは湯気の立つ皿をふたつ運んで、マダムと自分の前に並べる。
もちろん少し焦げて形の悪いものは自分の前だ。
上手くできたほうをマダムに差し出して、少し緊張しながら尋ねてくる。
「いかがでしょうか?」
マダムはそれにナイフを入れる。
「……あら、トマトとチーズにしたの?」
「ええ卵とトマトはよく合うし、チーズと卵の相性もいいから、ふたつをひとつにして中に入れてみたんですが、これがなかなかどうして、うまくまとまらなくて―――」
「トマトからは水分が出るし、チーズはとろける直前が一番おいしいから入れるタイミングが難しいのよね。このふたつをあわせるのは、なかなか……。作るのは大変だったかしら?」
「ええ、かなり」
「でも、おしいしわよ。いつでもあなたの作るお料理には心がこもっているもの」
にっこりと笑って口に運ぶ。
「ありがとうございます、マダム」
ドラコは照れたような笑みを浮かべた。
自分の料理がどんな下手であろうと、例え真っ黒のホットサンドを作っても、彼女はドラコのことを咎めたりはなかった。
無条件のやさしさが彼女からにじみ出ている。
何も分からずこのマグルの世界で戸惑っていた自分に、最初に声をかけてくれたのが彼女だった。
彼女の色の薄いアイスブルーの瞳も、雪のように真っ白な肌も、血色のいいピンク色のほほも、丸々とした腕も、小さくてずんぐりとした体つきも、ドラコは好きだった。
彼女からはいろんな苦難を乗り越えた上にある、やさしさに満ちている。
彼女が浮かべる笑みを受けて、自分がこんな笑みを浮かべることが出来るとは、ドラコは思ってもいなかった。
皮肉屋で気難しく他人を自分より下に見て、相手の失敗は容赦なく指摘して威張り散らかしていた自分。
あの頃の自分は権力を振りかざし特権階級のエリート意識にふんぞり返って、厚顔無恥という言葉がぴったりだったと思うほど、思い上がっていた。
「ものを作る」そして「食べる」という、一連の動作が今のドラコは好きだった。
苦労をせずとも杖を一振りして呪文を唱えると希望が叶うというあの世界では、結果がすべてだ。
「食べ物」は作らなければ「食べれない」
魔法界では容易に結果を呼び出せたことが、この世界では最初から最後まで一連の作業の末に、やっと完成することを知った。
それは最初ひどく効率が悪くて原始的で、時代に取り残された方法だとバカにしていたが、この世界に来て時間が経つほどに、それが普通だと理解した。
魔法界こそが特別な世界だったのだ。
マグルの世界の多種多様の原因の上にあるたくさんの結果は、すべて出所がはっきりとしていてドラコを安心させた。
何もないことろから、ものは作り出せない。
1+1=2のような単純で明快な論理を、ドラコは素直に理解できた。
ドラコのナイフを操る上品な仕草は、よく躾けられた子供の頃からのマナーだ。
魔法界を追放されたあのとき、自分はすべてを無くし全部を手放したと思っていたが、それでも無くならないものがあることを知った。
心の中にある思いと日々の生活習慣は、どんなことがあっても消し去られることはなくそれらは消えることはない。
―――そして生まれ持った性格はいつでもその気になりさえすれば、自分の願うほうへと変化させることが出来た。
変えることなど絶対に出来ないと思っていた自分自身の心ですら、変われることを知った。
こんな緩やかで落ち着いた日々を、まさか追放されたマグルの世界で手に入れられるとは夢にも思っていなかった。
ドラコは最近白髪が増えてきたマダムに、ゆっくりと笑いかける。
彼女にはいくら感謝しても足りないほどだ。
こうして食事を取りながらドラコは彼女に、いろんな質問をする。
郵便局の利用の仕方や、スーパーでの衣料品の値下げの時期、よく落ちる洗剤など、脈絡がないが日々ドラコが疑問に思ったことを素直に尋ねた。
そこには普通に生活している人ならば当然知っている質問が多くて、彼女を笑わせたり、驚かせたりする。
この目の前にいる青年は見目も麗しく、話すと利発で頭がいいのにひどく世間知らずだ。
彼が言うところの「大貴族の落ちぶれた息子」というのは、あながち嘘ではないらしい。
本当に世間のルールも知らずに、ぬくぬくとよくここまで真綿に包まれたように何も知らずに育ったものだと感心する。
作品名:Day After Tomorrow 作家名:sabure