ミニ☆ドラ
5章 外出
ハリーが言ったように、朝食の後片付けが終わったのは、きっかり1時間後だった。
タオルで手を拭くとリビングに戻っていく。
「お皿は全て洗い終わりました」
派手な大きな音を立てて掃除機を動かしていた叔母は振り返り、
「あら、ありがと」
と、さも当然とばかりにツンとした表情でハリーを見下ろした。
そこにはひとかけらの愛情もなく、むしろ憎しみすら混じっているような顔つきだ。
――心から愛していた姉を彼女から永遠に遠ざけた、どんなことがあっても許せない相手に、ハリーが日々酷似していくのを、苦々しく思っていた。
……あの髪がせめてストレートの赤みを帯びたブロンドだったら、すべてを許せたかもしれない……
大好きだった姉の華やかな容姿の片鱗でもあれば、こんなにも甥を邪険には扱うことはしなかっただろう……
姉の夫だった相手と同じように眼鏡をかけた甥は、成長期特有の背ばかりが伸びた肉がついていってない痩せた体は不恰好だし、髪の毛は黒く、どうしょうもないほど癖がつき、手の施しようがない。
唯一の姉の子である証の、深い緑の瞳がそこにあることも許せない。
その瞳はそこにあってはいけないものだ。
彼女が愛した新緑のようなグリーンアイズは、自分が憧れてやまない姉のもので、それを受け継ぐ者は上質で選ばれたような子供だったはずだ。
どこにでもいる冴えないサラリーマンと結婚すると聞いたとき、本当に彼女は落ち込み言葉を失ってしまった。
誰よりも美しい特別な姉は、特別な相手と結ばれるとばかり思っていたので、ひどく裏切られた気分だった。
姉の清楚なウエディングドレス。
ライスシャワー。
こぼれるような笑顔……
彼女は何度も何度も姉との幸せな記憶を思い出す。
それは彼女にとってかけがえのない宝石のようなものだった。
「ペチュニア。わたしはあなたの名前がついた花が、何よりも好きよ」
そう言って笑って抱きしめてくれた姉は、もうどこにもいない。
それでも彼女は今でも探してしまうのだ。
花が咲き誇る庭先や、垣根の向こうを見て、あの日のままの姉がそこに立ち、自分のほうへ駆け寄ってくるような気がしてならない。
――もう全てが過去のものだというのに……
彼女は聞こえないようなため息をつき首を振った。
甥の顔を見ると苦しみと悲しみで胸がいっぱいになってしまう。
だから余計に邪険に扱うのかもしれない。
「じゃあパンを買ってきてちょうだい。いつものね。残りは好きに使っていいわ」
幾ばくかの紙幣をハリーに渡す。
それを受け取り頷くと、マフラーを首に巻きドアを出た。
戸外は雪が結構積もっているから、また午後はこの周辺の雪かきをしなければならないだろう。
ハリーの仕事は増えることはあっても、減ることはなかった。
サクサクと音を立てて歩いていると、後ろから声が聞こえてきた。
「まってくれ、ハリー!おーいっ!」
振り返るとチビっこいドラコが雪に足を取られながら、それでも必死で転がるように追いかけてきている。
持ち上げると雪まみれで、まるで小さい雪ダルマのような姿に思わず笑ってしまった。
雪を丁寧に払ってやり自分の胸のポケットに入れて、また歩き出す。
「ハリー、君は少し薄着すぎるんじゃないのか?コートを着たらどうだ?」
彼は肩をすくめた。
「あることはあるけどさ、あの従兄弟のお下がりだぜ。大きすぎるんだ。特に横幅がね」
「ああ確かにあのデブのお下がりだと、仕方がないよな」
彼の叔母は自分の息子なら少し咳き込んだだけで大騒ぎするのに、相手がハリーだとそこに誰もいないような瞳のまま無視をして、冷たい態度しか取らなかったので、ハリーの衣類不足のことなどこれっぽっちも考えないに違いなかった。
それでもハリーは見るからに寒そうだ。
ドラコは思い切ったように話しかけた。
「……ねえ、ハリー。もし君が寒いのなら、この寒さを和らげる魔法ならあるよ」
「じゃあ、今日はそれをお願いするよ」
魔法使いはうなずき、小さな声で呪文を唱えて杖を振った。
一瞬にして自分の上に一枚多めにセーターを着たような暖かさが、ハリーの全身を覆った。
「へぇー、これはすごい。本当に暖かい!」
「全く寒くないって訳じゃなくて、ほんの少しだけどね」
褒め言葉にテレて鼻を擦る。
チビっこい魔法使いはちいさなことでもハリーの役に立てたことが、なによりも嬉しかった。
パン屋で言われたパンを買い、残りのお金でホットドックとココアを追加注文して受け取ると、彼は公園へと向かう。
「家には帰らないの?寒いのに」
「まさか。あんな家、一秒だって居たくないねっ!」
苦々しく、はき捨てるように呟く。
ドラコはその口調の冷たさにハリーの心中を思って、胸が締め付けられるように感じた。
ハリーの表情はいつも険しい。
眉間にシワを寄せて、無口で何かに怒っているようだ。
でも時折、自分に向けられる笑顔や言葉は優しかった。
積もった雪を手で払ってベンチに腰を下ろすと、ドラコにホットドックの暖かいところをちぎって渡す。
「君もお腹が空いただろ。食いなよ」
そんなに大きなパンではないのに、ハリーは別に気にする風もなく、 当たり前のように彼に食べ物を分け与える。
「そのカップのココアを飲んでもいいけど、寒いからって、その中で泳ぐなよ」と気軽に、軽口をたたいて笑った。
……本当のハリーはきっとやさしくて思いやりのある性格なんだ。
細やかな気遣いも笑ったときの人懐っこい笑顔も、それが物語っている。
そんな彼をこんな風にしたのは、多分……
それから急に無口になり凍った目の前の湖を見つめて、ハリーはパンを食べ始めた。
眉間にしわをよせて黙々と口に入ったものを噛み砕いて、飲み込んでいく。
最初、そんなにもこのホットドックが不味いのかと、 ドラコは思ったほどだ。
何かを深く考え、全てを食べ終えると飲み物をすすってつぶやいた。
「……あと、半年の辛抱だ。あと半年で、僕は解放されるんだ」
「――えっ?」
ドラコは相手を見上げる。
「もうすぐしてこの湖の氷が溶けて、このあたりに花が咲くころ、僕はここからやっと離れられる」
「誰かと約束をしているの?」
ハリーは頭を振った。
「いや、約束なんかない。でもあと半年で僕は学校を卒業できる。義務教育が終了して、それで晴れてあの一家ともこの土地とも、おさらばできる」
「行くあてはあるの?」
首の後ろに腕を回し、大きく伸びをしてハリーは答える。
「……何も。――僕には何もない。金もなければ、技術もない。勉強は不得意だし、スポーツはからっきしだ。痩せてガリガリだし、おまけに目も悪い。本当に取るところがないよな、自分は……」
乾いた声で笑った。
本当はきっと泣きたいはずなのに、それでも無理に笑おうとする。
泣いても誰も自分の味方になってくれないことは、昔から分かりきっていたからだ。
ハリーはまっすぐ顔を上げたまま身じろぎもせずに、凍った湖を通り越しそのずっと向こうを見続けた。
(前を見るんだ。振り向くな。考えるな)と、心の中で何度も言い聞かせる。
ギュッと唇を引き結んだ。
ドラコはじっとハリーの手を見る。