沈黙のフィーヴリス
目を開けると周囲は薄暗かった。見慣れたラボの天井。体が変に痛いのはソファーに寝かされていたからか。
「気がついたの?」
横たわったまま顔を横に向けたら、紅莉栖が椅子を後ろ前に座っていた。背もたれに腕を乗せ、その上に少し傾けた頭を乗せて。
「急に倒れるからびっくりしたわよ。」
「……俺もびっくりした。」
返事した喉が酷く痛む。
世界線が変わった影響なのか、それともタイムリープの影響なのか、俺は倒れてしまったようだった。
「熱出てるわよ。今橋田が薬を買いにUDXまで行ってくれてる。」
「すまん……」
「鳳凰院なんとかさんも熱を出したら大人しくなるのね。ずっとそうだったらいいのに。」
紅莉栖は随分明るい口調で嫌味を言った。
「……そういうわけにもいかないだろうな。こんなところで俺が倒れたら」
まゆりが死ぬ。
紅莉栖はそれを見てうろたえて、俺に電話してくるんだ……先に俺に言われて、覚悟していた癖にな。
「岡部?」
「なんでもない。今、何時だ?」
「さっき21時になったところ。……あれ、UDXの薬屋って何時まで開いてるんだっけ」
戻ってきたのは午後2時だった。7時間を無駄にしたのか。急いで体を起こそうとするが腕に力が入らない。紅莉栖は慌てて椅子から降り、俺の体を無理やりソファに押し込もうとする。く、苦しいぞ助手。
「今動いちゃだめ! 熱があるって言ったでしょ!!」
「わ、わかったから、思い切りに体重かけるのは、やめ、れ」
「あ、ごめん!」
紅莉栖はぱっと手を離して飛びのいた。
「昼は! 人の肩掴んだままで急に気絶しちゃって、あんたでかくて重くて、私潰されちゃったんだから、これくらい許しなさいよね」
その言葉に昼のことを思い出す。そういえば、あのとき、結局俺は最後まで言えないまま気絶したのか。
この先、俺がしなければならないことを考える。
薬を飲めば体調は回復するだろう……ただ、この先は今までとは違う。相手はあの桐生萌郁。あいつが出した最後のDメールを取り消すには、フェイリスのとき以上の体力と、るかの時以上の精神力が必要な気がする。俺たちを狙っているSERNのラウンダーのひとり。これまで何度も逃げのびようと試行錯誤してきて、その度にあいつらがどんな風にまゆりを殺したかを俺は全部覚えている。いつもは無口で携帯をいじりつづけているだけの女だが、体格も運動神経もいい。病み上がりでそんなのの相手をするのは正直きついだろう。
「ねえ、何があったの」
気づいたら紅莉栖が俺をまじまじと観察していた。蛍光灯の心もとない明りの下。影になった紅莉栖の目が鋭く光っている。
「気づいてる? 今、凄く怖い顔してる」
無意識に考えていたことが顔に出てしまっていたようだ。俺は深呼吸しようとしたが、腫れた喉のせいでわずかしか吸いこめなかった。
この体調では、この世界線では、恐らく無理だ。
「……なんでもない。たぶん、熱のせいだと思う」
俺は視線をさえぎるように、目の上に二の腕を乗せた。
「そう……なの? 岡部、なんだか様子が」
近づく重たい足音。がちゃりと扉が開いた音。
「ただいまだお! おーオカリン起きたか! 風邪薬とおにぎりとポカリ買ってきたから、早く薬飲むといいお!」
騒々しくダルがラボに戻ってきて、そこで助手の追及は途切れた、はずだった。