沈黙のフィーヴリス
「なぜ帰らない」
「だって放っておけないんだもの」
そういやこの助手は案外粘着質で諦めの悪い奴だったなと思い出したのは、ダルが先に帰り紅莉栖とラボに2人きりにされた後だった。まゆりはもう池袋に戻っているはずだ。俺が倒れたのを相当心配してくれたようだが、まゆり自身も体調が悪く、俺が気絶している間に紅莉栖たちが家に帰らせたとさっき聞いた。
「いくら熱があるにしても、あんたがあんな顔するなんて余程のことのはず。橋田がいると話しにくいことなのかと思って待ってた。正直に話してもらえないと、力になれない」
高熱を出している病人相手でもこいつはどこまでも厳しく、真剣だった。
……熱のせいだろうか。そんな態度が、今は少しつらい。
「岡部、何をするつもりだったの?」
クソ真面目に彼女は追い詰める。
「別に、俺は……」
「あんた……さっき時間を聞いた後に、凄い顔してたの。何かが憎くて仕方なくて、殺しそうな顔してた」
こいつは何を言ってるんだ。
「……俺が殺すんじゃない」「じゃあ誰が、誰を殺すの」
誘導尋問? 馬鹿な俺は見事にひっかかり、天才少女は言う。
「あんたは理由もなくそんな顔するような奴じゃない」
何も知らない助手風情が何を言うのか。
これまでの世界で俺が言ったことなんて覚えてない癖に。
俺に言われて知ってたって、どうせ目の前で見たら、みっともなく狼狽するんだろ。
逃れられない無数の収束も死も……俺なんかついに見慣れてきたのに。
だからって俺がそれを紅莉栖に言っても、俺が失敗したこの世界線はすぐにやり直しされ失われることになる。ここで何を言ったって俺の言葉は結局無意味だ。次のタイムリープ先には何も知らない牧瀬紅莉栖が待っているんだろ。くそ。どうしてだ。なんか目が熱くなってきた。喉が痛い。声が出ない。俺とこいつらの間にある分厚い透明の壁が憎くてたまらない。
「え、ちょっと、岡部! なんで泣くのよ! やめてよ!」
紅莉栖がわめいている。
熱のせいだな。涙が止まらないのは。
なんで俺だけが覚えていなきゃならないんだ。
なんで俺だけが慣れなきゃいけないんだ。
なんでだ。
リーディングシュタイナーなんかなければよかった。
ふいに。
体に一気に重みが乗った。
紅莉栖が俺の体に覆い被さっていた。