tremolo
セシルさんは嫌いじゃないのだけれど、四ノ宮さんや神宮寺さんの”近い”とは違う近さを感じる。
ふっ、とかかる息とかに追吃驚して声をあげそうになってしまう。
「ん?my princess…顔がアカい…大丈夫デスカ?」
「え?」
セシルさんとの距離を意識して、その掛かる吐息をついいつもよりも敏感に感じてしまったのかもしれない。
(は、恥ずかしい…)
更に赤くなった私を見て更にセシルさんが心配する。
「No...やっぱり体がおかシイ?」
距離がまた近づいて、目を合わせられない。
「おい、何やってんだ、セシル」
廊下から聞き覚えのある声がした。
「あ、翔君…っ」
ドアの向こうに翔君が立っていた。
どうやら、セシルさんとの会話はドアを閉めずに行っていたらしい。
「おせぇから迎えに来たぜ、七海」
「ご、ごめんなさい。もう少し待って下さい」
「セシル、あんまり七海を困らせんなよ?」
「んー、コマル?どこにハマってるんでショウカ?」
「嵌ってねぇよ!つーか、わざとだろ今の!!」
はははっ、とセシルさんは照れながらこの前レッスンが「お笑い」に関する事で、「ボケる事は重要だ」と教わったらしい。
実践してみました、と自慢げに目を輝かせながら言ってきた。
私も翔君も苦笑しか出来なかった。
でも、セシルさんはセシルさんで一生懸命なのだ。
セシルさんからの手紙を受け取り、私はPCを取りに部屋の奥へ戻って、翔君と一緒に二人の部屋へ向かう。
「今日で全部終わりか?」
「はい。色々とありがとうございました」
「ん?何が?」
「気を遣って、頂いて…」
翔君達は手際が良かった。
二人が持っているイメージは確かに差異はあったが、すり合わせ方が上手いのだ。
妥協を求める事はあったが、それに対して自分の意見が全部消えてしまうような事はなく、良い按配で二人の考えが盛り込まれた。
この二人は相性が良いと思う。
でも、それだけでは駄目なのかもしれない、とも思う。
体を巡る血液も抜かれて、「新しい血を創る」と言う力がとても大きくなるのだと聞いた事がある。
(別の人と組んだらどうなるのかな…)
何となく私はそんな事を考えてしまっていた。
慌てて首を横に振る。
今はそんな事を考えている場合じゃない。
与えられた仕事を全うしなくちゃいけないんだもの、と。
「ん?どうした?どっか調子わりぃのか?」
翔君は私の顔をのじっと覗きこんだ。
瞳が大きくて、身長も少し近いせいか、存在をとても身近に感じる。
嫌な距離感では、ない。
一寸ドキドキもするけれど、多分翔君は私のパーソナルスペースを感覚的に理解しているのかもしれない。
恥ずかしいと思う一歩手前で止まっていてくれる。
(本当に優しい人だな、翔君)
だからこそ、「このままではいけない」とどこかで私の身体の奥に眠る音楽が伝えてくるのかもしれない。
「何でもないです、一寸緊張の糸が解けたみたいで」
「そうだよなー。でもでも、まだ二週目だぜ。残りの週、身体大切にして頑張れよ!俺達も頑張るから」
「はい」
翔君の笑顔は、本当に凄いパワーを持っていると思う。
(明るくて、あたたかくて…)
勿論、今年入ったアイドル見習いの七人全員、それぞれの光を持ち、太陽で有ると思う。
誰かを照らして、癒して、温めて、そして幸せにする。
音楽で、それ以外の表現で。
(たまに、月や星のような人はいるのだけれど…)
多分、一ノ瀬さんや聖川さんや神宮寺さん、そして四ノ宮さんは夜の人だと思う。
一十木君、翔君、セシルさんはどちらかと言うと昼間の人。
でも、全員とても「優しい」。
彼らがもっと表舞台に出たら、きっと沢山の人が彼らの魅力に惹かれて追いかけて来てくれる、と。
私は何となく確信している。
その為の音楽を。
彼らが輝く為の音楽を、私が創らなくてはいけない…。
「んじゃ、最終確認しようぜ!部屋まで競争な!」
「あ、翔君、ホテル内は走っちゃ駄目ですっ」
「固い事言うなよ!よーい、どんっ!」
翔君が風を纏って、豪華な絨毯の上を、オフホワイトの壁紙で囲まれた壁のある空間を走る。
「もう…怒られても知らないですからー」
多分、やっぱり翔君は私に気を遣ったんだろうな、とそう感じている。
今は何も考えない。
目の前にある課題を、山を越える為に。
皆の為に、そして私の為に頑張らなきゃ、と改めて心に誓う。
私は、翔君を追う為に力強く地面を蹴った。