水風船
今日の朝早く、まだ布団で微睡んでいた僕は、ほら行くよ支度して、といきなり叩き起こされた。文字通り叩き起こされた。
まだ五時前なんですけどとか、こんな朝早くから何ですかとか、どうやって鍵を開けたんですかとか、そんな文句は全部聞き流された。
腕を引かれて何度も電車と車を乗り継いで、あれよあれよと辿り着いた見知らぬ土地の見知らぬ旅館に連れ込まれ、そこの女将と親しげに話す臨也さんをぼんやり見つめながら(仕事柄よく使う場所なのかな、)なんて考えていたら、ほらいくよ、と手を引かれて近くの部屋に引っ張り込まれた。
「…そろそろ、何で連れ出したかくらい教えて下さい」
ぱたん、と背後で扉が閉まって、(臨也さんと二人きりだ)と思わず考えた自分を頭を振って他所にやる。
「うん、まあ…。そうだね、それよりもまずはさ、」
臨也さんが人の悪い笑顔で振り返る。
わあ悪い顔!と冗談を言う前に臨也さんが口を開く。
「服、脱いでよ」
時間が止まった。
「、…は、え?」
何、服?
服を脱げって?
「何、脱がされる方が好きなのかな?尽くされたいタイプ?それとも”脱がされてる”って被虐的なことに快感を感じちゃうタイプ?」
するりと伸ばされる白い人形めいた手を、ぽかんと見つめるしかできなかった。
「、そんな風にさ…あんまり無防備でいるのは、よくないと思うけど」
俺は付けこむタイプだから、とか何とか言ってる臨也さんの目が、ちょっと真剣で。
「あ、の」
チ、と胸元から音がして、それがジャージのファスナーの音だと気付いた。
「ちょ、ちょっと待っ…何して、!」
咄嗟に臨也さんの手を掴んだけれど、びくともしない。
目を細めてこちらを見やる臨也さんの視線から目が逸らせない。
「帝人くんは脱がして欲しいタイプみたいだから、ね」
チ、チチ、と、態とだろう、ゆっくりと下ろされるファスナーの音が何故だかいやらしく聞こえる。
別にこれは僕が臨也さんに対してやましい感情を持ってるとかそんなんじゃなくて、ただ単に他人に服を脱がされ掛けていると言う日常にあるまじき事態に戸惑っているだけだ。
大体ただの知人に、というか寧ろそもそも立派な成人男性を相手にそんな事を考える筈がない。
「帝人くん、本当に力弱いね、」
同じように、臨也さんが只の知人の男に、男子高校生にそんな事を考える筈だって、ない。
「いざ、や さ」
変に上擦った声がでて、こちらを見下ろす臨也さんの瞳の奥が揺らめいた気が、した。
つ、と音もなく寄せられた顔に思わず目を閉じてしまい、しまったと思ったが今更遅い。
「、」
小さく息をの呑む音がして、掴んでいる臨也さんの腕が強張ったのを感じた。
瞬間。
「痛った!!!」
ばちん!ともの凄くいい音と共に額が痛んだ。
何事かと目を開ければ、
「わっ、ぷ!」
ばさりと眼前に広がる布に視界が包まれた。
「なに、何なんですかっ」
頭に被さる布を引きずり下ろせば、普段と変わらない、人を喰った笑みを浮かべた臨也さんがいた。
片方の手がデコピンの形をしている。
さっき僕はデコピンされたのか。意味が分からない、理不尽だ。
「それ着て。そしたら出かけるよ」
「はあ?」
それ、と指された手の中の布を広げる。
「…浴衣?」
何故に浴衣。
…出かける?
「…夏祭りにでも連れていってくれると?」
僕の問いに満足そうに笑う臨也さんの表情が、是と答えていた。
「そう。誰も俺たちを知らない、あの場所から遠い遠い見知らぬこの土地で、俺たち二人きり、」
どぉん、と遠くで太鼓が鳴った。
太鼓の音につられないように、ゆっくりと息を吸ったけど、駄目だった。
「二人だけで、出かけよう」
鼓動が少し、早くなってしまった。