水風船
ぱしん、ぱしん、と、結局は臨也さんが持ったままの水風船が揺れる。
(今はこの夏祭りの雰囲気に感傷的になってるだけだ。この感情はただの憧れ。決して、けしてこれは、)
水風船が頼りなげに空中を行ったり来たりする。
その様はまるで。
(恋なんかじゃ、ない)
ぱしん、
(…そんな風に扱ったら、割れてしまうのに、)
隣を歩く臨也さんを見上げた。
変わらない表情。
何を考えているのかなんて分かった試しがない。
今日だって何で僕をここに連れてきてくれたのかも、意味もなく甘やかしてくれるのかも分からない。
予想はついてるけれど、確信は持てない。
彼の表情が変わる瞬間が見たくて、確信が欲しくて、僕は臨也さんの横顔を見つめた。
そうしてそのまま、繋がれた右手の力を強めてみる。
どん、どおん、と太鼓の音が僕らの間を通り抜ける。
「…、」
眉一つ動かさない臨也さんに悔しさがもっと募って、立ち止まって困らせてやろうかと思った時だった。
「、っ」
ぎゅう、と。
僕がいたずらに握った力なんかとは比べ物にならないくらいの力で握り返された。
「、っあ」
ぱしん、という軽快な音に、思わずこぼれた間抜けな声はかき消えた。
力が込められた手のひらが嘘みたいに、臨也さんは涼しい顔をして、先ほどと変わらず真っ直ぐ前を見たまま振り返りもせず、やっぱり変わらない速度で歩く。
(どうしよう、)
どこからか、ずっと聞こえてきている太鼓の音が、また一つ鳴った。
(…、どうし、よう)
ぱしん、と臨也さん手の水風船が音を立てる。
(好きじゃない、好きなんかじゃない)
どおん、どん、と、鳴り響く太鼓の音がうるさい。
鼓動を駆り立てるようで煩わしい。
これは恋なんかじゃない。
ただ、今は夏で。
夏祭りなんて一年に一度のイベントに来ていて、そう、つまりは非日常なだけで。
笛の音と太鼓の音が懐古的な雰囲気を醸し出していて興奮しているだけだ。
これは夏の所為。
だから、
(離してくださいって、言わなくちゃ)
こんな蒸し暑い最中に何で手なんか繋がなくちゃいけないんだ。
恋人でもあるまいし。男同士で。無言で。
はぐれたら大変でしょう、って貴方は笑って、そうですねって答えてしまったけれど。
こんな、こんな人がまばらな場所で、軽く走り抜けることも出来てしまいそうな人の数のこの場所で。
はぐれる筈なんてないの、知ってるくせに。
どうして。
(どうして、なんて聞けない。だって勘違いだった苦しい)
ぱしん、と頼りなげに揺れる水風船が憎らしい。
(好きじゃない、これは、恋なんかじゃ、)
脆い膜も、細いゴム一本でつなぎ止められている脆さも憎たらしい。
(だってそんなの、傷つくだけなのに)
「っ、」
考えごとをしていた所為で小さく躓いて傾いだ体を、繋がれた大きな手のひらに引き上げるように支えられた。
支えられるほんの一瞬だけより強く握られた手。
「ほんと、君って鈍くさいね」
浴衣なんて着なれないんだから仕方ないでしょう、と言おうとして、気付いてしまった。
気付いたら何ともいえない気持ちになって、反論しようとした気持ちが一気にしぼんでしまって、僕は俯いて口を閉ざした。
浴衣を着なれない僕と違って、普段と変わらない仕草で動き回る臨也さん。
そんな臨也さんと、僕は今手を繋いでいるわけで。
なのに僕が普通に歩けているってことは。
彼が僕に歩幅を合わせてくれているということで。
(でもこれは手を繋いだからであって、僕が転んだら臨也さんも巻き添えを喰う危険性があるからで、…あれ?)
ゆるやかに手を引かれながら、強く握られた自分の手のひらは直視できなくて、隣を歩く臨也さんの足先を見つめた。
(そうだ、はじめから、この夏祭りに来たときからずっと臨也さんは僕の隣を歩いていて、つまりずっと僕に合わせていてくれた、って?)
こうやって手を繋ぐ前から?
(何それ何それ何それ!!)
ぱしん、と強く叩かれた水風船の音がした。
(意味が分からない、いや彼にしたら女の子をエスコートするのに慣れているから、こうゆうのも自然に身に付いてる感覚なのかもしれないんだけれど!)
何よりも信じられないのは。
その事に動揺するくらいに、僕が、僕自身が、
(万人向けの優しさすら好きだと想うほどに、僕は彼を、)
ぱん、と更に強く叩かれた水風船に視線をやる。
(知ってる、彼は人間全てに優しい。人間全てに愛をささやき、愛を注ぐ)
特にあの場所では、池袋では、彼は良くも悪くも有名だ。
彼の信者は多い。敵も多い。
だから、あの場所で彼と純粋に二人になんてなれたことはない。