黄龍妖魔学園紀 ~いめくらもーどv~
ジュブナイル6
都心独特の暑さも、公園の中ともなれば随分と和らぐ。
外と中では、明らかに温度が違うのではないかと考えながら、如月は新宿中央公園の中を歩いていた。
片手には、近くの百貨店で購入した酒の包みがある。
「とはいえ、こう、無目的に歩いていてお会いできるものか」
小さく呟き、手に持ったものを見下ろす。
花見の季節ともなれば人でごった返す中央公園。だが、季節外れでかつ平日昼間の今日、人はあまり多くなかった。
「まぁいい」
木々の向こうに顔を出す都庁を眺めてから、如月は再び歩き始めた。
いくつかの彫刻。子供向け遊具。芝生の上で寝ている人もいれば、ゆっくりとしたペースでジョギングを楽しむ人もいる。子供につれられた若い主婦が、早足で横を通り過ぎていった。
広い公園だ。順路どおりに一回りして、入ってきたところに戻ってくる。
もう一度、順路を最初から歩く。
かなりの距離だった。
もう一度回るかどうか考えていたところ、空気が変わった。
如月は目を細めた。
人の喧騒が遠くなる。そして、排ガスの気配がなくなる。
ゆっくりと、三週目に入った。
どちらが現れてもおかしくはなかった。
「よぉ、飛水の。どうした、こんなところで」
声に振り向き、相手を見る。
「ご無沙汰しております。今日は、聞きたいことがあって参りました」
小さく頭を下げてから、小柄な老人のもとに向かう。
「ご健勝そうで何よりです」
渡された百貨店の袋に、老人――楢崎道心――は、目を細めた。
「ただの挨拶ってわけじゃあなさそうだな。何だ?」
「劉が今日本に入っていると聞きましたが、行方をご存知でないかと」
「劉が? わしゃあ、奴の保護者じゃないぞ。っと、何? 日本だと。なんじゃい、顔もださんと」
「ご存知ではありませんか」
「知らねぇなぁ。アンタもいったいどういう風の吹き回しだ」
「四神が今日本に揃っているとか。そして、蓬莱寺が帰国。……さらに、劉までもが日本に入っているとすれば、何かあるのではと確認したくなるも不思議はないかと」
「お前さん、何で知った。奴から連絡があったんなら、わざわざこの老いぼれのところに、居所なんざ聞きにこねぇだろ」
暫し迷ってから、如月は口を開いた。
「私立天香学園。何かご存知ではないでしょうか」
「いんや、知らねぇなぁ。何だ?」
「今から、何か起こるかもしれません」
「いつから預言者になった」
「京也――黄龍の器が、入っています。例の事件の関係者が日本に揃いつつあり、黄龍の器が自ら結界の中に入った。未だ外から兆候は見えずとも、何が起こってもおかしくはないかと」
「ははぁ……」
髭を撫でながら、楢崎はうなずいた。
「最近、また、きなくせぇなぁ。ちょっと前には、また、黄龍がらみの騒ぎがあったというし……」
「黄龍? そんな。一体それは?」
「詳しくはしらねぇ。オマエらが始末した騒ぎに比べりゃそよ風みたいな変化だ。事実、飛水の、知らなかったろう?」
「――修行不足です」
「天香、天香ねぇ……どこだ?」
「新宿区です。かなり端のほうにはなりますが」
「龍穴にしちゃあ近いな。オマエらが相手をしてきたのとは、別口かもしれんぞ。だとしたら――当代黄龍の器――ううむ」
楢崎の言葉に、如月は眉を寄せた。
「まぁ、気をつけろや。騒ぎのネタっつーのは、必ずしも龍脈だけじゃねぇ」
「はい。お言葉ありがとうございました」
「早く帰りたくてしゃあねぇって顔してんな」
面白そうに楢崎が言った言葉に、如月は目を見開いた。
「気をつけろや。――ごっそさん、ありがたくもらっとくぜ」
如月の表情の変化をとっくりと眺めると、楢崎は飄々と去っていった。
いつしか喧騒と排ガスが戻ってきた公園で、如月は苦笑の吐息を吐いた。
壬生は、ちゃぶ台の前に正座して、家主が茶を入れる手際を眺めていた。彼は、はじめて如月宅の奥に通されて以来、何度家主が言っても、膝を崩して座ることがない。
適量、適温で入った茶が、茶托に乗り供される。
「いただきます」
律儀に頭を下げてから一口飲む。その姿に、如月は微かな笑みを浮かべた。
一口だけで元の場所に戻すと、壬生は如月をまっすぐに見た。
「如月さん。お聞きしたいことがあります」
「――何だい?」
ほんの一瞬、言いよどんでから壬生は如月に尋ねた。
「鬼道書というものに、おぼえはありますね?」
「鬼道書? ――ああ」
如月は、天を仰いで嘆息した。
「まさか、今度の仕事に使うというんじゃないだろうね? あまりしつけのいい子じゃないんだが」
「違います。それはいま店にありますか?」
「――いや。確認しよう」
蔵の一角を思い浮かべ、如月は眉を寄せた。
「では、この春から真神で起きていた出来事の話は?」
「真神に何か起こっているという話は、先日聞いた。そうか、四月からか」
微かに、壬生の眉が寄せられる。如月は、そのわずかな動きに気づき、ため息をついた。
「真神の騒ぎそのものは片がつきました。鬼道書がどうなったかの確認をお願いします」
「騒ぎとは、どんなものだったのか、聞いていいのか?」
「詳しくは話せませんし、実際知らないのですが」
短い言葉の中に最大限の情報を込めた前置きの後、壬生は続けた。
「僕よりよほどご存知でしょう九角天童、さらには黄龍の器がらみのようです」
「……壬生。いつの間に、時間旅行をおぼえたんだ?」
「汀さんがいなければ、ですがね。彼女――ああ、黄龍の器は女の子でした」
「黄龍の器、か。……九角天童。それで鬼道書」
あごに指を沿え、如月はどこか遠くを見るようにして呟いた。
「――楢崎師の言っていたのは――。壬生、それ以上のことは?」
「残念ながら」
「そうか。とにかく、鬼道書は探しておく。――この前も村雨に言われたよ。平和ボケか? と」
「鬼道書の流出は、ここ数日の話ではありませんけどね」
「そうなのか?」
「さすがに、あのレベルの事件を起こすには、一朝一夕では無理です。おとぎばなしの魔法使いの本とは違いますからね」
「――使いこなしていた、と。あれは、もう一冊手元にないものがいたはずだが」
「申し訳ありません」
「いや」
小さく頭を下げる壬生に、如月は小さく息を吐いた。そして、自分の前の茶に口をつけ、温いと呟く。
「やれやれ、これが電話では話せないほう、か?」
「はい、そうなります」
「残念だな、ただ働きだ」
「身から出た錆だと思って、頑張ってください」
「冷たいな」
「報告でここの名前があがっているのを見た時には、心臓が止まるかと思いましたよ」
苦笑に苦笑で返され、如月はため息をついた。
「M+M(エムツー)機関のブラックリストには載りたくないものだよ」
「もう載ってます」
「……」
「こんな商品を扱っている店が載っていないわけがない。ご安心ください、ただの観察対象ですから」
「秋月にM+M(エムツー)、そして飛水。僕も人気者だ。ところで――」
「天香学園のことですか?」
茶菓子のあられを手に取ったいた壬生が聞き返した。
「ああ。その前に……」
今の任務は? と。声に出す前に、如月は口を閉じた。
作品名:黄龍妖魔学園紀 ~いめくらもーどv~ 作家名:東明