黄龍妖魔学園紀 ~いめくらもーどv~
如月は、無言で喪部を見ていた。
「ボクは《秘宝》を手にする。失敗しましたと探索を打ち切って、一人で上に戻った時には、撤退が決まっていることを聞く――」
静かに、如月は進んだ。音もなく、京也の前に。
「――如月――」
横を過ぎる時、京也は小さく呟いた。
如月は、微かに顔を歪めた。
「あまり欲をかくのは得策ではない」
「そうかな? 勝機をのがさないのを判断力と言うんじゃないかな?」
喪部は銃をしまった。
そして、笑みを顔にはりつかせたまま、如月と京也を順々に見る。京也の様子に気づくと、目を細めた。
「喪部という名のいわれを知っているか? ――平安時代以前より、この国では《鬼》と書いて《モノ》と呼ばせてきた」
「付喪、か。なるほど。何かに宿ってみせるとでも?」
「……いいや、もっと直接に」
どちらかというと細身だった喪部の身体が膨れたように見えた。
学生服の下に、逞しい筋肉が盛り上がる。それにつれて、肌の色が黒ずみ、目つきが変化し(かわり)、頭頂部に奇妙な突起が盛り上がる。
「勝機というのは、あながち間違いでもないだろう?」
まさにそれは、鬼というに相応しい姿だった。
制服の上着を脱ぎ捨て、喪部は笑った。
「君たちにはここで死んでもらうよ」
喪部は両の手を胸前にあげた。指をカギ爪のように折り曲げた。そして、そのまま如月に向かって、突進する。
何かの武術の構えではない。ただ、力だけにものをいわせた突進。エリート然としたがっている喪部の普段の言動からは、思いも付かぬような姿勢だった。
緩やかな動きで、如月はそれをかわした。
かわされたとわかると、喪部は方向を変える。その先には項垂れたままの京也の姿がある。
今までの京也ならば、すぐに動いただろう。いや、それ以前に、喪部が変生するやいなや、攻勢に転じていたに違いない。
だが。
今の彼は、ただ項垂れているだけだった。そして、それは喪部にしてみれば、手ごろな標的以外の何者でもなかった。
京也の首に、喪部の手がかかる。その寸前になって、やっと京也は顔を上げた。だが、間に合わない。
如月の手に、魔法のように細身のナイフが現れた。現れたナイフは、そのまま喪部に向かう。
「――こんなものでボクを倒せるとでも思っているのか?」
喪部は、京也の首を捕えていた。
ナイフは、彼の皮膚を浅く傷つけ、彼の顔をしかめさせた。ただそれだけだった。京也を手放させる力すらなかった。
「――ぐっ」
手のひらが、万力のような力で京也の喉を締め上げる。鬼の爪が首に食い込み、皮膚が裂ける。
苦しさが京也の目に光を戻す。
京也の両手が上がった。首を絞める手に絡みつき、つめを立てる。
びくともしない。喪部は奇妙なほどに長い舌で唇をなめまわした。その顔が、不快気に歪んだ。皮膚が切り裂かれた辺りに、痛みとも痒みともつかぬ感覚がおこったのだ。
「思ってはいない。だが、十分だ」
静かな言葉とともに、黒い苦無が続けざまに、喪部の背後の床に突き刺さる。
「当たらないなぁ?」
面白そうに、喪部は振り向こうとした。
次の瞬間、顔が驚愕に歪む。
「いいや」
白い手が、喪部の首に背後から巻きつく。
「いいのかい? このまま、ボクが力をこめれば――!」
喪部は振り返ることができなかった。その事実が、彼の声を上ずらせた。
「こめれば、何だ?」
如月の指が、静かに鬼の首に食い込む。
京也がくずおれる。床に膝を着くと、激しく咳き込んだ。
「人体は一体何パーセントが水か知っているか?」
静かに如月は問いかけた。
喪部の手が震えた。喉にまきつく白いてのひらを引き剥がしたいのだろう。
「そして、僕は――」
かなわない。指一本、自らの意思で動かすことはできなかった。
「――う――グッ……ガハッ」
だらしなく開いた口から、涎――いや、水が滴る。
全身の筋肉が、ひきつったような動きを示す。だが、身動きには至らない。
しばらくの後、喪部は白目をむいて動きを止めた。如月は、軽く手に力を込めた。喪部は動かない。
喪部の顔色は、溺れた人間のそれだった。
如月は、手を下ろし、息を吐いた。そして、ポケットを探ると、テグスを取り出し、喪部の両手の親指を簡単に戒める。さらに、膝にふた巻きほどして、床に寝かせた。
「――京也」
咳は収まっていた。ぼんやりと喉を抑えたまま、京也は如月を見上げた。
「立てるか?」
「――」
黙って頷くと、立ち上がる。その拍子に、小さな金属音が響いた。続けて、数回。この場には不釣合いなほどの、澄んだ金属音が響く。京也は、ぼんやりと自らから落ちた弾丸の行方を目で追った。いくつかは床にとどまり、いくつかはマグマに呑まれる。
「東洋人の若い方の司令官、喪部の無事。それが《秘宝の夜明け》(レリックドーン)が天香(ここ)から手を引く条件だ」
戒めた喪部の様子を確かめ、静かに如月は言った。
「……いつの間に?」
喪部は白目をむいていた。なのに、なぜか、口元には笑みがはりついている。
「《秘宝の夜明け》(かれら)が天香(ここ)を制圧にかかった時から、交渉は始められている。成立したのは――知っての通り、つい先ほど。ここに降りる直前だ」
「――っ! だったら! だったらもっと他にやりようがあったんじゃないのか! こんな、こんな……」
如月は応えなかった。ただ、ひょいと喪部の身体を抱えると、部屋の奥を見、入ってきた扉を見た。
「一旦上がろう。いくらお前の回復力が優れているといっても、銃弾を受けたんだ。精密検査とは言わずとも、医者に見せた方がいい」
「――もう、傷口もない」
京也は傷一つない右耳に触れた。そして、首を横に振る。そこは確かに、銃弾で一部をもっていかれたはずの箇所だった。
次の瞬間、目を見開き、部屋の奥を見た。
「どうした?」
京也の様子に、如月は眉を寄せる。
その時、部屋が揺れた。
如月は目を見開いた。京也は、ゆれをもろともせずに構えた。
最初に大きく揺れた後は、まるで鼓動を刻むかのように、部屋が揺れる。
「――っ!」
如月は、戒めた喪部を床に転がした。ゲホ、と、何かを吐き出す音とともに、喪部の目が光を宿す。口元の笑みが深くなった。
「ボクが負けるくらいなら……」
小さな呟き。そして、笑い。
そのどちらも、二人の耳には聞こえてはいなかった。
「――墓守がいなくとも、発動する!?」
京也は呟いた。
空気の密度が濃くなる。熱気が、さらに熱さを増す。
それが臨界に達し。
部屋の隅に、巨大な影が現れた。
「行くぞ如月!」
その姿を確かめ。
「――ああ」
京也は、影に向かって走り出した。
この部屋は、とても天井が高かった。地下にあると考えれば、贅沢すぎるほどだ。
その理由は。
おそらくは、この守護者(ガーディアン)が自在に動き回るためだろう。そう、思われた。
間合いを詰めた勢いのまま、京也は区画の守護者(ガーディアン)に拳を叩き込む。
「――ひときわ、デカいな」
作品名:黄龍妖魔学園紀 ~いめくらもーどv~ 作家名:東明