黄龍妖魔学園紀 ~いめくらもーどv~
ジュブナイル3
自室に向かおうとする京也を村雨は呼び止めた。
「おやすみ」の挨拶を済ませていた京也は、少し首をかしげつつも村雨に向き直る。
「――なぁ、先生よ」
呼び止めたのは村雨の方だった。だが、呼びかけた段階で、言葉が止まる。
「村雨?」
しばらく待ってから、京也は先を促した。
「……ああ」
ガリガリと髪をかきまわしてから、村雨は京也をまっすぐに見た。度の薄い近眼鏡の向こう、ほんの一瞬、視線が泳ぐ。
村雨は、ぐっと拳を作ると、じっと京也を見つめたまま口を開いた。
「アンタは、黄龍の器だ」
びくりと、目に見えて京也の身体に震えが走る。
「アンタが望む望まざるに限らず、それは事実だ」
はは、と、京也の口から笑い声めいたものがもれる。
「それとおんなじくらい、アンタはただの大学院生だ」
そこまで言うと、村雨は息を吐いた。
「たかが、黄龍の器だ」
「村雨さん、それ、例のヒトが聞いたら怒りますよ?」
軽い口調だった。だが、空ろだった。いつものような、妙な押し付けがましさも、頭の回転を感じさせる調子もない。
「俺や御門みたいに、呪い(まじない)の世界にいるわけじゃあない。骨董屋みたいな万能選手でもない。織部姉妹みたいに、かんながらの世界にいるわけでもない。壬生とも違う。劉とも。……蓬莱寺や、紫暮とすら、違う。そうだろう? アンタ、武道どころか、おあそびのスポーツすらろくすっぽやってねぇ」
「いや、少しは運動しないととは思うんすけど」
村雨は、奇妙に優しい笑みを浮かべた。
「なぁ、先生。アンタ、女子中学生で毎日合気道の道場に通ってるのとケンカしたらどっちが勝つと思う?」
「いやぁ、女の子は殴れないっしょ」
村雨は首を横に振った。
「そうじゃねぇ。――でっかく生まれた赤ん坊だからって、相撲取りになれるわけじゃない。幼稚園でかけっこが一番だったヤツが、必ずしもオリンピックで大活躍するたぁかぎらない」
村雨は、京也の肩を掴んだ。京也は、あとずさる。だが、いくら東京の平均以上の面積を誇る如月宅とはいえ、無限の広さがあるわけではない。壁につきあたって、動きが止まる。
唇が開き、何かを言いかけた。だが、言葉にはならず、震えただけだった。
「俺は骨董屋とは違う。アンタに、黄龍の器とてただの人間だなんて言う気はない。アンタは当代唯一の黄龍の器、誰一人として並ぶもののない存在だ」
村雨は笑みを浮かべた。
「――だが、それだけだ。たかが黄龍の器だ。アインシュタインとおんなじ脳味噌を持ってたって、物理のぶの字も知らない赤子が相対性理論を見ただけで理解できるわけもない。アンタの黄龍の器なんてのは、その程度のものだ」
目が細められる。手のひらに力がこもる。
掴まれた肩の痛みに、京也は顔をゆがめた。
「俺はアンタを殺せる。御門も、如月も、壬生も。だから――」
村雨は、手を離した。そして、ほんの少し距離をとる。いつもの京也のパーソナルスペースが復活する。
「過信するな。怠るな。――たかが、黄龍の器のくせに。昼間のありゃあなんだ? 見ていらんねぇぜ。集中も、気の練り方も、まるでなっちゃあいない。大地の声も聞かず、思念の囁きもまるで感じられねぇクセに、闇を払うなんざ片腹痛い。アンタの真神時代は僥倖だ。自信過剰もいいかげんにしやがれ」
村雨は、手をのばした。京也の高校時代よりは薄くとも、やはり長い前髪を上げ、顔を覗き込む。
「だから、危なくなったらとっとと逃げろ。大声で助けを呼べ。……わかってんな、センセイ」
勢いよく前髪を降ろし、村雨は笑みを浮かべた。先ほどまでのものとは違う、いつものふてぶてしい笑みだった。
「……なんか、こう、村雨に御門、如月に壬生って、フツー人代表としては、ちょっときっつくないっすか?」
前髪の具合を直しながら、京也は言った。まだ幾分か頼りない。だが、少なくとも、先ほどのものよりは、ずっと覇気を感じさせた。
「おおよ。だから、その程度だっつーんだ。フツーじゃねぇ存在なんてのは、実は結構いるんだよ」
「自分で自分のことをそう言いますかね」
「最近まで外国暮らしだったからなぁ」
「うそつき」
村雨は声をあげて笑った。京也の応答が、少しずつテンポを増している。いつものように、うてば響くような返しをしてくるようになる。
「うん、怖いものからは、とっとと逃げます。足遅いから早めに。頼りにしてます、村雨さん」
「ああ。俺は高ぇぞ」
「学割お願いします」
神妙な顔つきで京也は頭を下げた。そして、気が緩んだか小さくあくびを漏らす。
「ありがたいお話を拝聴したトコで、俺は寝るっす。つーか、寝にきたんですってば」
「オヤスミ。ゆっくり寝て、ピチピチ男子高校生のツラを作んだな。なんなら添い寝してやろーか?」
「うっわー、村雨さん、おやぢ。おやぢくさー。つーこって、オヤスミなさい」
今度はわざとらしく。深々と頭を下げる。
階段を上っていく京也の背を、ニヤニヤと笑いながら見ていた村雨は、視界から彼がはずれたところで表情を引き締めた。
そして、そろそろと両手をあげる。
「ブレイク。意見の違いは認め合おうじゃねーか、若旦那」
廊下の曲がりから、シーツを手にした如月が姿を現した。無言のまま村雨をひっぱり、向きを変えさせる。おとなしくこちらを向いた相手に、ぴんとのりの効いたシーツと枕カバーを押し付ける。
「うまくまとめたな」
「許してくれんのかい?」
「――うまくいっていなかったなら、許さないところだった」
ほんの一瞬、抜き身の刃物を思わせる気配が、如月から漂う。だがそれはすぐに霧散し、いつもの静かな骨董屋の主の表情が面(おもて)を覆う。
「相変わらず過保護なことで」
さすがにほっとした様子で、シーツを手に村雨は肩をすくめた。
「俺ぁ、アンタみたいなやり方がいいとは思わねぇけどな。あのセンセイだって、ちゃんと、聞く耳も歩く足も持ってるだろう。ホントのトコを言えば、力持つものらしく、鍛錬すべきだ。今のままじゃ危なくてしゃあねぇ」
「四十度の熱がある人間を鍛えようなどというのは、ただの愚行。それでも、今までやってきた。五年は、例の仲間から離れて。六年目になって、やっと帰って来た。何事もなかった。十分だ」
「センセイがいたのは、しがらみの少ない土地だ。陰陽道も、風水術も、土地に根ざしてるとは言いがたい。だが、今は違う。天海僧正の結界をはじめとして、わんさとヤバいスポットのある東京――江戸だ。土地だけじゃねぇ、あのセンセイが黄龍の器以外の存在になる理由がない以上、雲霞(うんか)のようにヤバい連中にたかられる」
声をひそめ、それでも激しい調子で言い募る。
「それを言うなら、今まで京也がいた場所だって同じだ。人がいる限り、願いとうらみは尽きない。そして、土地は人を写す。そして、汀は無事だった。何事もなく」
「例の事件で大人しくなった龍脈の力も、またぞろ、そこかしこ暴れだす気配を見せてる。森羅万象、人間の及ぶ範囲なんざその程度だ。……アンタ、マジでママンだぜ、それじゃあ」
村雨は目を細め、ためいきをついた。
作品名:黄龍妖魔学園紀 ~いめくらもーどv~ 作家名:東明