なつかげ
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エステリーゼが持っていた硝子細工の玉はダングレストのある一角にあるアンティーク物を扱っている店で見つけた。
つい最近見たばかりのあの硝子細工をその店で見かけたとき、何かの偶然だろうかとユーリは思ったが、そうじゃない気がして店の扉を開けた。
全体的に古ぼけた店だったが、一歩店内に入ってしまえばそこには落ち着いた空気が漂い、ダングレストにはあまりない上品さがあった。その時ちょうどユーリはカロルと出歩いていたので、店の店員と面識のあったカロルはあの硝子細工を買いに来た人間を興味本位で尋ねてみた。すると店員はあっさりと天を射る矢のレイヴンさんだよ、と人のいい笑顔で答えてくれた。
ダングレストの街を歩けば大抵の人間と面識のあるカロルだが、レイヴンも大概だ。おっさんは女限定だと思ってた、とユーリが呟くとカロルは、しょうがないよ、とさも当たり前だというようにレイヴンが買ったと言われた硝子細工を眺めながら口を開いた。
「だってユニオンの天を射る矢の幹部だもん。一応」
「まあ、そうだな。一応、有名人ってやつだよな」
「ユーリも帝都ではそうでしょ。あ、そういえば、レイヴンってさ」
カロルは硝子玉を手に取り、店内の照明に向かってそれをかざした。
きらきらと光る様はエステリーゼの所で見たときと同じような輝きで、ユーリはやはり、と思った。そういう綺麗なものを持つなら、自分ではなくエステリーゼやカロルのほうが似合っていると。
「身内とかで亡くなった人の名前を絶対忘れないんだってさ。命日には必ず墓前に花が添えられてて、たぶんレイヴンだろうって。ハリーが教えてくれた」
こつ、と硝子細工のそれを棚に置いて、カロルはユーリを仰いだ。
まだまだ身長差はあるけれど、カロルは確実に少年から青年へ、ユーリへと近づいている。いつか追い抜かされるかな、と思いながらも、もうきっと心の強さはカロルの方が強いだろうとユーリには思えた。
それくらい、真っ直ぐな眼差しがユーリを見上げてくる。
「ふらふら行っちゃうから心配してついて行ってみたんだ。この前はテムザ山。その前は、ザウデ不落宮。でも、海でも良かったかもって言ってた。そういえば、イエガーの分も置いていくもんだから、あの似たり寄ったりな人たちにバレて、後からボクが怒られたんだ。レイヴンがしたことなのにさ。でも、ありがとう、って言ってくれた」
それで、今日はドンの命日だし、きっと
静かな声。
その静けさに相まって、ユーリの記憶が悲鳴を上げた気がした。
まだあの日の感触は手に残っている。抜けずにずっと。
だけどドンを斬ったことに関して、誰もユーリも恨まない。怨むはずがない。
だから時々、ユーリはふとした瞬間に舞い戻ってくる記憶や感覚や感触を持て余していた。そんな瞬間が怖くないわけじゃない。だから誰かに何か言ってほしいのだと気づく。何でもいいのだ。とにかく、何か言葉がほしい。
それが最近は特に多く、あの胡散臭い男から、持ってて、と渡された鈴が音を奏でるたびにそう思うようになった。
「ユーリ」
カロルは急に笑顔を作り、店員に手を振って挨拶をしてからユーリの手を掴んで外に出た。
カロルに引っ張られるままユーリは、年々大きくなってゆくその背中を見やり、カロル、と小さく呼びかける。でもその背中は止まることなく、ぐねぐねと入りくねった道をまるで自分の庭のように抜けてゆく。狭い道、その家々がせめぎ合う道から空を仰げばいつもの夕日色の空が細く長く続いて、所々に見かける蔦が巻きついた石造りの家の隙間を通り抜け、長く細い階段を上がる。
そうしてたどり着いた場所にユーリが驚いて立ち止まると、刀に付いている鈴が大きく、りん、と鳴り響いた。
ダングレストの街が見渡せるほどの小高く、開けた丘。湿った空気が肌を滑り、街の向こうには大きな川が流れ、悠然とした大陸を跨いで少しだけ海も見えた。
その丘の空気を震わせた、静かなよく通る音の元をカロルは目で追い、きっとそれユーリのためなんだよ、と小さく呟く。だけど、たどり着いた場所があのドンの墓前だったので、驚いていたユーリはうまくカロルの声が拾えなくて聞き返した。
それにカロルはまだ子どもらしいさが残る顔で笑い、首を振る。
「大丈夫だよ、ユーリ」
あたたかな夕日色の太陽が街を眩しく包む。
まるでそれは先ほどの店でカロルが硝子玉を通して見ていた世界のようで、ユーリは目を細めた。空が赤く、川もきらきらと光りを反射し、美しく流れるままに海へと向かう。
ドンが守った街。ドンが守った世界が、そこにあった。
「ここにいていいんだよ、ユーリ」
ユーリはユーリのままで、いいからさ。
少しずつ成長しているカロルの声を耳にしながら、ドンの墓前に目線を落とす。赤い景色の中に、あの花が燃えるように咲き誇っている。
この花を選んでおくところが、レイヴンらしいのかもしれないと思った。昔の友人が好きだった花だとしか言ってなかったはずなのに。でもきっとその人が好きだった花だからこそ、なのかもしれない。
こんなにもいろんなところで、あの男の不器用さがあふれている。それが可笑しくなって、ユーリは急に笑みをこぼした。
「おっさんって、馬鹿だな」
「今更なに言ってるんだよ、ユーリ。ユーリだってレイヴンに同じことしたじゃん」
「…へ?」
笑ったユーリにカロルが安心したように息を吐いて、
ドン・ホワイトホースの墓前で手を合わせる。
そうして呆けているユーリを振り返り、だからユーリは、と呆れと笑みが混じった表情をしてから、突然「あ、違うか」と呟いた。
「ユーリだから、だね」
何かを悟っているような口ぶりで身長も大きくなってきているくせに、相変わらずカロルの百面相は出会ったときから変わらない。
ユーリは小さく口元を緩ませ「なんだよそれ」と笑うと、丘に吹く風と一緒に歌うように、りん、と鈴が反響した。