【けいおん!続編】 水の螺旋 (第四章 / 真理) ・下
突然のことで、唯は唖然となった。梓は激しい怒りに満ちた目をして、さらに続けた。
「特に憂がどれだけ唯先輩を心配したか分かってるんですか!? 憂は唯先輩に吹き飛ばされて、身体が痛くて仕方がなかったんです!それでも、『痛い』なんて一言も漏らさず、ずっと唯先輩のことを心配してたんですよ! これだけ心配してくれる人に、どうしてそんなことができるんですか!! どうして、そんなに自分勝手なんですか!? どうして、もっとみんなの気持ちを考えようとしないんですか!!?」
和やリビングにいた一同は梓を止めようとした。だが、その前に梓は、胸ぐらを掴む手を緩め、唯の胸で大きな声をあげて泣きだした。
「本当にごめんね、あずにゃん」
仰向けになりながら、唯も泣いていた。梓とは対照的に、自分の行いを反省するように静かに。
その場がある程度落ち着いたのを確認してから、さわ子は切り出した。
「唯ちゃん、よかったわね。じゃあ、私行くね」
「あ、さわちゃん、ありがとう…」
唯は仰向けのまま、さわ子に云った。
「山中先生、ありがとうございました」
次に和が云う。他のみんなも、次々に「ありがとうございました」と云った。
「いいのよ。じゃあね」
さわ子が去ろうとしたとき、彼女が着ていたカーディガンのポケットから、何かが落ちた。
「山中先生、何か落ちましたよ」
和はそう云って、落ちたものを拾った。それは何かのチラシだった。和は何気なくそのチラシに目をやったが、次の瞬間驚いて「えっ!?」と叫んだ。
そこにはこう書かれてあった。
『コスモライフ教緊急集会 石山満男教授の発見したスピリチュアル・ワールド (精神世界) この日、ついにみなさんをこの世界にご案内します! 絶対的な宇宙の真理をお見せします。必ずお越し下さい! 日時:5/16 19:00~』
見たところ、宗教関係のチラシらしい。しかし、和が注目したのは、チラシの中に書かれた『石山満男』『スピリチュアル・ワールド (精神世界) 』というキーワードだった。和は思った。どうやら、石山教授の研究は宗教とつながりがあるらしい。
それにしても、人々を精神世界に送るって…。いったいどういうことだろうか。精神世界には、ゲノムにSDR配列をもった者しか行くことができないはずだ。
「あ、あの…」
さわ子がおそるおそる声を出した。和がチラシを返してくれず、熱心に眺めているのを不審に思ったらしい。
「すいません、先生。ちょっとお話をおうかがいしていいですか?」
和の深刻そうな表情をみて、さわ子も「え、ええ…」と答える他なかった。
「でも、私宿直から勝手に抜けてきて、他の先生が来るまでに学校に戻らないといけないから、手短にね?」
さわ子はそう云ったが、和は何も答えずチラシを眺めていた。発行責任者の名前を見たら、二葉 繁とあった。
「唯、二葉 繁って人、知ってる?」
「ふたばしげる…、ふたば…。あっ、石山先生と仲がいい、献血センターの所長!」
「やっぱり…」
和はため息を漏らした。さわ子は不思議そうに彼女たちを見ていた。どうして、この子たちは、この宗教にこれだけ興味を示し、なおかつ二葉さんの名前を知っているのだろう。
「先生、すいません。中へどうぞ」
和はそう云って、さわ子を半ば強引に家の中に入れた。
8
凜にはじめて出会った日の夜、唯は印象深い夢を見た。
琥珀色の海にひとりの男が立っていた。男が呼びかけると、多くの人々がぞろぞろと海の方へ歩いてきた。顔は無表情で、目はその男のほうを見たままだ。その中には、憂や和や放課後ティータイムの仲間たちがいた。男が合図をすると、人々は男とともに宙に浮き、そのまま空のはるかかなたに消えて行った。
唯は、ひとり取り残される寂しさの中で、目が覚めた。
改めて夢の内容を思い返してみると、宗教じみた光景とも思えなくはない。仮にあれが何かの暗示だとするならば、この宗教が何か自分にとって悲しい現象を引き起こすものになるのだろうか。
いずれにせよ、石山教授の研究がこの宗教と絡んでいるという事実からして、何か怪しい動きがあるかも知れないというのは、容易に想像できる。
いつものリビングにみんなは集まっていた。さわ子には、宗教のことについてひととおり尋ねた後、帰ってもらった。それは、さわ子が宿直を抜け出してきたので、早く学校に戻らないといけなかったという理由もあるが、一番大きな理由は、さわ子がこの件に深入りして、自分たちの抱える問題に巻き込まれてしまうのを防ぐためであった。
一応、さわ子が帰る前、「今後この宗教には関わらない方がいい」と念を押しておいた。
このような経緯を経て、再び話し合いが始まったのである。
「石山教授と二葉 繁は結託して新興宗教をおこしていた。石山教授のSDR機構の研究を布教に利用していた。そういうことね」
憂の言葉に和は頷いた。
「そうね。それに、緊急集会の件。『精神世界に案内する』なんて、ちょっと怪しいわね」
「何をする気かしら?」
「さあ、そこまでは。でも、嫌な予感がするわ」
「…君はいったいどういうつもりなのかな」
教授室の中で、石山は受話器ごしに話していた。
そこへ、凜が「失礼します」と云って入ってきた。石山は凜が入ってきたことには気づかず、話を続けていた。
「それじゃあ答えになってない。どうしてこんなことを、私や他の幹部に無断でやったのかと訊いてるんだよ」
凜は石山が電話中であることなど構わず、教授室に入ってきた。石山は椅子を回転させ、後ろの窓の方へ目をやりながら、電話口の相手と話している。若干口論気味だ。
凜はふと、石山の机に目をやった。そこには、一枚の広告があった。凜はそれを手にとって眺めた。
やがて、凜の気配に気づいたのか、石山が凜の方を振り返った。彼は「後でかけ直す」と云って、電話を切った。
「何をしているのかな、君は。私は大事な用件で電話をしていたんだ。そのくらいの様子は察知して、電話が終わるまで外で待ってるぐらいの配慮をしてもらいたいものだな」
石山はニヤッとした微笑みを浮かべながら云った。
「先生、これは何ですか」
凜は構わず、手にしていた広告を石山に見せた。そこには『コスモライフ教緊急集会』のお知らせが書かれている。
「君には関係のないものだ」
「関係ないことはないでしょう。ここには『精神世界』という言葉もあります。僕の研究テーマであるSDR経路に関わる内容だと思われますが」
凜は身を乗り出して、さらに話を続けた。
「先生、やはり精神世界の研究は、こんなもののために使われていたんですね。以前から疑問に思っていました。石山先生のような飽くまで論理的に物事を考えようとする人が、なぜ『精神世界』などという抽象的概念を起点としたテーマの研究を行おうとするのか。しかも、この研究の成果を発表するジャーナルは、今まで聞いたこともないようなマイナーなものでした。その意味がやっと分かりましたよ。これですね」
凜は広告の左端にあるロゴを指で示した。それは、石山教授がSDR経路や精神世界について発表した論文に記されたロゴと同じものであった。
作品名:【けいおん!続編】 水の螺旋 (第四章 / 真理) ・下 作家名:竹中 友一