泡沫の恋 前編
「同居は上手くいってる?」
相向かいでコーヒーを飲みながら新羅は聞いた。
臨也は指先で手早く文字を打ち込むと新羅に見せる。
『同棲って言ってくれる?』
臨也は、もとから仕事柄キーを打つのは速かったが、この身体になってからさらに速くなったようだ。
もしかすると自分の同居人より早いかもしれない。いや、臨也の言葉を借りれば同棲相手かな、と新羅は思った。
「じゃあ、聞きなおすよ。同棲は上手くいってるのかい?」
『当たり前だろ』
少しあきれたような顔で臨也は返した。
どこからその自信がわくのだろう、新羅は不思議に思う。それまでは犬猿どころか竜虎相討つ、といった二人だったのに。
二人がともに暮らし始めてもう3ヶ月がたつ。
新羅は面白そうに、セルティはハラハラしながら見守ってきた二人だが、思った以上に上手くいっているようだ。
「不思議だね」
『何が』
「そんなにうまくいくと思わなかった。絶対喧嘩別れだろうな、と思ってたのに」
新羅のもっともな疑問に、臨也は笑う。
自分でもそう思っていた部分があるからだ。
けれどそうならないのはひとえに。
「声を魔女に捧げた甲斐はあったのかな」
新羅の楽しそうな声に臨也は首をかしげて笑って見せた。
声、言葉。
自分の言葉が、いつだって静雄を傷つけてきた。その自覚が臨也にはあった。
あったけれど、どうすることもできずに。傷つけることしかできずに。
だからどれほど真摯な言葉であっても、静雄には届かなかっただろう。
けれど言葉を失った今、不思議なほど臨也の気持ちは静雄に届く。
まるで初めからそうであったように、今は二人でいることが自然だった。
二人でいるとき、臨也はPDAを使わない。本当に言葉を使わない。そう約束したから。
それでも臨也が考えていることは静雄に伝わるし、不便もない。
もともと静雄の親友であるセルティ自体、PDAを使わない限り会話ができないのだ。
だから静雄は慣れているのかもしれないし、それとも、と臨也は思う。
・・・俺のことだからわかるのかもしれない。
少なくともそれくらい自惚れてもいいような気が、した。
それほどまでに、今は二人でいることが当たり前で、それから幸せだと思うのだ。
『新羅』
「ん?」
『感謝してる』
臨也の珍しい言葉に、新羅はふざけて震えて見せた。
「やめてくれる? なんか気持ち悪いよ」
『ひどいな』
「映画だったら、絶対死亡フラグがたつよ、それ」
そこまで言うか、と臨也は返した。
けれどその顔は、穏やかだった。
いい傾向だな、と新羅は思う。
静雄も臨也も、情緒的には不安定で、精神的に未熟な部分が多かったのに。
・・・なんか落ち着いたっていうか。
それが良いことなのか悪いことなのか、新羅にはわからなかったけれど。
二人が幸せであればそれでいい、と思っていた。
ただこの穏やかで幸福な状況が、泡のように消えてしまわないことを願いながら。