ファーストネイション(北米兄弟)
全てが無音で過ぎていく。地割れの隙間からは赤いどろりとしたマグマのようなものが僅かに見えたが、それが流れ出る事はなく、むしろそれは奥へと引っ込み、代わりに、最初に訪れた時と同じ、大量の湯気の吹き上げに取って変わった。湯気がぼこぼこと、地割れを大きく作り、いよいよこの場所を荒らしていく。そしてそれを越える量と勢いの、黄色い光、“☆”の嵐。
クマ二郎は覚悟を決めて胸で十字を切ると、身体を丸めて防御体勢を取り、その星の海に一緒に飲み込まれた。
「あ〜、昨日は飲みすぎた……。」
イギリスが目を覚ました場所は、わずかに盛り上がるが、それ以外は何もない、平地だった。山でもなければ、草原でもない、寂寥とした何も生えない枯れた岩地。ただ空は青く高く、コンドルが三人と一匹の姿を確認するように飛んでいたが、イギリスが起きたのを知ると、遠くへと飛んでいってしまった。
「ん? おい、ちび達。こんなトコで寝てんじゃねーぞ。風邪ひくだろうが。」
うつ伏せで尻丸出しのアメリカとカナダ、子グマの三つを拾い上げると、イギリスは平常と変わらぬ様子で、すたすたと家のある場所へと向かっていく。……イギリス人にとっては、酒での暴挙はいつもの事なので、翌朝の状態については、山が崩れようが無くなろうが、全てが驚きに値しない事だった。
「よーし、今日は物理の勉強をするぞぉ!」
「くたばれイギリス!!」
場所は再びアメリカの大地。
イギリスの作った青空教室で、二人と一匹が勉強をする。大きな木の下、太い枝に黒板を立てかけ、イギリスはチョークで放物線を描きその説明を始めるが、アメリカは笑顔でイギリスを罵倒し、与えられたノートにも落書きを、イギリスの顔と悪口を書き記している。カナダは真面目にノートを取りながら、何一つ思い出せない昨夜の事を、隣の子グマにこっそり尋ねてみたが、子グマぶるぶると震えて、「酔ッ払ッタいぎりすハ怖イ、いぎりすノすこーん並ニ怖イ。ましゅーハアンナ大人ニハ、ナルナ。」と繰り返すばかりだった。
柔らかな風を頬に感じて、マシューは無意識に自分の頬を触わった。ざら、とした砂のような感触に指先を見れば、そこには赤い色が付着していた。
不思議に思い指先を擦り合わせれば、それは発火し、ぽっと小さな炎が立った。それは直ぐに消えたが、見られたのでは、と慌てて前のイギリスを見た。イギリスは黒板に向っており、それに気付いてはいないようだった。ほっと小さく安堵してまた俯けば、自分の上着の裾から、小さなサラマンダーがちろりと顔を出し、それは片目を瞑って、さっと消えてしまった。それに驚いて唾を飲めば、隣から視線を感じた。それは隣のアルフレッドで、その顔は今しがたのサラマンダーのように、片目をつむった、にっとする、何かをたくらむような大人ではない、“いたずらっ子”の表情だった。
「じゃあ次来るまでに復習して、渡した本を読んでおけよ。本はカナダに渡しておく。お前はボロボロにすっからな。」
イギリスは分厚い本の数冊をカナダとクマ二郎に渡す。アメリカは「そんな事しやしないんだぞ!」とイギリスの腰を鉛筆で突つき続ける。
「じゃあ俺は帰るが、くれぐれも、学術を進めておけよ。」
「はい、わかりました。」
「もう当分来なくていいんだぞ。」
イギリスが馬車に乗り見えなくなったのを確認し、アルフレッドは笑顔でくるりとマシューへと向き直る。その近さと、いやにニコニコした笑顔に、マシューは一歩退き、クマ二郎をしっかりと抱きかかえて、「じゃあ僕、先に預かった本を、家で読んでくるから。」と、イギリスの残したもう一つの馬車へと急いで乗り込もうとした。
アルはそのニコニコ笑顔のまま、馬車に半分乗り込んでいたマシューの衣服の裾を強く引っ張ると、マシューに尻餅を着かせて大地へと引きずり下ろした。
「い、痛いよ、アメリカ……。」
マシューの言葉に、アメリカはゆっくりと首を左右に振る。
「俺の名前は、アルフレッドなんだぞ、マシュー。……キミは俺と地続き、一つの大陸なのに、弱っちょろい所があるな。そんなんじゃ、これから生きていけないんだぞ。」
“だからこれは、俺からのおくりものだ。”
アルの顔がマシューの顔に近づく。クマ二郎はアルの行動にびっくりして、それを止める事ができなかった。
至近距離。アルの瞳は、マシューの紫色の瞳を映しながら、三日月のように細まる。マシューは身体の中に、大きな星の塊が、深く落ち入るのを感じた。
すっと、アルの顔がマシューから離れる。その唇からは、サラマンダーの小さな炎のような舌が、ちらりと見えた。
「マシュー、俺はあきらめたワケじゃないんだぞ。けれどその為には、キミはもっと強くならなけりゃいけない。……僕からのおくりもの、有効に使うんだぞ!」
アルフレッドは言うだけ言うと、マシューをクマ二郎ごと抱えて馬車へと乗せた。そして馬の尻を引っぱたくと、強制的にその馬車を北はカナダの大地へと走らせた。
年が変わり、イギリスがまたこの土地へと訪れる。先ずはカナダ。カナダは去年と変わらずまだ子供の姿で、けれどその体には色々と擦り傷ができていた。
「どうしたんだカナダ。こんなに傷をこさえるなんて、おとなしいお前らしくないな。」
イギリスは膝を着き目線を合わせて、その額の泥汚れを親指でこすり、傷の大きさを確認する。懐からハンカチを取り出し汚れを拭うと、早く治るようにと口付けを落とす。カナダは目を細めて嬉しそうにそれを受ける。
「身体を、鍛えようと思って。」
にっと笑うその顔は、アメリカを彷彿とさせる。
「……どんな鍛え方をしてるんだ? あんまり野蛮な事はしてないだろうな?」
カナダはもう一度にっと笑うと、遠くにいたカナダの動物達と、イギリスの精霊にも声を掛けて、皆を集める。そして彼らを両脇に並ばせると、その真ん中をカナダはダダダっと、両脇からぽこぽこと殴られながら、走り抜けた。その間のカナダは一切無抵抗、ただ頭を防御するだけだった。
「なんだそりゃ、お前は一切何もしないなんて……打たれ強くなる訓練か?」
カナダはにっこりと頷く。
「身体を頑健にするのは一番難しくて、これが一番効果するってわかったんです。この訓練の重要な所は、僕は防御はしますが、一切攻撃はしません。相手の打撃は全て受けきるだけです。だけですが、全部受け切っても立っているというのは、かなり相手の戦意を喪失させるんです。……イギリスさんもやってみますか?」
まだ小さなカナダの中に、そういう思考が生まれた事に、イギリスは静かに賛嘆する。そして実際この訓練にも興味を持った。
――両脇はちびぃ動物とウチんトコの精霊だから、俺には楽勝だけど。
「よし、いいぜ。やってやる。」
カナダはとととと、その列の片方に並ぶ。
「こっちはいつでもOKです。」
小さな手が動物達に混じって振られるのが見える。イギリスは笑いながら、その場からその列の間へと走り出した。
作品名:ファーストネイション(北米兄弟) 作家名:一天