Hero-ヒーロー-
8章 記念館
予想もしなかった相手の笑みの意味が分からず、ハリーは首を傾げる。
ドラコはまだ触れたまま額の傷跡を撫ぜて、その裂傷を確かめているようだ。
「――――マルフォイ?」
怪訝そうに尋ねると、その言葉で我に返ったようにドラコは瞬きをして指を離す。
「僕の傷が珍しい?」
問うと、「まさか」と言いつつ、表情を引き締めると首を振り、いつもの見慣れた気難しい顔になった。
「むかしからソコにあったものだ。珍しくもなんともない」
「そんなこと言って、本当は嬉しいんだろ?」
ハリーはからかい混じりの声をかけてくる。
「何がだ?」
ドラコは顔を上げて、不機嫌な声で問いかけた。
「だって僕はよく怪我をしたけどね、こんなに跡が残ったのは一回きりだ。消えたばかりの額の傷に、おなじような傷を付けたのが自分だと分かって、『この傷は自分が付けた勲章だ』とか、ご機嫌な気分で思っているんだろ?」
またドラコは再び腕を伸ばすと
「フン、いい気になるな」
と指先でそれを弾いて、ついでにおでこもペチリと容赦なくたたく。
「いっ……テテて……」
小さく呻く相手の顔を見て、ニヤリと笑う。
「たかがそんな小さな傷なんか、珍しくもなんともない。ただ貴様がしくじった証拠としては、いい見世物だな」
フンと鼻を鳴らして意地悪く答える言葉に、ハリーは顔をしかめた。
「やっぱり毒舌と憎たらしい減らず口は、年を取っても相変わらずなんだな」
負けずに言い返しつつハリーは後ろに下がって、ドカリとソファーに座り込んだ。
スプリングのギシギシという鈍い音が部屋に響く。
「あー、いてて、もう限界だ。立ってばかりいたら腰が痛くなった。座らなきゃ、やってられない」
首を振りつつ、腰骨のあたりを何度か撫ぜた。
音を上げた相手をドラコは容赦なく叱咤する。
「日ごろの鍛錬が足らない証拠だ、まったく。太りすぎているし、腰まわりに肉が付きすぎだ。ウエイトを落とせ」
「うるさいなー。ここまでずっと長距離を箒で移動したんだ。もういい加減年なんだし、痛くなるのは当たり前だろ」
憮然と言い返しつつ、右手を相手へと差し出した。
ドラコは意味が分からず、首を傾げる。
「どうした?」
「どうしたじゃないよ。箒だよ。ほうき。ほらさっさとこちらに渡してよ。ついでにグルーミングセットもね」
(腰が痛いと言いつつ、口げんかをしながら、それでも箒のことを忘れていないのは、さすがに箒バカだけはあるな)
と、呆れながらもそれらを相手に渡した。
ハリーはニンバスを取り上げて箒の先を手で触り、コンディションを確かめ始める。
「先がささくれ立っているのに、痛くないのか?」
「慣れているからね。それに触ったほうがいいんだ。近頃は老眼がすすんで、見ただけじゃあよく分からないんだ、逆にね」
目が悪くなってきているのはお互い様なので、ドラコはその言葉にだけは素直に頷いた。
毛羽立っている部分を細いペンチで切り落としていくのを見詰めながら、今度はドラコが尋ねてくる。
「貴様のほうこそ、自分のユニホームはどうしているんだ?赤いマント付きの派手な服だったやつだ。ちゃんといつでも着れるようにコンディションを整えているのか?」
「ああ、あれかぁ……」
手入れをしている手を止めて、ぼんやりとそれを思い出して懐かしそうな顔になった。
「あの服はもうないよ。とっくの昔に処分した」
あっさりと告げられた言葉に、ドラコの表情が凍りつく。
その次にブルブルとからだを震わせた。
「も……もしかして、まさか捨てたのか、お前は?!」
「いや、捨てた訳じゃないんだけどね……」
ハリーは言葉尻を濁す。
「だったら、いったいどうしたんだ?」
「その……、あの、なんていうのか――」
居心地が悪そうに肩をゆすった。
「隠すな。言ってみろ」
不機嫌な命令口調に諦めたように小さく咳をして、あっさりと白状する。
「太って着られなくなったんだ」
その言葉にドラコは目を見開き、絶句した。
「……だから、痩せろと言っただろ、貴様は!」
一呼吸おいたあとに、年甲斐もなくドラコは叫んだ。
一方的に責められて、ハリーの機嫌も釣られて悪くなる。
「今更痩せても仕方がないだろ、まったく!もし仮にもさ、精一杯努力して痩せたとしても、もう遅いよ。遅すぎだよ。年は取りすぎているし、腰痛持ちだし、老眼で糖尿病だ。知ってる?糖尿病は一度なったら例え痩せたとしても、病気が一生治らない不治の病なんだよ」
大げさな言葉で同情を買おうとする相手に、ドラコは憮然とした態度で取り付く島もない。
「贅沢な食事ばかりしていたんだろ?自分で体を動かさなかったのだから、仕方がない。自業自得だ。諦めろ」
「そんなにいたわりの言葉もなく、あっさり言い切るなよ、マルフォイ。それにヒーローのコスチュームを着られなくなったからという、単純に捨てた訳じゃないんだ」
ドラコは不思議そうに見詰めてきた。
「じゃあいったいどうしたんだ?あんな派手なスーツはそうそう引き取り手はいないはずだし、………もしかして……フリーマーケットに持っていったとか?」
その言葉にハリーはズルリと椅子の上で軽く滑った。
「ちがう、違うって!!なんでヒーローコスチュームの特注品を、フリマで売るんだよ!!いくら何でも二束三文で売られるほど、それは安物じゃないぞ」
プリプリと怒る相手を見て、ドラコは肩をすくめる。
「しかしこのアパートの前にある道路で子どもたちが、そっくりのスーツと真っ赤マントでヒーローごっこをしていたから、きっと大人気だと思っていたのに」
「ソレとコレとは別物だよ。ひどいなー」
ハリーは顔をしかめた。
椅子に座りなおし体勢を立て直すと、ゴホンと咳払いをして、さりげなく、それでいてどこかわざとらしさを感じさせるような、張りのある声で答える。
「あぁ……と。実はさ、『記念館』に寄付したんだ」
ドラコの片眉がピクリと上がり、胡散臭そうに相手を見詰めた。
「記念館だと?なんだ、それは?珍種の動物記念館とか、びっくり人間博覧会みたいな、見世物小屋みたいなものに寄付したのか?」
「なっ……!なんてこと言うんだ。いくら君でも失礼だよ、マルフォイ!」
ハリーは不機嫌な顔のまま相手に食ってかかる。
「じゃあ、ボランティア団体にか?赤十字か?恵まれない子どもたちにあの赤いスーツが、少しは役立ったのか?」
ドラコのからかうような小バカにした声に、ハリーの頭に血が上った。
「全くちがう!あのスーツは『平和の光 記念館』に飾ってあるんだよ。ヒーローが着用した物としてね!"世界を救った大英雄"という、ご大層な展示版といっしょに」
腕を組み、ハリーが言い放つ。
「……平和の光だと?いったい何だそれは?」
「えっ、知らないの?ヴォルデモートが倒れてから50年目に記念に建てられた、平和記念館だよ」
「いつの間にそんなものが建ったんだ?」
驚いた顔のまま、目玉をギョロギョロして尋ねてくる。
「もう10年も前の話だけど、知らなかった?」
「ああ、こちらもいろいろ表舞台からは離れていたし、部下もいなかったからそういう情報は、皆目……」
モゴモゴとドラコは呟いた。
作品名:Hero-ヒーロー- 作家名:sabure