泡沫の恋 後編
「同居は上手くいってる?」
向かいでやっぱりコーヒーを飲みながら新羅は聞いた。
臨也は辟易した顔で答える。
「・・・見ての通りだよ」
今日の臨也は満身創痍、といった体であり、先ほど新羅の治療を受けたばっかりだった。新羅は笑いをこらえながらさらに聞く。
「また何か余計なことでも言ったんだろう?」
「言ってない」
臨也は憮然としている。そうしてコーヒーを少し飲み、口の中の傷に染みたのか顔をしかめた。それからかちゃり、と多少乱暴にカップを置くと、明後日のほうを向いたまま言葉を続ける。
「俺はただ、最中に愛を囁いただけだよ」
「・・・・・・」
愛を囁いただけ、と本人は主張しているが、絶対それだけじゃないだろうな、と新羅は思う。
××が××で×××だから××だね、くらいの放送禁止用語満載のことは平気で言いそうな男である。
いくらコトの最中でも、静雄にも我慢の限界というものがあるだろう。
しかし、と新羅はため息をつく。
人の房事のことなんか聞きたくないなあ、しかもこの二人だし。
二人とも新羅のそれなりに大切な友人ではあるが、それとこれとは別だ。新羅は自分はいたってノーマルだと思っているので、できれば想像はしたくなかった。
ノーマルが裸足で逃げ出すだろう、という客観的事実はこの際置いておく。
けれど、と新羅は思った。
それでもうまくはいっているようだ。
言葉が戻った二人はやはり喧嘩は絶えなかったが、それでも続いている。
こちらのほうが正しい姿なんだろうな、と新羅は思った。
以前の二人は、上手くいきすぎていて少し怖かった。
そのことについてセルティがこう言っていた。
・・・あの二人は完璧すぎて先が見えない。
静雄がどこかへ行ってしまいそうで怖い、とも。
恋愛は、お互いがお互いの手をつなぐようなものだと新羅は思っている。
ただし片手だけ、だ。
片手は相手とつなぎ、もう片方の手は世間へ向ける。それが正しい。
けれど、以前の二人は、両手をつないでしまっていた。
お互いがお互いと両手をつなぎ、世界を閉じてしまった。
お互いがお互いを想い、理解し、それで満ちてしまう。
それは幸福なことだろう。けれども決して幸せではない。
世界を閉じてしまったら、行きつくところまで行ってしまうだろう。
あのままの二人でいたら、きっと今ここに臨也はいなかっただろう。新羅はそう思う。
だからこれでよかったんだろうな、コーヒーを飲みながら新羅は心の中で安堵のため息をついた。
昔から、完璧なものは『良くないもの』を呼ぶと言われる。
それゆえに、美術品などはわざと未完成のままにしたり、欠けを作ったりしたとも言う。
おかしなもので、この二人の場合は逆に『言葉』という欠けがある状態のほうが完成品だったわけだが。
だから今、『言葉』が『ある』という未完成の状態だから、ここに臨也はいることができるし、静雄も泡のようにどこかへ消えてしまわないですんだのだ。
蛇足ってこういうことなのかな、と少し的外れなことを新羅は考える。二人にとって『言葉』は蛇足なのだろう。それからセルティも首がないからこそここにいられるのだろう、とも。
だってセルティにこれで首があったら完璧な美の女神すぎて地上にはいられないよ!
だからセルティは今のままでいい、どのような状態でもセルティを一番愛してる!!
「新羅」
「うん?」
「声に出てる」
「そう?」
やっぱり、指摘したところでひるむような新羅ではなかったが。
臨也は苦笑して話題を変える。
「その女神は仕事?」
「いや、静雄と出かけたよ」
それを聞くと臨也はあからさまに不機嫌な顔になった。
以前だったら、静雄の名前を聞いただけでこういう顔をしただろう。
けれど今日は、セルティと会っていることに嫉妬しているのだ。新羅と言う友人の恋人ではあるが、あの二人は新羅から見ても仲が良いので、臨也としては面白くないのだろう。新羅だって少し妬ける時もある。
新羅がこらえきれず笑いをもらいたので、臨也は新羅を軽く睨んだ。
新羅はごめんごめん、と軽く謝って言葉を続ける。
「事の成り行きは詳しく知らないし知りたくもないけどキミは怪我をして、静雄はそんなキミを朝方運んできてそのままセルティと出かけたんだよ」
「・・・ふーん」
「たまには愚痴でも言いたいんじゃない? 同居人に対しての」
それでもキミをここに運んでくるなんて優しいよね、結構愛されてるんじゃない?
臨也は新羅の言葉を聞くとコーヒーを一口飲み、『帰る』と断って立ち上がった。
それから新羅のほうをちらりと見ると、憮然とした顔のまま言った。
「新羅。前も言ったと思うけど、同居じゃなくて同棲だからね」
「はいはい」
「それから、シズちゃんがこっちに来たらウチに早く帰ってくるよう伝えて」
それだけ言うと臨也は部屋を出る。
その背中を見送りながら、新羅は小さく笑った。
ウチに帰ってくるように、ねえ。
もう二人にとっては一緒に住むあの部屋が『ウチ』なんだなあ。
娘を嫁に出すってこういう気持ちなのかな、もしかして。
そんなどうでもいいことを考えながら新羅はコーヒーカップを片づけた。
そのころセルティと静雄は公園で日向ぼっこをしていた。
朝方新羅の部屋に駆け込んだので、寝不足だった静雄はぼんやりとしている。
今日が休みでよかったな、とセルティはPDAに打ち込んだ。
まあ、休みだからこそ朝方まで起きていたんだろうけれど。寝かせてもらえなかった、というのが正しいかもしれないけど。ごにょごにょ。
狩沢と違いセルティはその辺りを詳しく聞かないことにして、静雄のために甘い缶コーヒーを買ってきた。
ほら、と渡すと静雄は「悪い」と呟いて口をつける。
静雄は一口飲むと、口を開いた。
「・・・つきあわせて悪いな」
『今日は仕事もないし、気にするな。たまにはゆっくり話したかったし』
「俺も」
最近街で会わないしな、と静雄は呟いた。
それはお前が目立たなくなったからだ、とセルティは言わなかった。
最近の池袋は以前より静かになった。
日常だった平和島静雄と折原臨也の追いかけっこが激減したためだ。
それだけじゃない、全般的に静雄は切れることが少なくなってきた。
何があったのか、とダラーズの掲示板でも話題になっていたが、その理由を知る者は少ない。
池袋でわざわざ追いかけっこをする理由がなくなったからだ、なんて。
きっと知っているものはほとんどいないだろう。
喧嘩をしようと思えば家でできるんだからな、とセルティは心の中で少し笑った。
そうやって日常的にストレスを発散しているがゆえに、最近の静雄は穏やかなのだ。
けれど、とセルティは思う。
今の穏やかさは、いいな。
記憶をなくす前の静雄は、穏やかではあったが、どこか現実離れしていた。
良く笑ってはいたが、なんだかそのまま消えてしまいそうだった。
今は良く笑うけれど、それと同じくらいよく怒っている。
それが正しい姿なのだろう。少なくとも以前よりは。
今の静雄は良い。