野ばらの君
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ベッドの上で上半身を起こした子供が、真っ直ぐに人のいる方を見つめていた。少しばかり困ったような、悪戯が見つかったような顔をしていた。
保護され、抱き上げられた腕の中それを呆然と見返しているのは、面差しのよく似たこちらも子供。眠り続ける王子の代わりにその振りを続けてきた王女。
誰も動かない中で、王女を抱き上げていた男がゆっくりと唇を歪めた。
「――おまえがそんなに頼りないのなら、アルフォンス。エドは今すぐ私がもらっていくぞ」
揶揄するような口ぶりが板についていて憎たらしいほどだった。抱き上げられている王女はといえば、ぽかんとした顔を弟から騎士へと向ける。男は今ひとつ何を考えているのか判らない顔をしていた。だが…。
「そんなの、ダメだ!」
誰が何を言うより早く、さっきまで眠り姫よろしく寝こけていたとは思えないほどの勢いづいた様子で王子が反駁した。その気色ばんだ声に、エドはもう一度弟の方を見た。
そして驚いてしまう。
夜目に慣れた視界では、弟が柔和なはずの容貌をきつくゆがめてこちらを睨んでいたからだ。
「…アル…?」
もういい加減エドの頭では理解しきれない展開になっていて、ただただ呆然と弟の名を繰り返すことしか出来ない。
目覚めてくれたのは嬉しいが、唐突過ぎて、そしてその後弟がなぜかロイと話しているから、なんだか…そもそも事態に追いつけていなかった。
だが二人はそんなこと、おかまいなしな様子だった。
「ねえさんは僕とずっと!一緒にいるんだ!」
「………アル?」
いつも「いい子」だった弟が駄々をこねたことはなかった。だがその弟が、ほんの小さな子供のように癇癪を起こしていた。エドはますますぽかんとしてしまう。
「僕が病気だったら…絶対ねえさんは傍にいてくれるから…だから…」
「…は…?」
呆気に取られているエドの頭の上から、ロイの深い溜息が聞こえた。
「……おまえのわがままのおかげで、エドは男のふりまでして、…エドはエドで頑張りすぎて、さっきみたいに馬鹿を煽る羽目になって」
噛み締めるような口調には疲労さえにじんでいた。
エドは困ったように、実際困ってもいたが、抱えられた腕の中で身を丸めた。やはり知っていた。今更だがそのことが恥ずかしい。
「…だって、あなたが悪いんだ!」
「…?」
しかし王子は、一度は唇を噛み締めたものの、すぐに顔を上げ、逆上したような態で言い返した。
「姉さんが大人になったら連れて行くなんていうから!」
「……………」
ロイが黙り込み、エドが弟と騎士の顔を交互に見る。
図らずも沈黙が落ちたその瞬間、少し離れた場所で、会話に参加していなかったもう一人が「すみませんが」と疲れたような呆れたような声を発した。
誰もがそちらを振り返る。
そこでは、ホークアイが困惑した表情で手を挙げていた。
「…私にもわかるように、説明していただけますか?さきほどから話がまったく理解できません」
この発言に、エドもこくこくと頷いた。実際エドも、話題にかかわりがあることはわかっていたが、自分の問題としては感じられていなかった。
「この場に残してくださったということは、私にも聞かせていただけると理解しても…?」
ロイとアルフォンスは、互いにちらりと視線でやりあってから、仕方ないとばかり頷いた。
エドを身を起こしたアルの近くに座らせてから、ロイは、腕組みをして壁に寄りかかった。ホークアイもまたただ立っている。
「…卿も疑っておられたようだが…」
最初に切り出したのは、ロイだった。卿という呼びかけから、それがホークアイに向けたものだとわかる。
「私は、先代女王陛下の甥にあたる。トリシャ陛下の兄が私の父、母親は名も知れぬ旅の女だったと聞いている」
「………」
それは多くの人が疑い、まことしやかに囁かれていたロイの出生にまつわる噂、その通りの話だった。
「………じゃあ…いとこ…?」
小さく呟いたエドに、ロイは黙って頷いた。
「卿も知っての通り、私の父は、戴冠式を控えた時期に城を逃げ出した。公式には急死したことになっているが、そのまま各地を宛てもなくさまよっていた。私が生まれたのも、どこか貧しい村だったと聞いている。母は、物心ついたときにはいなかったから、生きているのか死んでいるのかもわからない」
自分のなくなった母のことを思い出したのだろうか。エドが泣きそうな顔をするのが見えて、ロイは困ったように少しだけ笑った。
「父が亡くなり、二年ほど経った頃だろう。トリシャ様が私を見つけて、城に引取ってくださった。ずっと行方を探してくださっていたらしい。…エドが三歳、アルが二歳の頃だな」
「…では、…継承権は…」
想像はしていたが、突きつけられると重みが違った。リザは潜めた声で重々しく尋ねた。だが、マスタングはあっさりと首を振った――横に。
「前代の王子は死に、王統はトリシャ女王の子に引き継がれた。それ以外の真実など、今更誰にも必要ない」
エドは物も言わずに、従兄だという、本来であれば王としてこの国の頂点に立っていたはずの男をじっと見つめた。幼い頃の思い出はあまり残っていなかったが、名前を聞いてくれた少年のことは少しだけ思い出していた。
すこしも女の子らしくじっとしていなかったエドの脱走をいつも見破って、いつも迎えに来てくれた少年。父とも、周りにいた貴族とも違う…。
「それに…」
ロイは困ったように苦笑した。
「私は亡き女王に誓ったんだ。彼女の子を、見守り、支えると」
「…………。…わかりました。それに関しては、信じます」
ホークアイの慎重な答えに、ロイは眉だけを軽く動かした。
「…しかし、疑問は他にもあります。むしろ卿の出生に関しては、噂どおりだった、と納得いたしましたが、それだけです」
彼女は凛とした態度で問う。大分落ち着いているようだった。
「まず、なぜ、今王子と王女の前に現れたのか。なぜ、王女が王子の振りをしていると気付いたか。なぜ、王子を挑発すれば王子が目覚めると思ったのか、それから王女を連れて行くとはどういうことか――」
立て続けの質問に、ぱちりとエドが瞬きする。
「…それは僕から言った方がいいかもしれない」
エドの隣、王子が声を出した。エドは何も言わずにそんな弟を振り返り、じいっと見つめる。瞬きもしないのは、もしかしたら、これが夢であることを恐れているのかもしれない。そう思えば不憫でもあった。
「…その人には見破られてたみたいだけど」
ちらりとロイを見てから、アルは肩を竦めた。
「…でも僕にだって理由はあったんだ。…姉さんは憶えてなかったみたいだけど、その人が城を離れる時、姉さんがせがんだんだ。一緒に連れてって、って」
「…………は?」
突然話の矛先を向けられ、エドがびっくりしたように目を見開く。その顔を見れば、さっぱり憶えていないことは丸わかりだった。きょとんとした、あどけない顔だった。
「そんなの絶対適当に流すかごまかすと思ったのに、その人、言ったんだ」
どうやらロイに対して多大に含むところのあるらしいアルは、恨めしげに男を睨みながら恨み節をつづる。