ハート・ラビリンス
海賊王を目指す旅路の途中で立ち寄った島は、森や草木が多く茂る、緑にあふれた無人島だった。
「……嫌な予感しかしないわ……」
「未開の島なのかしら」
ナミが嘆き、興味深そうにニコ・ロビンが言うのと同時に、「冒険へ行こう」と音頭を取ったのはルフィ。仲間たちはすでに諦めモードで数人に分かれ、各々が探検に出たその矢先のことだった。
ルフィは森の中へと入り、獣道を分け入って少し進んだところで、開けた場所を見つけたのだ。
シロツメクサの絨毯、一本だけ聳え立つ大木、その木のそばには古びた枯れ井戸──。
「おー、宴ができそうなくらい広ぇぞ! ん? なんだ、ありゃ?」
ルフィは井戸のそばに何かがあるのを発見した。
絵本の中に出てきそうな完璧な森の風景の中に、ポツンとおかしなものがあるのだ。それは、ダイヤの形をした皿に盛られた、ハート型のクッキーだった。
なんでこんなところにこんなものが? と、普通はそう思って警戒するのだが。
「おおっ! クッキーが落ちてるじゃん!」
食いしん坊のルフィは、何も疑わずにそれを手に取って食べた。
パクリ、と。
その瞬間、あたりの景色がガラリと変わったのだ。ルフィは森の中から、奇抜な色彩の室内へと移動したのだった。
「……あれ? なんだ、ここ。森の中じゃなかったっけ……?」
首を捻りつつも、クッキーを食べる手を止めないでいたら、コツコツと靴音を響かせながら、部屋の奥からローが現れた。
床の模様と同じピンクのシャツに、黒いベストとスラックス。頭には黒い帽子を被り、何故だか左手首にだけ手錠らしきものがはめられてあった。そこからちぎれた鎖が数個ぶら下がっている。
ほんの少し呆れが混じったような、複雑な笑顔を浮かべていたローは、ルフィに向けて恭しく頭を下げ、挨拶をしてきた。
「よく来たな、おれの部屋へ。歓迎するぜ、……『麦わら』屋」
*
「あのクッキーって、お前が置いたのか?」
「ああ。……座ったらどうだ? 麦わら屋。お茶と茶菓子の代わりを出すぞ?」
ルフィは一刻も早く仲間の下へと帰りたかったのだが、その方法を知るだろうローは、なかなか本題に触れてこない。
焦れて、怒鳴りたい気持ちが沸き起こってくるけれど、ローは『質問に答えない』とは言っていないのだ。
「早く教えてくれよー」
仕方なく、ルフィはまた腰を下ろした。お菓子が食べられるという点も、もちろん見逃せなかったが。
「なかなか冷静じゃないか、麦わら屋」
「まだお前はなんも言ってねぇからな。嘘つくようだったらぶっ飛ばすけど」
「おっかねぇな」
口にした言葉とは裏腹に、ローは楽しそうに笑っている。ルフィの前には、またまたハート型のクッキーが振舞われていた。
「サンキュー。クッキーはこの形しかねぇのか?」
「型が一つしかねぇから、他のは作れねぇんだよ」
「ふぅん。……えっ? お前が作ってんの!?」
ルフィは驚いた。バクバクと、ただ口に放り込むだけだった作業をやめて、手作りだというクッキーをしげしげと眺めてみる。
「客をもてなすのがおれの仕事。あとは暇だからってのもある。客なんて本当にたまにしか来ねぇから、時間が余っちまって」
「……ふぅん」
ローの言葉に、ルフィは焦る気持ちをいくらか和らげていた。彼が焦らしてくるのは意地悪ではなくて、久しぶりにやってきた客であろうルフィを、少しでも長く引き止めたいからなのかもしれない。
「紅茶のおかわりは?」
「いる」
「ちょっと待ってろ」
椅子から立ち上がり、ローは背後にあるキッチンへと向かって歩いていく。
この部屋は一つの大きな円で出来ていた。
お茶を飲む場所、料理をする場所、くつろぐための場所、眠る場所が円周に沿う形で配置されていて、それぞれを区切る仕切りといったものはない。
唯一の例外がバス・トイレで、ここだけはちゃんと壁があり、外からは見えないようになっていた。
広さは十分というほどあるのに、他の住人の姿は見えなかった。
「お前、ここに一人で住んでいるのか?」
「そうだよ」
ティーセット一式を持って戻ってきたローに、ルフィは珍しく興味を抱き、いろいろと尋ねてみることにした。
「おれの前に来た客って、どれくらい前になるんだ?」
カップに紅茶を注いでいたローは、答えを探して少し考えるように首をかしげていた。
「……うーん、覚えてねぇな。それが誰だったか、顔も忘れた」
「……ふぅん」
砂糖とミルクが一つずつ入った完璧な紅茶を、ローはルフィの前へと置いてくる。
礼を言ってそれを受け取りつつも、顔を忘れるくらい昔の出来事とは、いったいどれくらい前になるのかを想像して、ルフィは暗い気持ちになった。
「お前、ここから出て行こうとは思わねぇのか?」
どう考えても不健康だし、彼が楽しんでいるとも思えない。けれど、何か理由があるのか、ローはその質問には答えなかった。代わりに、
「麦わら屋。ここから出て行く方法は、実は簡単なのさ」
と、いきなり本題に触れてきたのだった。
「えっ! そうなのか!?」
もっとも知りたい情報の到来に、ルフィはあっさりと心を切り替えた。それはどんな方法なのか、自然と身体が乗り出していく。
ローは変わらぬテンポで静かに話を続けた。
「見たとおり、ここは部屋だからな。出て行きたければ鍵を探せばいい」
「……鍵? それだけでいいのか? あ、でも、ここドアがねぇじゃん!」
鍵を見つけてもそれを開く扉がないのでは、出て行くことなどできやしない。ルフィはローに嘘をつかれたと思って憤慨する。
ローはそんなルフィを簡単にいなしてきた。
「ここはなぁ、実に不思議な空間でな、鍵が見つかれば自然と出て行くことができるんだ。つまりドアを開ける動作は必要ないのさ」
「なるほど、それは不思議空間だな!」
ローのいい加減そのものの説明にも、ルフィは大いに納得して頷いてみせた。要は鍵を見つけさえすればいいのだ。宝探しみたいだと、心がワクワクしてくるのを抑えられない。
「……フフッ。じゃあ、鍵を探してみなよ。必ずこの部屋のどこかにあるからさ」
「おう! ありがとな、ロー!」
鍵の在り処までは教えてくれなかったけれど、ここから出て行く方法を教えてくれたことは確かなのだ。ルフィはローに礼を言ってから、『鍵』とやらを探すために、半円ドーム型の室内をくまなく見て回ることにした。