ハート・ラビリンス
ローは呆気に取られたようなキョトンとした顔で、ルフィを見つめている。
「……理屈はそうだけど。でも、それだと結局、鍵を見つけてねぇんだから、部屋からは出られないままになるぞ?」
「…………えっ? あっ、そうか」
しーん、とした沈黙が落ちた。
たらたらと汗を流すルフィのそばで、ローは椅子に腰を下ろした身体をくの字に折り曲げている。
「……プッ、……ククッ……、アハハ……!」
こみ上げてくる笑いを堪えきれなかった、という風にローが爆笑している。ルフィは笑われるのは仕方がないと思ったので、ばつが悪そうにあさっての方向を向いて照れ隠しを試みていた。
けれど、ルフィが勘違いをした理由なら、実はちゃんとあるのだ。
「……あー、面白れぇな、麦わら屋は」
目じりを軽くぬぐう仕草を見せながら、ローは言った。彼の本当に可笑しそうな笑顔は、ここに来てから初めて見たように思う。
「違うぞ、鍵のことを忘れたわけじゃねぇんだ。おれはお前のことも連れて帰りたかったんだよ」
「……おれ?」
思いも寄らないことを言われたのか、ローの笑いがピタリと収まっていた。
「鍵を見つけたら、すぐにここから出ちまうんだろ? そんなら、お前とはそこでサヨナラじゃんか」
「……別にいいだろ。仲間んとこに帰れるんだから、麦わら屋は」
他人事だとローが言った理由が、今のルフィにはよく分かる気がした。
「お前が、ここですげぇ楽しく過ごしてるっていうなら、おれだってそんなことは思わねぇよ!」
「……!」
「でもお前、ちーっとも楽しそうなんかじゃねぇし、そのくせ早くおれに出てけみてぇなこと言うしさ。そういうのって、なんか腹が立つんだ!」
つまるところ、ローは何かを隠しているのだ。この部屋のこと、ここに留まる理由、早くルフィを帰らせようとする意味。そのすべてが不明で一つも分からない。
何か悪いことを企んでいて、そこにルフィを嵌めようとしているのなら、隠し事をする『理由』に繋がるけれど、ローの行動はむしろ逆に思えるのだ。
「お前が納得してるんなら、もっと楽しそうに笑ってみせろよ。それができねぇなら、その理由を話しておれを納得させろよ」
どどん、と。効果音つきで仁王立ちをし、ルフィは椅子に座るローを見下ろした。
帽子のつばが作る影の中で、どうしたものかと逡巡する瞳が、少しだけ伏せられている。テーブルの上のポットにカップ、すっかり空になった皿などを順番に見てから、ローはゆっくりと顔を上げてきた。
*
──困ったな。
ローはまずそう思った。ここで嘘をついたり、誤魔化しを口にしたりすることはできない。
ルフィの瞳は真剣そのもの。これ以上は、はぐらかすことも無理なように思えた。
でも、と考える。知り合ったばかりのルフィを頼っていいものかどうか。また、そうした結果が最高となるか、はたまた最悪になるのかも分からない。
ローは悩んだ末に、もう少しルフィのことを知りたいと思い、いくつかの質問をしてみた。
「──今ここで、おれが『楽しい』って言ったら、お前は素直に帰るのか?」
「……その言葉が嘘じゃねぇんなら。それを、何かに誓ってもいいって言うんなら、お前を信じるよ」
「……何に誓えば、お前は納得するんだ?」
「おれだったら、海賊旗だな」
「──……」
ローは、ルフィの言葉にハッとしたように目を開き、続けて質問をしようとした口を閉じた。
これ以上、何を聞くこともない。そんなことを真顔で言われてしまっては、返す言葉なんてあるはずがなかった。
「……海賊旗かよ。……まったく……」
己の誇りに嘘がつけるかと、糾弾されているのと同じだった。ローは改めて、麦わら帽子を被った男を見上げてみる。
──懸けてみようか、おれたちの運命を。
──失敗したら、皆には恨まれるだろうけど。
でも、他に方法はなかった。いや、そもそも最初からローは、そのつもりでいたのではないか。
いつか誰かが、この終わることのない悪夢の連鎖から解き放ってくれるのを。
トランプの模様で囲まれたこの部屋で、ずっと。ずっと、待っていたのだ。
「……麦わら屋。おれにも仲間がいるんだよ」
「! ……どこに?」
ルフィはキョロキョロと部屋の中を見渡している。
「あっ、もしかして部屋の外か? おれと一緒で」
「半分当たり」
「半分? どういうことだ?」
じれったそうに首をかしげるルフィに、ローはまだ少し躊躇う部分があった。
懸けるものが自分の命だけなら、ルフィの力を借りたいと素直に言えるのだけど……。
「はっきり言えよ」
「……おれが話をしたら、引き返せなくなるぞ?」
ローが抱えている問題に無関係のルフィを巻き込む上、掛かるものは仲間たちの命なのだ。
もし失敗したらと思うと、その恐怖に足が竦みそうになる。煮え切らないローに、ルフィは辛抱が切れて大声を出した。
「ごちゃごちゃうるせぇぞ! なんも難しくなんかねぇ! おれを頼ればいいだろ!」
「麦わら屋……」
それは、思わず笑いたくなるような台詞だった。
──うるせぇ、ときたか。
こっちはずっと真剣に悩んでいたのに、うるせぇ、で片付けられてしまった。けれど、モヤモヤと心の中に留まり続けたしこりのようなものが、解けて無くなっていくのを感じる。
「すごく面倒で厄介なことに巻き込まれても?」
「お前の助けになるなら構わねぇよ」
「……なんでそこまで? そんな義理ねぇだろ」
「あるぞ! お前にはクッキーと紅茶をもらった。理由ならそれで十分だ」
どどん、と。ルフィはまた堂々と面白いことを言ってきた。フフッ、とこぼれる笑み。今度こそローは、笑いを堪えないで声に出していた。
──敵わねぇなぁ……。
ローと仲間の命を、一時的に彼に預けてみようか。その結果がどう転んでも、それも運命だと言い切ってもいいような、そんな気分になっていた。
「負けたよ、麦わら屋。ここから出してやる」
「ん? 出す?」
ルフィの眉間に皺が寄っている。限りなく正解に近い部分にたどり着いているくせに、正解そのものは分かっていないところが、実に彼らしい。
「お前の考え自体は合っているんだよ。この部屋を開ける鍵は『おれ』なのさ。連れて行くなんて言うからややこしくなったけど、おれが『キー』であることに違いはないんだ」
「おおっ! なんだ、そっか! お前が鍵だったのかー。じゃあ、おれ一応、正解してたのか?」
「ああ。だから、ここの鍵も開けられる。……外に出る前に、ここがどういう場所なのか話しておくよ。まぁ、ちょっとだけ座れ。茶と茶菓子をだすから」
すっかり身についてしまった『役割』を忌々しく思うけれど、それもこれがラストになることを信じて、ローはルフィのために、できる精一杯の『お茶会』を開いてもてなした。