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【けいおん!続編】 水の螺旋 (第五章) ・中

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 凜が強い口調で云った。それは唯を叱咤激励しているようでもあった。唯の方も、「うんっ!」と凜に劣らないくらい勢いのある返事をして、ギー太の弦を勢いよく爪弾いた。何ともいえぬ心地いい歪みが辺りに鳴り響いた。唯は激しい快感に襲われた。何かを起こせるようなサウンド。悪い運命さえも歪め、絶望から解き放ってくれるような抵抗(レジスタント)感溢れるディストーション・ギターの響き。
 凜は再び地面に手をかざして穴を開けた。しばらくして、凜が「今だ!」と声をあげた。唯は両腕に抱えるギー太を確かめてから、自らの力を込めた。先ほどとは違って、胸の中の想いが溢れんばかりに膨れ上がり、それはオレンジの鋭い光となって穴へと落ちていった。
 下向きに掘り下げられていた亜空間がねじ曲げられてゆく。徐々に向きを変え、やがては別世界とつながった。
「成功だ!」と凜が叫ぶ。唯も「やった」と応えた。
「よし、急いで二葉の世界へ向かうぞ」
 凜はそう云って穴へ飛び込んだ。唯もギー太を連れて、それに続いた。


 7


 唯と凜は亜空間を飛んでいた。不思議な空間だった。辺りにはひも状をしたものが無数に漂い、それぞれが自分の目の前を、上へ下へ前へ後ろへ、無造作に飛び交っている。自分が前へ進んでいるのか、後ろに進んでいるのか、はたまた上へ進んでいるのか下へ進んでいるのか、測り知ることもできない。第一、この空間では、風や空気の圧力も感じられないのである。
 やがて、視界が真っ白な光に包まれたと思ったら、眼前にあの時の風景が映し出された。うまく二葉の夢の世界へ出られたのだ。
 向こうを見れば、海辺にたくさんの人々が集まっていた。しまった、と凜は思った。儀式はすでに始まっており、ゆえに信者はこの世界に集められたのだ。彼らが海の中に入れば、身体は溶けてなくなり、魂が天へと連れて行かれる。信者たちの魂は二葉の世界を拡大するためのエネルギーに使われる。それだけは、食い止めなくてはならない。
「唯!」
「うんっ!」
 ふたりは一息で意思を伝え合い、海辺へと駆け寄ろうとした。そこへ、たくさんのらせん状の光が、ふたりをめがけて襲いかかってきた。避けても喰い止めても、つぎつぎと別のらせんが襲いかかってくる。必死で逃げるしかない。その間に、信者らしき人々は、ぞろぞろと海の中へ入っていく。

 その頃、ライブハウスでは、放課後ティータイムの前に演奏していたバンドのステージが終わり、そのメンバーたちが楽屋に戻ってきたところだった。放課後ティータイムのメンバーたちは、無言のまま、しかし目で互いの意志を確認し合った。梓も、この時には外から楽屋へと戻っていた。純は今頃、観客たちに混じって、ステージの開始を待っているはずだ。
四人は立ち上がり、ステージへ向かった。それぞれが各自のセッティングを済ませる。再び、四人は互いの目を見合った。いつでも始められるという意思を確認し合ったのだ。澪がスタッフに「お願いします」と云った。スタッフは頷いて、舞台袖の幕を開けるボタンを押した。幕が開くその間に、澪は時計を見た。19時3分。ここから30分という短い時間だが、彼女たちはこのステージで演奏をする。遠くで戦っている、大切な仲間に元気を与えるために。
「ワン、ツー…!」という律のカウントとともに、彼女たちの一曲目の演奏が始まった。

 変化は急に訪れた。この危険な状況下にありながら、唯に急激な快感と高揚感がもたらされたのだ。まるで、自身の大脳が、頭蓋骨というしきいで囲まれた狭い枠を越えて、だんだん外の世界へ広がってゆくような。自分のイメージ・感性が世界とシンクロし、自分の心も身体も自由に動けるような。そんな気分に彼女は一瞬にして侵されたのだ。
 彼女の身体は反り返り、顔も空を見上げる形になった。そこへ、彼女の首元をめがけて、光の螺旋が迫ってきた。
「ああああああああああああああああああああああああああああ……!」
 唯は歌っているかとも思えるような透き通った甲高い叫び声をあげた。声は、この世界のあらゆるものが共鳴したかのように、空間中に鳴り響いた。どこまでも伸びるその声は、とどまるところを知らず、どこまでも続くように思える。唯が声をあげている間に、首元まで迫っていたものをはじめ、ふたりをとりまき、襲いかかってきた光の螺旋はすべて、次々に吹き飛ばされ、崩れ去っていった。
 ようやく、彼女の声が止んだ。同時に、彼女は体勢を元に戻した。その目はギラギラと輝き、顔も半ば引きつっている。心の底から溢れる興奮が、全身に伝わり押さえきれないようだ。
この気持ちの昂りは、放課後ティータイムの仲間たちとステージで演奏している時に似ている。今、みんなの演奏が始まったんだ、と唯は悟った。もっとも、実際にステージに立っている時よりも、興奮はより強いものになっている。戦っているという緊迫した状況と、演奏の時の高揚感が相まって、今のような興奮が生まれているのかも知れない。
 唯は思いのままにギー太をかき鳴らした。感性の赴くまま、さまざまなリズム・調・拍・長さのフレイズを奏でてゆく。彼女のアドリブによって生み出されたメロディたちは、ギー太の歪みのきいたサウンドになって、空間中に響き渡った。この時、唯は気づいていなかったが、実はそれらのフレイズは、現実世界での放課後ティータイムの演奏と同調していた。つまり、唯は自身のバンドの曲を知らず即興でアレンジし、演奏していたことになる。
 より気分の高揚した唯は、今の自分は何でもできるとさえ思えるようになっていた。空間を自在に飛び回ることも、天にこの手を届かせることさえ可能な気がしていた。
 しかし、これでもう恐れるものはなし、というわけにはいかなかった。なぜなら、この時すでに信者たちの身体は海の中に溶け込み、それらの魂が二葉の中に吸収されていたのだから。


 8


 一曲目の演奏が終わった。観客の拍手が止み終える前に、澪はMCを始めた。
「どうもこんにちは。放課後ティータイムです」
 再び観客たちから、大きな拍手が起こる。「澪ー!」「律―!」といった、メンバーの名前を呼ぶ歓声もあがった。自分たちは殆ど客集めをしていなかったが、何度もこのステージに立っているだけあって、自分たちを知ってくれている観客も結構いるらしい。
そこへ、ひとりの観客からこんな声が飛んだ。「ねぇ、いつものギターの子は!?」
 すると、他の観客からも「ギターの子、換わってない?」「いつもの子はどうしたの?」という声があがった。いつもギターを肩にさげてステージにいるはずの唯がなぜかおらず、代わりに梓がステージに立っていることは、観客たちにも当然疑問に思えたらしい。
 澪は気持ちを落ち着けて、ゆっくりと言葉を切り出した。
「私たちの大切な仲間である唯は、今ここにはいません。詳しくは云えませんが、彼女は大切なものを守るため、必死で戦っています。私たちは今日、唯を励まし、力を与えるために演奏します。みなさんもぜひ、私たちと一緒に唯を応援してあげて下さい。お願いします」