チョコレイト・デイズ
「先生の笑顔も、手も、声も、指も、全部好き」
「はいはい」
スネイプは扉を開けて、ハリーの背中を軽く押した。そのまま戸口に背中を預け、腕を組む。
「ビーブズにいたずらされるなよ」
ハリーはこくこくと頷いた。
「先生、また来てもいいんだよね?」
「ああ」
軽く頷くと安心したようにハリーは胸に手を当てた。それを見て、スネイプはポケットから銀の懐中時計を取り出し、ハリーの目の前で文字盤をこつこつと指で叩いた。
「二十時間後においで」
「うんっ」
赤い顔をして、両手でセーターの裾をしっかりと握っているのが微笑ましかった。口をきゅっと引き締め、ウサギのような目で見上げてくる。
「先生、僕のこと好きでしょ?」
「ああ」
「えっ」
あまりに驚いた様子のハリーが面白くてスネイプは苦笑した。見開いた目から目玉が零れ落ちそうなほどだ。
「そんなに驚くなよ」
「だって、だって」
「ほら、もう行け。ウィーズリーたちが待ってるんじゃないのか」
「でも先生、今」
「歯磨いて早く寝ろよ」
追い立てるように手を振ると、しぶしぶといった様子で背を向けて寮に歩き出す。何度も振り返るのがおかしいやら、微笑ましいやらで困ってしまった。すっかり姿が見えなくなるとスネイプはゆっくりと扉を閉め、思わず呟いた。
「やっぱり捕まってしまったか」
呟きには隠し切れない愛しさと柔らかな覚悟がこめられていた。
「もー、俺、やだ。どーにかしろよ、あいつ」
ロンは食堂のグリフィンドール専用テーブルにべったりと上半身を伏せ、ぶちぶちと文句を垂れていた。
「いつものことじゃないの」
そういうハーマイオニーもべったりとテーブルに伏せている。心の中ではロンと同じことを思っていた。『もー、やだ。誰かどうにかして、お願い』って感じに。
「イジクソ悪いのは承知のことだろ」
二人に負けずにハリーもべったりとテーブルに伏せている。
そんな三人に同学年の寮生たちは昼食後のコーヒーを飲みながら、時折気の毒そうな視線を投げかけていた。
「あー、腹立つ!」
叫びながらロンはガバッと体を起こしたが二人はまったく反応しなかった。そんな気力もない。
「なあ、七十点の減点ってフレッドやジョージだってないと思うぜ。あの双子より俺らのほうが悪いってのか? 息もするなってか?」
「悪夢の木曜日だわ。魔法薬学が必須科目なんていじめに等しいわよ。週二回も授業があるなんて泣けてくる」
のろのろと体を起こしながらハーマイオニーは珍しく弱気なため息をついた。
「僕、進級できるか、真剣に不安だよ」
ハリーもやっと体を起こす。
「あいつの趣味が減点を乱発することだとしてもやりすぎだぜ。なんでマルフォイが返事しただけで十点もらえて、俺の字が汚いだけで減点なんだよ」
「私の手の上げ方がきっと気に入らないんだわ」
「僕の髪の毛がぼさぼさで逆立ってるからって、誰かに迷惑かけたと思えないんだけど」
しょうがないよ、どうやっても寝癖が直らなかったんだもん。
三人は深々とため息をついた。
「これは仕返し大作戦しかないな」
ロンは決意に燃えた目をして二人を見た。まわりの寮生たちがぎょっと身をすくませた。ネビルなんかはすでに背を向けている。
「何するつもり?」
「嫌がらせ」
ハーマイオニーの言葉にロンは立ち上がって決然と答えた。使命に燃えた騎士のようだったが、ハーマイオニーはそんなロンを呆れたように見ていた。
「クソ爆弾くらい投げてやるぜ」
「僕、パス」
「ハリー! なんでだよ! このまま黙ってるっていうのか? どう考えても八つ当たりだぜ、こんなの」
「だって、また減点されるのは目に見えてるし、下手したらそのまま退学かも」
またハリーはテーブルに突っ伏した。先生に嫌がらせするなんてとんでもなかった。どうせ僕らが何をやっても先生にはたいしたことないし。
意地悪されたって大好きだ。二人には口が裂けても言えないけど。
「ロン、私もパスするから」
「なんでだよ!」
「私たちだけで三百点以上の減点があるのよ。これ以上減点なんてされたら、スネイプに嫌がらせする前に私たちがみんなに嫌がらせされるわよ」
ふてくされたようなハーマイオニーの言葉にまたもや寮生たちはぎょっとする。ネビルはロンに何か言われる前からブンブンと首を振っていた。気持ちはわかる。
「ちぇ、なんだよ。俺だけか、勇気あるつわものは」
「それは無謀って言うのよ」
即座に答えるハーマイオニーにロンも負けてはいない。
「俺の字が汚いのと減点とどう関係があるんだよ」
「関係ないわよ、そんなの。でもあなたの字が読めないのは確かね」
「俺が読めればいいだろ」
「もう、そんなに怒んないでよ。耳がキンキンするわ」
ハーマイオニーは冷めたコーヒーを口に運んだ。砂糖なし、ミルク多めが彼女の好みだ。
「三人で七十点っていうのもおかしいんだ。一人あたま二十三.三三三・・・。割り切れないぜ」
「だからなんなのよ。バカッ」
さすがのハーマイオニーも度重なる減点にイライラしていた。
「バカって言うな。ハーマイオニーが三十点で俺らは二十点ずつだぜ、絶対」
「何が絶対よ。どう考えても一番最初に怒られたあなたが三十点よ」
「たまたま一番最初にスネイプの目に留まっただけだ。ハーマイオニーだって手を上げるからいけないんだ。スネイプは授業を中断されるのが一番嫌いなんだって、いい加減覚えろよ」
「うるさいわね。三十点減点は絶対あなただから!」
ハリーは二人の馬鹿馬鹿しい言い争いを聞きながら、肘をついて食堂の戸口をぼんやり見ていた。昼食にスネイプの姿は見当たらなかった。無意味にきょろきょろして確かめたから間違いない。
先生、部屋かなぁ。
チラリと目をやった壁時計は一時十五分だ。あと六時間か。先生の部屋に行くのが待ち遠しい。
ぼんやりしていた視界に黒い姿が映った。少し立ち止まって壁時計を見ている。待ち望んでいた姿にふっと息が止まった。胸がトクトクと音をたて始める。
時間も微妙だし、昼食食べるかどうか迷ってるんだろうなぁ。
なんとなくわかるのが不思議だ。
今日の昼食はハムとチーズのサンドイッチにポテトスープ。紫たまねぎたっぷりのサラダに木苺のムースだよ、先生。
ハリーの声が聞こえたはずもないのに、ふいにスネイプが振り向いた。ハリーを見つけてほんの少し口端を緩めたように見える。
まだ言い争いをしているロンたちに気づかれないように何の反応もしないようにしていたが、一瞬で心臓は口から飛び出そうなくらい強く脈打った。
先生!
精一杯の気持ちを込めた視線を送るだけだ。体の芯が微熱を持っている。
スネイプは左手でポケットをトントンと叩いた。あそこには銀色の懐中時計が入っている。僕は知ってるんだ。
『六時間後においで』
声が聞こえた気がした。
返事のつもりで一回ゆっくりと首を回したら、先生はもう一度口端を緩めた。
「あぁ」
嬉しすぎて思わず声が出た。先生と僕って何だか通じあってるぞ。すごい、これって。すごい。すごい。すごく嬉しい。
「ちょっとハリー、『あぁ』ってどういうことよ! 私のほうが悪いって思ってるわけ!」
「えっ?」
作品名:チョコレイト・デイズ 作家名:かける