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チョコレイト・デイズ

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 チョコにつられたわけではないが、断じてないが、スネイプの言葉に素直に頷いたハリーは心も軽く銀の器を磨き出したのだった。チョコレートはまだ三つ皿の上にある。それを見ながらハリーはにっこりした。
 つがいのふくろうがやってきて、十一時を知らせるとスネイプは「帰ってよし」と言った。
「あといくつだ?」
「四十一個です」
「昨日より進んだな」
「今日は十四個磨きました」
 ちょっと胸を張ったハリーにスネイプはフムと鼻をならして、からかうように言った。
「チョコレートの魅力は絶大ということか」
「そんなんじゃありません」
 ハリーは頬を膨らませた。色白の頬に少し赤みが増して、子供子供という印象が強まる。大人になるにはまだまだ早い。スネイプを見上げる瞳は冬を迎える前に大きく深呼吸をした樹木の、黄金が混じった綺麗な落ち葉色だ。柔らかで深く、瑞々しさをたたえて澄んでいる。
「美味しかったですけど」
 まあいい、とスネイプは言って立ち上がった。扉を開けてハリーを送り出す。扉にかけた指先がわずかにインクで汚れていた。
「明日は来なくていい。私がいないからな。今日磨いたのと同じ数だけ残りの数から引いておこう。いくつになる?」
「・・・二十七個です」
「わかった。では明後日は二十七個からだ」
「はい」
 ハリーは素直に返事をした。スネイプはむやみに意地悪じゃない。フェアに接してくれている。
「口を開けろ」
 もう命令口調さえ偉そうに感じず、ハリーは上を向いて無防備に口を開けた。
 パチンと指を鳴らしたスネイプは、何かをぽいっとハリーの口に落とした。反射的に閉じた口のなかで、チョコレートが甘く溶ける。
「最後の一つだ」
 ちょっと微笑んだスネイプはぽんとハリーの頭に手を置くとくしゃくしゃっと撫で、驚いているハリーをよそに背を向けた。
「歯磨いて早く寝ろ」
 淡々とした声が閉まる扉の向こうから聞こえた。ハリーは目を皿のように見開いたまま、呆然と立っていた。
 な、に・・・?
 そっとハリーは頭に手をやった。
 ・・・・・・先生、くしゃくしゃって、した。
 ぼんやりした頭のまま、ハリーはゆっくりきびすを返し寮に向かって歩き出した。口の中でとろけるチョコレートが妙にハリーの胸を甘くざわめかせる。喉をあたたかなものがチョコレートと一緒に流れ落ちて、じんわりと体温が上がってゆく。
 無性に気が急いた。歩いていられず、全速力で走った。走らないと叫び出しそうだった。なぜだか「どうしよう」と思った。
 ・・・・・・先生。
 くしゃくしゃって、した。僕の頭をあの大きな手で。
 ふと気づいた。
 そういえばチョコレートのお礼を言っていない。美味しかった。
「ありがと、先生。・・・・・・ごめんなさい、トカゲ」
 ベッドに飛び込んで、スネイプの顔を見ては言えなかった言葉をハリーはようやく口にした。ちょっと涙がでた。胸が痛い。どうしよう、僕、胸が痛い。
 目を細めて微かに笑ったスネイプの顔がまぶたに焼き付いて、どうにも今夜は眠れそうになかった。



「もうっ、ハリーったら聞いてるの?」
 ハーマイオニーは朝から何度も同じ言葉を口にしていた。我慢していたイライラもピークに達している。基本的に気の長いほうではない。
「どうしたんだよ、ハリー。スネイプから開放されたつかの間の休息なんだぜ。今日は器磨きないんだろ?」
 ロンも首をひねっている。
 ハリーは朝からぼんやり心ここにあらずで、ハーマイオニーの言うことも、ロンの言うことも、授業も何も聞いていなかった。廊下で血みどろ伯爵の体の中を通りすぎたのにも気づかなかったくらいだ。昨夜から正体不明の熱に浮かされている。
「突然どうしちゃったのよ。昨日、スネイプに何か言われたの? 言いにくいけど・・・目が真っ赤よ」
 ゆっくりと三人で夕食をとるのも久しぶりだ。昨日までハリーは適当に目の前にあるものをとりあえずかきこんで、ピューッといなくなっていた。少しでも早く百個の器を磨き終わらなければ自由は来ないとばかりに悲壮な覚悟を決めていたようにロンには見えた。
 少しの沈黙の後、いつも意を決したように「よし、行ってくる!」と、勢いつけて立ち上がるハリーにハーマイオニーもロンも、勇気づけるように大きく頷いて送り出していた。
「スネイプが何か言わない日があるか? あいつの頭は嫌味の宝庫だぜ。昨日だって、マルフォイが先に仕掛けてきたのにさ!」
「あいつの名前なんか聞きたくないわ、あんな芋虫野郎! むしずが走る!」
 せっかくのパンプキンプディングをスプーンでぐちゃぐちゃにかき回しながら、ハーマイオニーは鼻息も荒く言い放った。
「ハーマイオニー、この頃、言葉遣いが悪くなったことない?」
 ロンは眉を顰めて、ハーマイオニーの手元でさらにぐちゃぐちゃになっていく黄色い物体を眺めた。
「私の言葉遣いが悪いのはスネイプとマルフォイの話をするときだけよ」
「ねぇ!!」
 ハリーが突然、二人の話に割り込んだ。今は誰もいない教師のテーブルを睨みつけている。
「ハリー、そんな大きな声でびっくりするじゃないの」
「スネイプってむかつくよね!」
「当たり前だろ」
 何をいまさら言ってるんだと呆れたようにロンは即答した。
「当たり前じゃない」
 ハーマイオニーも同じような口調だ。
「最悪だよね!」
「どうしたんだ? ハリー。スネイプより最悪なヤツなんて見たことないだろ? あれは百年に一人の悪材だぜ」
「あんな教師に教わってたら、根性がねじ曲がるわよ」
 スネイプの悪口ならずぅぅぅぅっと話し続けることができると二人は確信している。スネイプに何点減点されたことか! その中にはきっと八つ当たりも入っている。
「そうだよね。決まってるよね。むかつくし、最悪だし、最低だし、陰険だし、えこひいきするし!!」
「だから、最初っから言ってるだろ。断言できるけどアイツが最低最悪だ」
 きっぱりと迷いなく言い切るロンを見て、ハリーは安心した。スネイプは間違いなく最悪なのだ。ロンもハーマイオニーも力強く言い切っている。
 胸に渦巻くもやもやはスネイプの形をしていたけれども、それはきっと怒りの消化不良分だ。スネイプに会いたいなんてどうかしてる。昨日の夜から僕はおかしい。
 何度も何度も頭をよぎる。あの手が僕の髪を・・・。ハリーは目を瞑り、軽く頭を振った。
「今日は魔法薬学の授業もなかったし、器も磨かなくていいし、嬉しくておかしくなっちゃったみたいだ」
「しっかりしてくれよー、ハリー。でも、ま、その気持ちはわかる。俺だってあんな不機嫌面なおっさん、会わないでいられるもんなら一生会いたくないもんな」
「・・・いくつなのかしら」
 考え込むようにハーマイオニーはテーブルの上に頬杖をついた。見事なまでに粉砕されたパンプキンプディングを食べることは諦めたらしい。
「三つ」
 テーブルの上に転がっているグリフィンドール専用のマッチ箱を覗いてロンは言った。
作品名:チョコレイト・デイズ 作家名:かける