チョコレイト・デイズ
ハリーはあの花の匂いのする紅茶のほうがいいなと思った。ふわふわ飛んできた白いポットに白いカップ&ソーサー。砂糖壺も白かったのに中身は茶色い角砂糖だった。ハリーの顔に無意識に笑みが浮かんだ。
「おっ、そうじゃった。いいものをダンブルドア先生からいただいたんだ。見て驚くなよ」
ガサガサと音を立てて、ハグリットはキッチンの棚から四角い箱を持ってきた。
「ほれ」
箱を開けた中には四葉の・・・・・・。
「オセロ!!」
ロンが叫んだ。
「スゲー!! ハグリット!!」
目をキラキラ輝かせてハーマイオニーも嬉しそうだ。
「ステキ! こんなにたくさん。20個はあるわ」
「お前さんたちと食べようと思ってな・・・・・・ん? ハリーどうした」
ニコニコ笑って二人を見ていたハグリットは、目を瞠って口を押さえているハリーに気づいた。
「そんなに驚いたか? たくさん食ったらええ。めったにこんな機会はないからな」
優しく言った。
「え? あ、うん。・・・・・・そうだね」
ぎこちなくハリーは頷いた。息をするのも苦しかった。
こんなときにチョコレートなんて。こんなに先生に会いたいときにオセロなんて・・・・・・。ハリーは軽く唇を噛んだ。こんなの出来すぎだ。
「ハーマイオニー、もういい?」
うずうずしながら、ロンはハーマイオニーにお伺いを立てた。
「ええ、いいわよ。いただきましょ」
三人が嬉々としてチョコレートに手を伸ばしている横で、ハリーは恐る恐る紅茶に口をつけた。バニラの匂いが体にまとわりつく。
ハリーは失望とともにカップをテーブルにおいた。この紅茶はあの紅茶じゃない。あの例えようもなくいい匂いのする花の紅茶じゃない。わかっていたけど知らずため息が出る。甘ったるいバニラの匂いがわずらわしかった。
「美味い!! こんなに美味いんだ、オセロって」
ロンの感激した声が部屋に響き、ハーマイオニーもしみじみと呟く。
「他のチョコとどう違うのかしらねぇ」
「ハーマイオニーのママのスコーンもいつも美味しいぞ」
「ありがと、ハグリット。そう言ってくれるとママも喜ぶわ。こっちは新作なんですって。干しぶどうと杏をラム酒で漬けたって手紙に書いてあったわ」
「どれ、それをいただくかな」
「どうぞ。あ、そっちじゃないわ、こっち」
「ハーマイオニー、俺にもちょうだい。前、栗のがあっただろ? あれないの?」
「あるわよ、それはこっちよ。はい」
「うーん、これこれ。うまーい」
「前、ロンが美味しかったって言ってたって伝えたらとても喜んでたわ。・・・ねぇ、ハグリット、新作はどう?」
「お前さんのママはスコーン作りの天才じゃな、すごくうまいぞ。それにこのマーマレードも絶品だな」
「あぁ良かった。ママ、意外にみんなの評判を気にしてるのよ。美味しいって言ってもらえるのが一番嬉しいんですって」
三人の会話をどこか遠くで聞きながら、ハリーはなぜこんなに大きな失望感を味わっているのかぼんやり考えていた。
あの部屋で食べるオセロと目の前にあるオセロに違いはないのに、手は出なかった。ロンたちが興奮するほど食べたいとも思わない。不思議だった。紅茶にはこれ以上口をつける気にもならなかった。
「ちょっと、ハリー! 何してるの、もう。オセロよ、ほら、手出して。ボーッとしてたらなくなっちゃうわ」
「あぁ、ありがと」
ハーマイオニーの勢いに負けて口に入れたチョコレートは素直に美味しいと思えたが、ただそれだけだった。ほのかなミントの香りが何か違うとハリーに訴えていた。
「ねぇ、こんな味だったっけ?」
「何が?」
「うん、ほら、この・・・」
なぜだか「オセロ」と口にできないハリーに
「オセロ?」
ロンのカップに紅茶を継ぎ足しながら、ハーマイオニーが答えた。
「うん。こんなうすい味だった?」
「うすい?」
理解できないという顔をしてロンが聞き返す。ハーマイオニーとハグリットが顔を見合わせていた。
「う・・・ん。なんていうのかな、もっとミントの味がチョコと混ざってさ、トロってしてたと思うんだけど」
「なに、お前、オセロをそんなに食べたことあるわけ」
「えっ。ううん、そんなことないよ。こんな高いもの買えるわけないし」
慌てて否定するハリーに、だよなぁ、と言いつつ、もう一つオセロを口に入れ、にんまり笑ったロンはこのチョコレートの虜になってしまったらしい。
「あぁー、うまーい。うまーい」
「ちょっと!! 食べすぎ。もう五つも食べてるじゃないの。ストップ! ダメダメ!」
「まぁまぁ。まだあるから。ほれ、ハリーも食わんとロンに全て食われるぞ」
ハグリットはニコニコ笑って三人を眺め、洗面器と見紛うカップに口をつけた。
オセロをじっと見つめるハリーの脳裏に浮かぶ黒いシルエット。胸の奥がトクッと音をたてて、瞬間ハリーはぎゅっと目を瞑った。
「先生、いい加減に部屋を移動させるのやめてください。なんでいつもいつも違う場所にあるんですか?」
ハリーは今日も散々、スネイプの部屋を探して学校中を走り回り、やっと見つけたところはひんやり冷たい地下三階。貯蔵庫の隣にひっそりと扉が存在していた。
「さて・・・」
今日のスネイプは仕事がないらしく、デスクの上は綺麗に片付いていた。ゆったりと椅子に腰掛けてハリーを眺めている。相変わらず黒いブラウスの首元から銀のネックレスがチラリと覗いていた。
「見てるだけならちょっとくらい手伝ってくれたっていいのに」
以前は考えられなかった、聞こえよがしの独り言も平気で言えるようになってしまった。受け止めるスネイプの顔にも余裕があり、ニヒルな笑いは影を潜めている。
「私が一つ磨いたら、二つプラスするぞ」
からかう言葉もどこか楽しげだ。目を細めて優しげな顔をするスネイプにハリーは違和感より嬉しさを覚え、胸がドキドキした。あの目が蛇のようだと思っていたなんて信じられない。黒曜石のような真っ黒な瞳。
なんで。なんでこんなに嬉しいんだろう。
「・・・余計増えるじゃないですか」
呆れたように言う自分の声も、どこか遠くから自分ではない誰かが話しているように聞こえる。ちょっと浮かれすぎだ。
「どうする」
「どうするも何も、手伝わないでください」
わざと深々とため息をついて、ハリーは言った。
「ふうん。手伝えと言ったり、手伝うなと言ったり・・・・・・」
やっぱりからかうように言ったスネイプは机の上に足を伸ばした。さらに胸元でリンゴの皮を適当に拭くとそのままかじり出す。行儀が悪いことこの上ない。
ハリーは諦めて器を磨き出した。
シャリシャリとリンゴをかじる音だけが聞こえる。
不意にスネイプが立ち上がって窓を開けた。地下三階だというのに、窓の外は宝石をばらまいたような星空だ。遠くの山に雪が積もっている。
スルリと入り込んだ冷たい空気が頬を撫でたが、ハリーは顔をあげもせず一心不乱に器を磨いていた。
スネイプは部屋の明かりを消し、ハリーの手元が暗くならない程度のランプを浮かせていた。
「先生、雪。今、雪降ってますか」
「いや」
窓枠に腰かけたスネイプの髪が、ほのかな風にさらさらとなびいた。
作品名:チョコレイト・デイズ 作家名:かける