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【けいおん!続編】 水の螺旋 (第五章) ・下 +エピローグ

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 気づけば、唯はひとりでに、あの頃教えてもらったコードを順番に弾いていた。さきほどまでいた夢の世界と違って、アンプにつないでいないギターは、指で爪弾いても簡素な音しかしないが、それにも拘わらず、5弦、6弦分の音を組み合わせて和音になれば、辺りの空気を根こそぎ揺さぶるかのごとく共鳴し、無限の拡がりを感じさせてくれる。それは、はじめてコードを弾いてみた時にも感じたことだった。不思議だなぁ、としみじみ思ったものだった。
 …なつかしいな。
 唯はコードの響きに身を任せるようにしながら、昔の感覚を思い出し、感慨に浸っていた。この時、そんな彼女の染色体内で、再びSDR経路が活性化し、SDRタンパク群が大量に合成され、脳内の精神世界へとつながるセンサーのスイッチがオンになった。
 唯は恍惚に浸っているうち、気づかぬ間に再び夢の世界へ入りこんでいくのである。

 ふと気づけば、今までいた診察室とは違う光景が眼前に広がっていることに、唯は驚いた。
 今いる場所に一瞬戸惑いかけたが、すぐにここがどこなのか唯は理解した。
「私の世界だ…」
 意外にもというか当然というか、初めて来る場所だった。歩いてみると、おぼろげに思いだせたり、はっきりと覚えていたりする物や風景があちこちにある。空気は、ウェットな悲しい感情を反映させた部分もなくはなかったが、多くはカラッとしていて爽やかだ。ときどきジメッと肌にまとわりつくような風を感じることはあるが、少し歩けばすぐに爽快なものに変わってしまう。これは自分がこれまでの人生であまり思い悩まなかったからかも知れない。俗に云う“ノーテンキ”ってやつかな、と唯はひとりほくそ笑んだ。
 はじめ見えていたものは、幼いころのおぼろげな記憶だったり、自分の中でそこまで大きない印象をもたなかったものであったが、歩いてゆくと次第にそれがより感慨深い、自分の中で大切な思い出や物や風景に変わってゆく。さらに歩いて、唯はついに高校のころの記憶にたどり着いた。クラスメイトとともに勉強した教室の様子や、仲間と過ごした部室の様子、自分が使っていたカバンやペンやカップなどが次々に目に入ってくるし、耳にはあの頃に演奏した楽曲が臨場感を伴って聴こえてくる。少しノスタルジックな湿り気を適度に含んだ、幸せな風の中を彼女は歩いていた。ふわふわとした浮遊感に今にも飛び上がってしまいそうだ。
 ふいに扉が見えてきた。扉の向こうには、何やら温かいものを感じる。その温かさを形容するならば“愛”だった。自分の中で最も愛が溢れるものがきっとそこにはあるのだろうと唯は思った。
 彼女は臆することなくノブに手をかけ、扉を開いた。小さな部屋の真ん中には、ギタースタンドに立てられたギー太がいた。唯はふと部屋の隅に目をやる。そして、目に飛び込んで来たものを見た瞬間、彼女の瞳からは涙が溢れ、止まらなくなった。
 壁際には、二人がけのソファに腰掛ける凜の姿があった。


 13


 唯は凜の方へ歩み寄った。凜の前へ来たまでいいが、溢れる涙で声が出ない。
 凜は顔を見上げ、そんな唯の様子を静かな目で眺めていたが、やがてゆっくりとした口調で静かに云った。
「君はよく泣くな」
 凜の思いがけない言葉に力が抜けたらしく、唯の足腰はぐらりと揺らついた。彼女はふらつきを利用してくるっと180°回転し、凜の横へボスッと音を立てて座り込んだ。その場にへたり込まなかっただけでもおよそ頑張った方だった。何か云い返そうにも、まともに言葉を発せられる状態ではない。唯は気分が少し落ち着くのを待って、ゆっくりと言葉を切り出した。
「せっかく会えたのに、第一声がそれ…?」
「君をこれまで見てきて感じた客観的な見解を述べたまでだ」
 凜はしばらく間を置いて、唯に訊き返した。
「ところで、どうしてここに来たんだ。この世界に来るということは、自分の心を覗き見るということに等しい。自分の仮面を剥ぐような行為だ。好ましい趣味とは思えないがな」
「どうしてって…、凜くんを助けに、いや、連れ戻しに来たんじゃない!」
 唯は思わず声を荒げた。凜の繰り返される不躾な発言に、とうとう声を荒げずにはいられなくなったのだ。
「どうしていつもいつもそんなことばっかり云うの? 私は凜くんが心配で、どうしても目を覚まさせてあげたくって、だからこそここに来たんじゃない。私は私の他の仲間たちを大切に想うのと同じくらい、凜くんのことも大切に想ってる。だから凜くんのこと、どうしても助けてあげたかった。なのに、凜くんはいっつも人の好意を踏みにじるようなことばかり云ったり、態度に出したりするんだよ。いくらなんでも酷いと思わないの!?」
 唯は感情に任せて、まくし立てるように云ったが、凜は悪びれもなく「悪いな」と返しただけだった。

―― 僕にはこういう云い方しかできない。――

 ―― 他人への気づかいがどんなもので、どういう風に表現したら相手を傷つけないか、というのが分からないから。――

「…でも考えてみたら、私も似たようなところがあるんだよね。私はいつも都合よく解釈して、身勝手に行動して。誰かに迷惑をかけたり、心配をかけたりしても、まったく知らん顔というか、そのことに気づいてさえいない。つくづくダメ人間だよ、私って」
 唯はここで、横にいる凜の顔を改めて見て、意地悪そうに笑いながら続けた。
「…でも、だからこそ私、凜くんのこと嫌いになれないのかもね。知ってる? 凜くんって、放課後ティータイムの他のメンバーからは、けっこう嫌われてるんだよ。姫子ちゃんだって、今にきっと愛想を尽かすよ。凜くんのことフォローしてあげるのは私だけ。良かったね、ひとりでも凜くんを嫌いじゃない人がいて。あ、今のは、意地悪で云ったんだからね」
「そんなこと、前から分かっていたことさ」
 唯の精いっぱいの皮肉も、凜は平然とした顔で返す。
「ぬぅ…、いじめ甲斐のない奴」
と、唯は憮然とした表情で呟いた。
 出会ってすぐに暴力行為をはたらき、それに対するフォローもしなかった自分のどこに、相手から好かれる要素があるのかと、凜は指摘したいところであった。
 それからふたりは、お互い正面を向いたまま黙り込んでしまった。
しばらく沈黙が続く。
 その果てに、ふいに言葉を発したのは凜だった。
「二葉の世界はどうなった」
「ああ、大丈夫。潰れて消えちゃったよ」
「二葉の野望は潰えた、か。おそらく、石山教授の思惑通りだろうな」
 凜の言葉に唯は不思議そうな顔をした。
「思惑通り? “希望通り”の間違いじゃないの?」
「いや、“思惑通り”だ。おそらく、石山教授は僕らを送り込むことで、二葉の世界は消え去るとはじめから予想していたんだ。僕らは大層な意気込みをもって一生懸命戦ったつもりだが、すべては石山教授に仕組まれたことだったのさ」
「ふうん。まあ、どっちでもいいや」
 再び、少しの沈黙が訪れる。次に口を開いたのは唯だった。
「ねえ。私が助けに来て嬉しい?」
「ああ」
 凜の返事は短く、また素っ気なかった。だが唯は、少し嬉しそうに、
「そう。よかった」
と云った。