Naked Mind
炎山にしては、抑えた方だと思う。とその様子を見ていた彩斗は考えた。自分がノートの落書きを見つけたときは、部屋中を逃げまくる熱斗を必死で追いかけたものだ。
バン、とノートを机に叩きつける音がした。何も書いていない真っ白なページを開いて炎山は熱斗に教科書を開かせると、彩斗にポケットから試作品を投げて寄越した。
その後ろで、サイトは行儀悪く、足で床に置かれたゲーム機のスイッチを入れた。その音を聞き取ったのか、ちらりと熱斗が羨ましそうな視線を投げかける。炎山に睨まれたのに気付いて、慌てて姿勢を正す熱斗に苦笑を返して彩斗は視線を画面へと移した。
背後から教えようとする炎山の声と、それに唸る熱斗の声。
その構図が愉快で、彩斗は気付かれないように笑った。だが炎山がすぐにそれに気づいて気丈に置かれていた消しゴムを彩斗の頭に投げつけた。彩斗は炎山を見上げて、ぺろっと軽く舌を出した。
『邪魔するなよ』
炎山の目がそう言った。ようやく熱斗が少しだけやり始めたところだったせいだろう。その目がもう一度彩斗を睨んで、それから熱斗の方へ向き直る。
おもしろくない。
両耳につけたヘッドホンからは、単調に繰り返されるBGMが流れた。
いつもならすぐ後ろでその様子を見ている炎山が、今は熱斗にかかりきりになっている。
ふと、2人の背中に目線を上げた彩斗は少々乱暴にコントローラーを投げ捨てた。
その音に、2人が気付く。
「駄目、つまんない」
ついでにヘッドホンも外すと、彩斗は床に転がった。炎山が見下ろす。
「そんなに、面白くなかったか?」
炎山の問いに、彩斗は返事をせずに目をそらした。
ゲームが面白くなかったわけではないことは、なんとなく分かっていた。つまらなかったのは、2人が相手をしてくれなかったからだということくらい。
どこかで、自分さえ冷静に判断している思考回路が疎ましかった。熱斗ならば、こんなこと考えないだろう。彼は自分よりも、単純で、純粋だから。
「同じ双子なのになあ…」
「悪かったな、成績悪くて」
どうやら彩斗のボヤキは、熱斗には違う意味に受け取られたらしい。だが訂正はしなかった。
むしろ、自分がそんな考えを持っていることを、悟られたくはなかった。
「彩斗…」
炎山が言いかけたところで、扉が叩かれる。
彩斗が動く様子を見せなかったことにため息をついて、炎山は扉を開けた。
「ありがとう炎山くん。…熱斗、ちゃんと進んでる?」
熱斗がうっ、と言葉に詰まった。炎山が苦笑いを浮かべる。返事はそれで十分だったようだ。
はる香は両手で抱えていた、パイとジュースの乗ったトレイをテーブルの上に置くと、今度は足元にいた彩斗に微笑んだ。
「彩斗はどうしたのかしら?」
言われても彩斗は起き上がらずに、口を尖らせた。
「炎山が熱斗に教えてると僕がヒマなんだ」
母親が困ったように笑うのと、パイを咥えたままの熱斗が「しょうがないだろ」と聞き取りにくい声で言うのはほぼ同時だった。
彩斗は勢いをつけて起き上がると、炎山が差し出した皿からパイを取る。
「じゃあ彩斗に一つお使い頼んでもいいかしら」
きれいに片付いた皿を持って、部屋を出ようとした母親が思い出したようにそう言って、彩斗はしぶしぶと立ち上がった。熱斗の宿題はまだしばらく終わりそうにない。
「いいよ、何?」
階段を降りる母親のあとに続きながら、後ろ手に扉を閉める。熱斗と炎山が課題を再開したところだった。
「はい、じゃあこれお願いね」
母親に笑顔で渡された小さな包みを受け取る。中は覗かなくても分かった。
「パパったら、相変わらずポケットの中に入れっぱなしなんだもの。気付かなかったら洗っちゃうトコだったわ」
仕事で使うデータを忘れていくのは昔からの十八番だというあまり喜ばしくない得意技を持った父親を、彩斗は呆れた顔で思い浮かべた。今頃くしゃみの一つでもしていればいい。
「じゃあ、行ってきます」
爪先で靴を鳴らして、彩斗は玄関の扉を開けた。
2階を見上げると、ちょうど彩斗に気付いた熱斗と炎山が手を振った。それに笑顔で答える。
父親がいる科学省まではメトロラインで2駅しか離れていないから、それほど時間はかからなかった。
休みにもなると見学者でにぎわうビルも平日は関係者しかおらず、彩斗は顔見知りの受付に父親の所在を聞いた。
「今なら、研究室だと思いますよ」
彩斗は礼を言って、エレベーターに乗り込んだ。
父親がここで何の研究をしているのか彩斗は聞いたことがないし、興味すら湧かなかった。
ただ、幼い頃はほとんど家に帰ってこなかった父親が許せなかったときもあったし、今となっては諦めの境地になっている。おそらく、今日もまた家には帰ってこないだろう。これで1週間連続だ。
彩斗だけが乗ったエレベーターは、途中どこにも止まらずに研究室のある階へと着いた。
ロビーと違って人影は見えず、彩斗は一直線に父親の研究室に向かうと扉を叩いた。
「パパ。頼まれもの持ってきたよ」
扉を開けてみると、正面の机に父親の姿を見つける。彩斗はその机に頼まれた包みを置いた。
「ああ、ありがとう。…彩斗が持ってきてくれるなんて珍しいな」
パソコンの画面から顔を上げて彩斗に微笑むと、祐一郎はデータの入ったディスクを受け取った。
すぐに袋に入っていたケースからディスクを取り出して、パソコンへと入れる。
「今日は熱斗のやつ、課題盛りだくさんだから当分机から離れらんないんだよ」
行儀悪いのを分かっていて、わざと机の上に腰掛けて彩斗は答えた。
「おかげで僕は退屈だけどね」
「そりゃ大変だなあ」
それが彩斗に対してなのか、熱斗に対してなのかは分からなかった。
目の前の父親はすでに彩斗を見ておらず、彩斗が持ってきたデータの中身らしきものが、その眼鏡に反射していた。
「せっかく来たんだから、見ていくかい?」
目を合わせぬまま言われて、彩斗は首を振った。
「今日はやめとく。炎山も来てるし。じゃあね」
彩斗は机から飛ぶように降りると、さっさと部屋から出た。そろそろ熱斗たちも一区切りくらい付いているだろう。そもそも、熱斗が長時間机に座ったことなんてないから、そろそろ限界に違いない。
「ああ、今日は早く終わったら帰れそうだってママに…もういない、か」
ようやく画面から目線をあげた祐一郎は開け放たれた扉を見て、少しずり落ちた眼鏡を指で戻した。
開きかけたドアの向こうで熱斗と炎山が――自分が面白くないと言って炎山に返した――ゲームをやっているのを見て彩斗は手を止めた。
どうやら、課題は終わったらしい。コントローラーを持っている熱斗が、炎山の示す方へと動かして、何かを言った。それから笑い合う。
自分がいない間、何を話していたのだろうか。
『ほんとに、3人して仲が良いんだから』
普段の母親の声が、彩斗の頭の中に響いた。
違う、そうじゃない。
2人の間に割って入ってやりたくなった。どうしようもない熱さが、胸の中でじりじりと彩斗を苛立たせる。
彩斗は音をたててドアを一気に開いた。驚いた2人が振り返る。
「おかえり、彩斗」
炎山が言うのを、彩斗は頷きだけ返した。そのまま2段ベッドの1段目に倒れこむように転がる。
「どうしたんだよ、いきなり」
作品名:Naked Mind 作家名:ナギーニョ