Naked Mind
言われて、彩斗はうつ伏せに寝たまま首を動かして熱斗を見上げた。
「別に。疲れただけ」
言った瞬間、熱斗がえー、と声をあげる。
「お使いって、パパのトコだろー?!そんなに疲れないってば!」
立ち上がってベッド脇で熱斗が煩く騒ぐのを、彩斗は黙ってやり過ごした。彩斗の反応が無いと分かって熱斗は小さく文句を言いながら、画面の前に戻る。
「そういや、このゲーム面白いじゃん。どこが気に食わなかったんだよ」
画面から目を逸らさずに、熱斗が言った。そんなこと言ったっけ、と彩斗はつぶやいて目を閉じた。
「大丈夫か?彩斗」
さすがに心配したのか、炎山が手を伸ばした。だが、彩斗は瞬間に力いっぱい、右手でそれを撥ね退けた。
「彩斗?」
そのぶつかった音に気付いた熱斗が呼ぶ。その事態に、彩斗自身驚いていた。同じように驚いた顔をした炎山が、赤くなった右手の甲を左手で摩る。
「何やってんだよ彩斗!」
事態に気付いた熱斗が思わず駆け寄って、彩斗に掴みかかった。けれどもそれを炎山の手が停める。それで熱斗は掴んでいた彩斗の服を離した。
「疲れてるんだって言ってるだろ!」
顔を上げぬまま、彩斗は叫んだ。誰にも触れて欲しくはなかった。誰もこんな気持ち、分かりはしない。双子の兄弟が誰よりもわかり合えるなどと誰が言ったのだろうか。今はその絆が痛いだけだ。
炎山は一つため息をついて、立ち上がった。
「熱斗の課題も終わったし、俺はそろそろ帰るよ、彩斗」
すぐに反応したのは熱斗のほうだった。熱斗が引き止めるのを笑ってかわすと、しばらくしてドアの閉まる音がした。
どうやら熱斗も一緒に階下へ降りて行ったのだろう。部屋の中は熱斗がつけっ放しにしたゲームの単調な音楽だけが響いて、静かになった。
払いのけた時の痛みが、やけに残った。
子供たちが寝静まったあと、リビングで本を読んでいたはる香は玄関の物音に気付いて廊下の明かりをつけた。
「あら、パパだったの。お帰りなさい」
祐一郎が疲れた顔で無理矢理笑顔を作った。上着と鞄を受け取ると、はる香はパタパタとリビングまで歩いた。
「夕飯は済ませたの?」
「ああ、また昼には行かなきゃ行けないんだ。すぐ寝るよ」
リビングの前で祐一郎が自分の部屋へと通り過ぎるのを見送ると、はる香は軽くため息をついた。だがすぐに、祐一郎が早足で戻ってくる音を聞きつけて、ソファへ戻りかけていた足を止めて振り返る。
「どうしたの?パパ…」
「熱斗が僕の部屋で寝てるんだけど!」
はる香の語尾を遮って、祐一郎は勢いよく扉を開けて言った。
ああ、とはる香はさして驚きも見せずに答えた。
「彩斗とケンカしたから、今日は一緒に寝たくないんですって。パパも帰ってこないだろうからってあそこで寝たのね」
「ママ…」
笑顔で言うはる香に対して祐一郎は柱に片手をついたまま、がっくりと項垂れた。
階段を下りる音に、はる香は食器を洗っていた手を止めた。
「おはよう、熱斗」
まだ眠そうに目をこすりながらパジャマのままやってきた熱斗は、いつもならまだソファにいるはずの彩斗がいない事に気付いた。
昨夜喧嘩したせいで別々に寝たから、いつ起きたのかは知らない。
その代わり、ソファには窮屈そうに祐一郎が寝ていた。
「パパ、帰ってきたんだ。彩斗は、」
「もう行っちゃったわよ。今日はやることがあるんですって」
熱斗の朝食を載せた皿をテーブルに揃えながら、はる香はついでに彩斗の食器を片付けた。
ふうん、と熱斗は相槌だけを返す。
朝、どんな顔をして会えば良いのか昨夜考えたことは徒労に終わった。彩斗も同じことを考えていたのかもしれない。熱斗はどこか安堵した。
朝食を食べ終えて、学校への荷物を詰め込んでいた熱斗は、机の上に見慣れぬペンを見つけた。結局炎山が帰った後は片付けもせずに――それは彩斗と顔を合わせたくなかったからであるが――朝を迎えてしまった。
「炎山の、かな」
とりあえずペンケースにしまう。授業が始まる前に返しに行けば良いことだ。どうせ隣のクラスなのだから。それでうまく、彩斗の顔でも見れればいい。
「行ってきます」
いつもは遅刻ギリギリに駆けて行く熱斗が、今日は少しだけ早めに家を出た。
いつもは一番に教室の扉を開ける炎山は、すでに人影があるのに気付いて一瞬ドキリとした。しかしそれが彩斗だと気付いて、いつものように声をかける。
「彩斗、」
けれども挨拶は返って来ず、鞄を机に掛けた炎山に彩斗は後ろから抱きついた。誰もいない場所で彩斗が触れてくるのは、もう珍しいことでは無かった。
「屋上が、い」
言葉少なげに、彩斗は腕を解いて炎山の手を引いた。
「今回の分は、熱斗の宿題で手を打っただろう、」
「それじゃ、やだ」
交換条件を反故にされるのは以前に熱斗の遊び相手になったとき以来、久しぶりだった。炎山は呆れたように息を吐いて、分かったと答える。彩斗の我儘を聞かないと、あとで碌なことが無い。そういうトコだけは熱斗とそっくりだと炎山は思った。それと双子である事が関係あるのかどうかは知らないが。
他の生徒たちが来るまでにはまだ少し時間があった。2人の足音だけが、階段に響く。そもそも広い運動場を備えているせいで、屋上を利用する生徒は少ない。ましてや早朝から。
教師すら見回りに来ることの無い屋上の片隅で、炎山はコンクリートの壁を背に座った。すぐに、彩斗の体が太陽の光を遮る。
「10分だけだぞ」
それ以上を過ぎれば、さすがに始業チャイムの時間が近くなり、生徒の数が増える。彩斗は惜しそうに、けれど仕方なく小さく頷いて、炎山の唇に、自分のそれを重ねた。
いつもなら教室に駆け込む熱斗が、余裕を持って入ってきたのを見て、隣の席に座っていたメイルが驚いた顔をした。
「どうしたの?」
この時期に雪でも降るのではないか、と言うと、熱斗はむっとして背負っていた鞄を机に置いた。冗談よ、とメイルが笑ったので熱斗はそれ以上怒るのをやめた。
「炎山に忘れ物届けてくる」
彼のペンを指でひらひらさせて、教室を出る。すぐ隣の部屋を見ると、すでに全員が揃いかけている生徒の中に炎山と彩斗の姿は見当たらなかった。
「炎山は?」
入り口近くの生徒を捕まえて聞くと、彼はクラスの中を見回した。それからいないことを知ると、熱斗の方に向き直る。
「屋上じゃないかな。彩斗といないときは大抵そこだから」
「サンキュ」
もうすぐ始業ベルが鳴る。帰ってくるのを待っていても良いけれど、と思いつつ熱斗は迷わず階段を駆け上がった。
屋上に行くのは初めてだ。炎山と彩斗がそんなに利用していたとは知らなかった。
入学したての頃こそ寝坊する熱斗を待っていた彩斗はいつのまにか先に行くようになったし、そこまで一緒にいる必要も無いとお互いに思っていた。だから、先に行った彩斗が、始業時間まで何をしているかなど考えたことも無かった。
ましてや炎山と一緒に。
あまり掃除されていない屋上までの階段を上る。踊り場には、窓から入った太陽の光で舞い上がった埃が白っぽく見えた。
普段は滅多に開かれない鉄製の扉は、錆びた外見にしてはあっさりと開いた。
だが屋上を見回しても2人の姿は無く、熱斗は扉の陰になっているほうだと思って壁沿いを歩いた。
「炎山」
作品名:Naked Mind 作家名:ナギーニョ