Naked Mind
すぐに2人の姿を見つけて、声を掛けた熱斗はすぐに足を止めた。
日陰に座っていた2人の目が熱斗を見上げる。
自分と同じ褐色をした彩斗の目は、熱斗を睨む。
わずかな光を受けた蒼い目は驚きと不安の混ざった目で熱斗を見上げて、すぐに伏せた。
「彩、斗」
何をしてるのかなどと聞くのは愚問だった。炎山のシャツは首元まで上げられて、白い肌を露わにしている。
それに触れたままの彩斗の手。
手が震えた。何を言えばいいのか分からなかった。いや、何を言っても正解ではないのかも知れない。ただ、全身から力が抜けてしまう前に、ここから逃げなければという思いが、熱斗の脳に広がった。
炎山の口が、音を出さぬまま動いた。
『熱…斗、』
その瞬間、熱斗の背は普段よりもピンと硬直したように張って、その衝撃で指先から彼のペンが落ちた。それがコンクリートにぶつかる音が合図のように、熱斗は数歩退いた後に踵を返して全速力で走り出した。
「熱斗!」
炎山の焦った声が聞こえた。けれど振り返ることなく熱斗は一気に数段飛ばして階段を駆け下りた。自分の教室のある階に降りたところで、壁に寄りかかった。
息が切れる。熱斗は動悸の早まる胸を手で押さえた。
炎山の目が、瞼に焼きついている。熱斗は慌てて首を振った。どうすればいいのか分からない。そのうち始業ベルが鳴り響いて、熱斗は慌てて教室へと駆け戻った。
彩斗は落ちたペンを拾った。それからコンクリートの上に寝たままの炎山を振り返る。朝日を受けたコンクリートは熱さを持ち始め、炎山に嫌な感触しか与えなかった。
「そろそろ戻らないと、授業始まるよ」
何事もなかったかのように言い放った彩斗を、炎山は睨み上げた。
「熱斗の、ことは」
「しょうがないじゃん。まさか来るとは思わなかったんだから」
起き上がった炎山は、彩斗の差し出した自分のペンを受け取った。昨夜探し回っても、見つからなかったはずだ。
どうするつもりだ、と口を開きかけたところで始業ベルが鳴った。炎山はタイミングを失って口を閉じる。
「ほら、早く戻らなきゃ」
一足先に扉を開けた彩斗は、まだ立ち上がらない炎山をそう促して階段を下りた。炎山が慌てて追いつく。
「彩斗」
「何?」
一つ下の踊り場で、彩斗が振り向いた。他の生徒たちが駆け足で教室へと向かっていく足音が響く。先ほどまで普段の笑顔を浮かべていた顔は、笑ってはいなかった。
「昨日から、何を考えている?」
彩斗は表情を変えぬまま炎山を見上げていた。それから、顔を逸らす。
「さあ?」
それは炎山には肯定の意に聞こえた。
熱斗に見つかることが分かっていたような。そしてそれを喜んでいるような。
そんなことがあるはず無いのに。
見下ろしたままの炎山に対して、彩斗は小さく息を吐くと教室まで早足で降りていった。
その姿が炎山の視界から消える。彩斗の足音が聞こえなくなった頃、ようやく炎山は階段を降り始めた。
部屋に戻ると、学校では一切目を合わせようとしなかった熱斗が立っていて、扉を開けた彩斗を睨んだ。
「どういうつもりだよ」
何が、と彩斗が聞き返す前に熱斗は彼の襟元を握った。
「いつから炎山とあんなこと…俺の気持ち知ってたくせに!」
一気にまくし立てても、彩斗はあまり表情を変えなかった。ああ、そうだなと――熱斗には嘲笑うかのように聞こえた――返事をしただけだった。
だがその瞬間、左耳の近くで破裂音がしたかと思うと彩斗の左頬に熱さが走った。熱斗の手が彩斗の襟を離す。彩斗の体は支えを失ったかのように、床へ座り込んだ。
「いつまでも手を出さないからだろ」
目線を床に落としたまま彩斗がつぶやく。熱斗は信じられないという顔をして彩斗を見下ろした。炎山を今まで一度たりともそんな意識で見たことなど無かった。なのに、その横で彩斗はそんな対象として炎山を見ていたというのだろうか。
「何だよ、それ…」
彩斗の存在が羨ましかった。炎山と対等に渡り合える状況を持っていた彼が。
なのに今はその関係がとても汚らわしいものに見える。
2人を繋いでいたのは、熱斗が思い描いていたような友情ではなかったのだろうか。
呆然とした熱斗の前で、彩斗はゆっくり立ち上がった。今度は彩斗の手が、彼の襟元を掴む。
「双子なんて最低だ!最後は皆、熱斗を選ぶんだから!結局僕は一人のままだ!」
至近距離で叫ばれて、熱斗は目を見開いた。彩斗は勢いをつけて手を離した。押されたせいで、熱斗は後ろにあったベッドに背をぶつける。
「俺を選ぶって…だって彩斗は」
いつだって誰とも仲が良くて、自分より遥かに頭が良くて、羨望の眼差しすら集めていて、そして炎山とも対等に渡り合っている。なのに、一人のままだという。
「いつも置いてけぼりなのは俺の方だろ!2人でいっつも解り合ったようにしてさ!俺がどんな気持ちなのか知りもしないくせに!」
熱斗の思わぬ反撃に、彩斗は面食らったような顔をした。いつも言葉の争いになれば勝ち目の無いことを悟ってか、言い返す言葉に困る熱斗が自分を圧倒している。
「彩斗!熱斗!」
立ち上がった熱斗が彩斗に詰め寄ろうとした瞬間、勢いをつけて開いたドアの音と炎山の声で2人の動きが止まる。
おそらくは熱斗の怒声が、丁度やってきた炎山に聞こえたのだろう。だが炎山も、動きを止めて自分のほうを見ている2人を交互に見つめたままだった。勢いよく飛び込んできたはいいものの、どうすればいいのか分からないかのように。
しばらくの沈黙が流れる。
だがそれを破ったのは、彩斗のくぐもった笑い声だった。のどの奥から引きつったように漏れだす。それはどこか自嘲を含んでいるように聞こえた。
「・・・彩斗」
炎山の、落ち着きを取り戻した声が彼を呼んでようやく彩斗はその笑いをやめた。
「だって、互いに無いものねだりしてたなんて、可笑しすぎるだろ。結局炎山の一人勝ちだ」
その言葉に、炎山は眉を顰めた。
「・・・俺は、お前らが羨ましかったよ。常に隣にいる存在があることが」
彩斗の卑屈な笑みが消えて、それからいつもの気の抜けたような顔になって床に座り込んだ。
「なんだ、それ」
はじめから誰が勝っているわけでも、負けているわけでもなかった。ましてや誰かが孤立感を味わう必要も。
「最初から炎山にあんなことしなくったって良かったんだ」
彩斗が炎山の手を借りて立ち上がりながら言うと、炎山はそうか?と聞き返した。
「俺は、そうでもしなきゃお前だの間には入れないと思っていたからな。そうでなければ簡単にこの繋がりが消えると思って・・・怖かった」
誰もいない家、一人で摂る食事、気楽な話し相手すらいない生活に戻るのが嫌だった。彩斗と熱斗の存在を知ってから余計にその思いが強くなった。双子という、切っても切れないその関係が堪らなく羨ましかった。だから彩斗と特別な関係になることも厭わなかった。
それが間違っていたとは思わない。
例え間違っていたとしても、今ならどんなことでも簡単に修復できると炎山は思った。
「彩斗?」
立ち上がった彩斗が、炎山の首に片腕をまわす。もう一方の腕で熱斗を引き寄せた。その間に顔を埋めて、彩斗は2人を抱きしめる。
「ありがとう」
作品名:Naked Mind 作家名:ナギーニョ