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断食月

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断食月 4

 不気味な軋み音が倍加した。
 隼とその分身に視線を貼りつけたまま、怪物は血染めの金髪を振り上げ、上体を持ち上げざまに片脚を半円を描いて振り抜いた。それ自体が数百キロはありそうな氷の塊が勢いよく割れ砕けて飛び散り、氷河にあるクレバスのような深いヒビが網目状に庭園を走って輝く。怪力、といっていいものか、人型という自然界においては決して大型ではない形態では考えられない破壊力で、その男は氷床を蹴り砕いた。
 その音に呼応し、また近くで悲鳴が上がる。
 月に正対し、全く影のない怪物の顔が白く浮き上がっている。耳まで裂ける赤い笑み、ガラス球のように反射する目、そこには月と隼が映っている。
 翼が風を切った。
 恐怖はある。が、まだ飛べる。
 地上では怪物がもう片方の脚を氷から引き抜いて、大小さまざまの氷片を撒き散らしている。
 細片の乱反射するその中に、唸りをあげて氷弾が撃ち込まれた。三対六弾、次いで骨の嘴が限界まで開いて、雄叫びの代わりに氷の弾を発射する。
 奴が最初の一弾をつかんだのは見えていた。
 しかし次の瞬間に、その姿が、消えた。
 相手の怪物が不自然な回復力を持っている事は、隼には理解できない。ただ見たこともないほど耐久力のある生物だと思っている。しかし彼の目が捕らえきれないスピードが存在するなど、到底信じられない、受け入れようのない事態だった。彼の小さな脳が一瞬のあいだ停滞し、骨の分身の動作にも空白が生じた。
「歌え」
 不思議に近く、低い人間の声がする。周囲が暗い。
 気づくと、彼は怪物の手に載せられていた。暗いのは高空でなく廃園の中にいて、その塀が光と視界を遮っているせいだった。腹に冷たい感触がある。すっ、と撫で下ろされて、彼はようやく、それが自らの武器であることを知った。
 怪物の意図どおり、確かに恐怖は染みついた。
 氷と悲鳴の交差する夜空に、隼の甲高い絶叫が長く尾を引いた。半ば混乱状態に陥りながら、無闇に翼を羽ばたかせて恐ろしい手の中から脱出しようとし、怪物は抑えるでもなく、捕らえた鳥を放してやった。
 その頬には冷笑がある。
 出来るだけ、出来る限り、翼の動く限りに、隼は飛んだ。崩れたバランスを修正し、消えかけた分身を再び出現させ、氷を作ろうとする。うまく出来ない。精神の乱れは、そのまま分身に反映する。骨の鳥が、明確に像を結ばない。
 飛び慣れた軌道が、恐ろしい難所のように感じる。ここは枯れ谷や丘陵ではない、たかが人工の単調な建造物なのだと、混乱した脳で思い出してみるが焼け石に水だ。かすみかける分身が、切れ切れに声を上げた。
 高度五〇フィート、一〇〇フィート、一五〇フィート、地面から離れるにつれ、不死身の怪物からも遠ざかる。徐々に落ち着きを取り戻しつつある黒い目が、旧商館の石壁に落ちた影を読み、自身の高さを測った。
 高度二五〇フィート、水平に見渡せば、遠くそびえる三日月型の飾りをつけたモスクの尖塔と明るく濁った夜空、そして商館の塔だけ、もうすぐそれも飛び越える。
 不意に、風圧を感じた。
 目前に迫っていた塔の尖端が、どこかに消えた。
 怪物が消えた時とまったく同じ、ただ違うのはここが二百フィートの上空であること、それから尖った石材が、彼に向かって飛んできたことだ。
 骨の嘴が引きつった声と共に、辛うじて作り出していた小さな円錐で破片を破壊する。だが、スピードに乗った隼自身の体は容易には止まらない。急上昇し、強引に方向転換を図るものの、彼は煙をあげて砕ける石の中に突っ込んだ。頭や羽にばらばらと振り落ちる破片を避けて目を閉じる。身震いがした。
 やはり、と思った。
 目蓋をあげた時、そこには例の怪物がすらりと立っていた。壊れた塔の頂点に、いつ、どうやって上ったのか見当もつかない。金髪が月光を受け、夜空を切り抜いた後光のように厳かに明るい。そして顔にはあの目が、獣じみた淡褐色の目が笑っており、その眼球には彼の黒い目が、続いて喉、腹、その斑紋、鉤爪が映って通り過ぎた。
 乾いた血のざらつく肉体の腕とは別の、透き通った白い手が、上昇する彼の腹を優しく撫でた。
 何か力の気配が流れ込んでくる。白い手の、その気配が強大すぎて、彼はさらに高く空に登った。
 尾羽がつかまれた。
 隼の小さな脳の中で、ごく簡単な予想として、引き裂かれる彼の体が見えるようだった。
 死の予感を胸に、彼は空を仰ぐ。
 その先には星の瞬く天空、それが高く美しく、あくまで穏やかに広がっていた。
 それが目に入った途端、彼の中で全てが麻痺した。
 両翼の緊張も、恐怖心も抜け落ちた。死のイメージもどこかへ飛び去った。それが起こった理由が、彼の精神にあるのか、なにか他のものにあるのか、それとも単に限界を超えた恐怖のなせる業なのか、それは例え人の知能をもってしても判らないだろう。とにかく彼は、深い呼吸を一つして、落ち着いて、静かに、周囲の水分を凍らせた。
 隼の尾羽に触れていた白い影が、一瞬待たずに自由を失った。
 その手をすり抜けて敏捷に羽ばたいた翼は、彼を再び大気中に運ぶ。
 怪物は軽い驚きらしきものを示して、逃げ去った隼を追おうともせず、完全に凍りついた自らの体を眺めている。これほど素早く冷凍されるとは思わなかった様子だ。なぜか懐かしげな色を、その唇は浮かべた。
 そして力任せに、普通の人間が少し伸びをする、といった調子で、硬く凍った肉をほぐしにかかる。まず脚を、次いで腹を伸ばし、皮膚組織や筋肉の欠片を撒き散らして腕を一振りすると、塔を蹴って跳び降りた。
 もちろん、重量にしたがって加速度つきに落下する。
 地表では隼が待っていた。
 怪物が追ってくるであろう事は考えなくても判る。おそらく飛び降りてくるであろうそいつの為に、隼は林立する氷の柱を用意していた。
 怪物とその白い影が濡れて光る氷をなぎ倒して着地する。同時に隼の氷のミサイルが襲った。きれいに全弾が的中する。
 しかし怪物は死なない。
 平然と立ち上がり、つぶやいた。
「……面白いな」
 折り重なる分厚い氷をかすめて隼は飛ぶ。その後ろ、あるいは鼻先で白い影がちらつき、氷が弾けて深い穴が開く。
 もはやどちらも距離をとろうとはしない。
 隼の氷が敵の肉を千切り飛ばし、怪物の影は猛禽の羽毛と一緒に商館の肌を削り取る。
 周囲の家々から沸き起こったコーランの聖句が地吹雪のように商館跡になだれ込む。断食月の異変は語り継がれ、いずれ奇跡か凶兆と呼ばれるのだろう。
 商館跡の凍った庭で、二重体の猛禽と不死身の怪物が攻防戦を繰り広げる。
 繰り返し繰り返し、幾度でも立ち上がる怪物を相手に、彼は依然として氷弾を撃ち続ける。
 すれ違うごとに、怪物は人の言葉で彼にささやいた。独り言のようでもある。
「鳥にもスタンドが発現するとは思わなかったぞ」
「興味深い」
「お前はなぜ、ここにいるのだ?」
 低く沈むその声を裂いて、隼は飛ぶ。
「この場所が、重要なのか?」
「それとも、ねぐらにしているだけなのか?」
次第に体が重くなってくる。怪物が笑った。
「疲れを知らない、というわけではないのだな」
作品名:断食月 作家名:塚原